第3話 ハン

 ところで、授業をサボった件について。

 二人は(というよりは、主に那智なちの主張によるものだが)、律儀に職員室へ向かい、五時限目の担当教師に自身らの行いを正直に報告し謝罪もした。


 五時限目の担当教師は、彼女らのクラスの担任である園田夢乃そのだゆのであり、「わあ、授業サボった子達が律儀に謝りに来るなんて。そんな生徒見たことないよお」とゆるふわ対応された。

 それでも二人が正直に報告しに来たことをつっぱねることなく、むしろ嬉しそうに受け止めてくれた。


 むしろむしろ、彼女は、二人にとって理解者ともいえた。


「まあね、高校生って時期的に人間関係とかで色々ゴタついちゃうものねえ。……でもねえ、先生も高校の頃——それこそ、7、8年も前の話になるけどさあ、部活で親友とモメたり、些細なことで恋人と喧嘩したり、勉強なんて手につかなくなっちゃうぐらいに落ち込んじゃうことなんてザラにあったし、だから、そこまで厳しく叱るようなことはしたくないの」


「そうなんですか」と那智なちは頷き、衣織いおりは職員室という不慣れな環境にいまだ適応できず、話半分で震えている。

 園田夢乃そのだゆのは、ゆるゆると微笑んで間延びした声で言う。

 

「うんうん。わたしは叱らないし、大人の領分で何かしてあげられることがあれば力になりたいと思う。親友にも家族にも頼れなくて一人でいるくらいだったら、先生のところにおいで。何か取り返しの付かないことをしてしまったのなら一緒に頭を下げるし、何か外部からの被害を受けたというのなら後ろ盾にもなる」




* * * * *


 休み時間のうちに教室へ戻る。

 那智なち衣織いおりが並んで入口を通ると、すぐにクラスメイトたちからの視線が突き刺さった。衣織いおりは吐きそうになる。


 それもそのはず。

 那智なちは校内から注目を受けるいわば学内アイドルみたいな存在で。

 ……衣織いおりは同じクラスで過ごしていても相手に認知してもらえない生徒A。


 一般の生徒たちからすれば、二人が並んでいること事態がそもそも疑問で、接点などなかなか想像がつかない。

 だから二人のことをどこか探るような視線があってもそれは仕方がない話だった。


 そして、高校生ともなればある程度空気感でなんとなく察してしまう。

 ……この二人、さっきの授業一緒にサボったのではないだろうか、と。


 那智なち衣織いおりの距離感が、他人のそれではない。

 那智なちが一方的に話しかけ、しかもやけに親密そうな表情を浮かべている。傍らの衣織いおりはあうあう返事なのか返事じゃないのか理解するにも難解な母国語で対応している。

 クラスの誰もがちらちらと二人を気にするのには、充分すぎるほどの現場証拠がそこにはあった。


那智なち、どうしたの急に授業サボって。那智なちらしくないよ」

「もしかして具合悪くした? 保健室でも行ってたの?」

「先生もびっくりしてたよ。那智なちが無断欠席するなんてって」


 衣織いおりとの会話に隙が生まれた途端、那智なちに詰め寄る生徒たち。

 一瞬にして彼女の周りに人だかりができた。

 女子九割男子一割ほどの十数人のサークル。あうあうしているうちに、衣織いおりは円の外側へとはじき出される。


 こてん、と教室の床に投げ出されて、ふと思い出す負の記憶。

 ——それは、中学生になって間もない日のこと。


「ねえ、クラス一緒になったのも何かの縁なんだし、歓迎会みたいな感じでみんな放課後カラオケとか行こうよ」

 そんな、新学期あるあるの緊急クエストを衣織いおりは聞きつけた。


「いいね」と率先して賛同する生徒たちはみんないかにも陽キャ陽キャしていた。

 女子生徒は妙にマセていていくつもの男子を手玉にとっていそう(※完全に衣織いおりの偏見である)で、男子生徒は声が大きくていつくもの女子を股にかけてそう(※完全に衣織いおりの偏見である)だ。


 けれど彼らは「何かの縁」だとか「みんな」とか言うくせに、やけにで固まりたがっていた。

 同族というのは、容姿や髪型、表情、発言、仕草などから肌で感じ取れる「陽の成分」を少しでも持っていた生徒たち、とでもいうべきか。

 もっといえば、社会一般的に通ずる「本来あるべきスクールカースト像」に比較的近しい、いわゆる「明るく人付き合いが得意そうな男女」っぽい生徒たち。


 ……もっと体裁を気にせずはっきりといえば。

 ただ、「上」に立ちたいと漫然と願っていた生徒たち。

 

 だから彼らは、そんな周囲に開けた言葉を口にしておきながらも、本音のところでは「上」に立つ要素を持っている男女しか近寄ってくることを許していなかった。


 ……そこへ、湯崎衣織ゆざきいおりがひょっこり現れる。

 当時の衣織いおりは、薄暗い小学生期間を過ごしてきた反動で「中学こそは青春らしい青春を送ってみせる……!」と、息巻いていた。

 春休みという雌伏期間を経て、パワー系陰キャのHPとMPゲージは完全充填。

 

 それまでは彼らの会話に参加していなかったわけだが、ここらで何気ない様子でしれっと輪に入るが吉。

 そう踏んだ衣織いおりは、すすすっと滑らかな足どりでグループに近づき、一言。



「——私の家近くのカラオケ、今学割してるから行こっか」



 ……キマッた。キマッてしまった。

 衣織いおりはこのとき、大きな達成感に包まれていた。

 言えた。言ってやった。

 しかも語尾に微かな吐息を混ぜて「行こっかぁ……」みたいな感じでかっこよさを演出しつつ、発言のなかにを張ることにも成功していた。


 カラオケといっても「私の家の近く」のである。

 これは、カラオケで遊んだあとさりげなく女子連中を家に招くためだ。男子を入れるつもりはなかった。そこらへんの線引きはなんとかできていたようである。


 しーん……と静まり返る、陽キャ集団。

 もちろん衣織いおりは、この非っ常に気まずい空気のなかでもいまだ達成感に酔いしれていて「ハン……」とか、ものすっごくイタい息を吐いていたりした。


 ——沈黙を破ったのは、リーダー格の女子からの一言。



「は?」



 音にして、一音。

 だがそこには、計り知れないほどの侮蔑と猜疑が含まれていて——一発撃沈。


 ……はははっ。もう、ものすんごい速さで逃げ出したよね、そこから。

 あ、そういえばその日からあだ名が「ハン」になったんだっけ。


 クラスメイトから「おーい、ハーン」と呼ばれて、そう呼ばれるたび「おい、発音違ぇぞ。ハン……、だぞ。発音は極力吐息に任せるんだ」みたいなツッコミをするノリがクラス内で流行ったりした。……半年間くらい。


 イタいイタいイタい……。

 イタすぎる過去の記憶の世界から戻ってくると、そこもまた現実で。

 衣織いおりは、教室内でぽつねんと棒立ちしていた。


 ……私、チョロいからすぐに調子乗っちゃうんだよな。「ハン」って呼ばれていた中学の期間も、それがイジりのテンションだって気づかずに「小学校のときにはなかったあだ名つけてもらった!」って家で妹に自慢してたくらいだしなあ……。

 衣織いおりは、心のうちでまた、自虐する。



(——……ねぇ、)

 


 だから。

 だから私は。

 誰からも触れられず、誰にも触れず、そうやって生きていくしかないんだろう。傷をつけないためにも、傷つかないためにもそうやって生きていくしかないんだろう。



(——ねえ、ちょっと……)

 

 

 視線の先には、那智なちの姿。

 取り巻くのは、幾人もの男女。そこへまた一人、また一人と、心配そうな顔をした生徒が近づいていく。


 さっきまで隣で語り合っていたはずの彼女が。

 さっきまで一緒に涙を流していたはずの彼女が。

 さっきまで抱き合っていたはずの彼女が。

 今は、こんなにも遠——

 


「——ねえ。ねえってば。ちょっと聞いてる? 湯崎ゆざきさんってば」



 ふと、そこで自虐の世界から戻ってくる。

 はっとして声のほうに視線を向けると、そこにはなんだかクール系ですらっと身長の高い女子生徒が立っていた。


 流れるような美しい黒髪が腰あたりまで伸びていて、輪郭もボディラインも読者モデルように細い。白くてきめ細かい肌。冷たく鋭い切れ長の目つき。

 美女だ。女優のような色香を無自覚に放っている美女だ。

 

 クラスや学内の情勢に疎い衣織いおりであっても、さすがに話しかけてきた少女の名前は知っていた。

 香椎唯花かしいゆいか白鷺那智しらさぎなちのグループの一人だ。


 唯花ゆいかは咳払いをしつつ、芯のある低い声で言った。


「あのさ、湯崎ゆざきさん。もしかして、うちの那智なち、あなたに迷惑かけたりした? もしなにかあったりするんだったら、ちょっと話がしたいんだけど——」


 え。

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