第4話 陽キャ集団って案外ヤバい奴ら?

「こっち」


 そう言って唯花ゆいかは、衣織いおりを教室後方に誘う。


 窓際の最後尾が彼女の席であることを、衣織いおりは知っていた。

 加えて、その前方の席が那智なちであり、そのまた右隣の席にも、那智なちグループに属しているもう一人のメンバーが座っていることを知っていた。

 

 唯花ゆいかは自席に座る。

 机の上には六時限目の授業を受ける準備がすでにされていた。

 古典の教科書、ノート、資料集、参考書——それら全てに「香椎唯花かしいゆいか」と綺麗な字で名前が書いてあった。

 

「それじゃあ、単刀直入に聞くね。……那智なちと一緒に教室に戻ってきたのを見てなんとなく察したけど。さっきの授業、二人でサボったのよね?」


 衣織いおりは普段から誰かと話す習慣がない。だから声をかけられたり、授業中に教師から指名を受ける度にビクビクしてしまう。

 だが、このときばかりは緊張感を抱いていなかった。

 それは、唯花ゆいかの声色にどこか疲れているような気配があり、活力を感じられなかったからだ。

 

 ……やっぱり、を、白鷺しらさぎさんも香椎かしいさんも気に病んでるのかも。

 衣織いおりは、先ほど那智なちと取引して聞き出した、——彼女が泣いていた理由を思い出して、唇を噛む。


 衣織いおりは質問に慎重に頷いた。

 このときの彼女は、那智なちに泣いていた理由を吐かせてしまったこと、またそこに至るまでの経緯を一切合切説明してしまおうと考えていた。

 

 聞き出したとは、那智なちのグループ内で起きた出来事だった。

 あずかり知るのはグループに属する全員であり、だから隠しておいてもしょうがない。


 ……全て話してしまおう。

 それは、冷静な判断といえた。


 だが、ここで新たな問題が発生してしまう。

 自分がどれくらいの情報を掴んでしまっていて、しかし外部に漏らすつもりは全くないことを綺麗に説明する。

 これは、会話ベタな衣織いおりにとって難題といえた。


 人間、感情に任せればいくらでも言葉は口から出るものだが、相手に理解させようと文章を組み立てることはなかなかに難しいことだ。

 階段の踊り場でのやりとりは、感情に言葉を紡がせた結果偶然成功したコミュニケーションだと衣織いおりは思い込んでいた。

 もちろん、那智なちと打ち解けたことは嬉しい。

 だが、それ以上に、衣織いおりは、会話における失敗体験がこれまでの人生で多すぎたのだ。ゆえに、後ろ向きな考え方が染みついてしまっている。

 

 たらーっ、と首筋を伝う汗。脇の下がじっとりと濡れ、そのまま二の腕を伝って流れていく。……気持ち悪い汗だな、と衣織いおりは顔を歪める。

 

 会話のなかに下りる沈黙。このとき、衣織いおりは頭のなかでうまく文章を組み立てることができずに焦り、唯花ゆいかは次に何を聞き出すべきか質問を吟味していた。


 その沈黙に、衣織いおりのトラウマがマイナスな意味づけをしだす。

 ……頷くだけじゃ、ダメだったかな。

 ……会話のうちで相手を困らせるのは、これで何度だろう。

 ……気まずい空気をつくっているのは、私のせい。


 自虐が連なる。頭のなかで、意識のうちで。

 自身を痛めつける言葉がいくも浮かんでは留まり、何度も何度も身を突き刺す。

 痛くて、辛くて、そして、こんなにも脆い自分が嫌いだ。

 

 会話ひとつが、こんなにも困難で。

 すごく息苦しくて。

 だからこの場から逃げ出したいと思ってしまう。

 けれど逃げ出す勇気なんてなかった。衣織いおりは複数人でいるとき、自分の意思を亡くしてしまう習慣のなかで生きてきたから。


 授業合間の休み時間がこんなにも長く感じたのは、初めてだ。

 ちらりと時計に視線を向けると、時刻はとっくに授業時間に突入していた。

 教科担当の教師は来ていない。流した視線の先に、黒板に貼られた一枚の紙あった。「急用により、授業時間前半を自習とする」との旨が綴られた紙。

 

 授業が始まればこんな気まずい空間に長居することはなかった。

 運命すら衣織いおりの敵といえた。


 ……白鷺しらさぎさんとだったら、あんなに話せるのに。

 ……白鷺しらさぎさんとだったら、緊張することはなかったのに。

 ……白鷺しらさぎさんとだったら、今だって——


 と、那智なちすらも自身の自虐に取り込もうとしかけたとき——



「——もう、唯花ゆいかったら。が困った顔してるじゃん」



 ぎゅううう……と後ろから抱きついてきた少女がいた。

 色素の薄いショートヘアに、人形みたいな綺麗な顔立ち。身長は衣織いおりよりも頭一つ分低く、だから彼女が背伸びしてくっついてきていることがわかる。

 背中に押しつけられる柔らかな感触。身体は小さいが発育はかなり良いことに気づかされる。彼女は後方から羽交い締めにするような体勢で右肩に口元を埋めていた。


「——っ!?」


 無理やり自虐の世界から解き放たれた衣織いおりは、一瞬にして頬が熱くなった。


 ばっと振り返ると、いたずらっぽい笑顔がそこにはあって、けれど衣織いおりは抱きついてきている少女とはこれまで一度も関わりを持ったことがなくて、だから余計にビビる。彼女のパーソナルエリアの狭さにビビる。


 名前は知っている。彼女那智なちのグループの一人だったから。

 柏木由香かしわぎゆか。垂れ目がちの瞳で、衣織いおりをじっと見上げている。


「えっと……」


 とりあえず抱きつきを解こうするが、由香ゆかは離れようとしない。

 背中側からくっつかれると、抱きつかれた側は色々と動きづらい。ぐぐぐっ……とどうにか顔同士が向き合う姿勢に矯正し、引き剥がすために由香ゆかの頭に手を置いた。


 すると。


「えへへ……」


 頭を撫でられると勘違いしたのだろう。

 由香ゆかは、実に嬉しそうな笑顔を見せた。


 ……なにこの子。めっちゃかわいい。欲しい。

 魅せられた衣織いおりはほとんど無意識に手が伸びていた。

 たっぷり三十秒ほど撫で続けてから、ようやく理性を取り戻す。……取り戻した、とはいっても完全にとけきった理性ではあるが。


「かかか柏木かしわぎさんっ! はなれはなれ離れてくださいっ!」

「嫌。だって、衣織いおりん抱き心地最高なんだもん」

「いい衣織いおりんってなんですかっ!? もももしかして私の名前ですかあうあう」

「そう。あれ、もしかして湯崎ゆざきんのほうがよかった?」


 ——ゆざきん。

 ……ああ、懐かしいな。小学校の頃はよく男子から「やーい、ゆざ菌ー」とかいわれてたっけな。はははっ……。


 またしても、仄暗い過去の引き金をひいてしまう衣織いおり

「ハン」に引き続き「ゆざ菌」を思い出してしまって、また自虐世界へバットトリップ。今ならどこへでも飛んで行けそう(悪い意味で)な衣織いおりである。


「あれ、衣織いおりんなんか暗い顔してる。どしたー?」

「あ、いえ、小学時代の黒歴史を思い出してしまいまして……」

「黒歴史? 未来が明るければそれでいいじゃん?」


 え、なにこの子。すっごいプラス思考。好き。

 付き合ってください。そしてそのまま私の仄暗い未来を照らし続けてくださいお願いしますほんとに。

 目にハートマークを浮かべて呆ける衣織いおり由香ゆかを引き剥がすことを忘れ、今となっては自分から抱きつきにいってるまである。


 そこでふと、背中側から凍てつくような冷たい視線を感じた。

 なんだろう、と衣織いおりが振り返ると、そこには切れ長の目をさらに鋭く尖られた少女——唯花ゆいかが蔑むような視線を向けてきている。


 びくりっ、と身体が勝手に震える。本能的恐怖だと、衣織いおりの野生的な部分がそう警笛を鳴らしていた。

 そんな彼女に、唯花ゆいかが、一言——。



湯崎衣織ゆざきいおり。それ以上由香ゆかにベタついたら、殺すわよ」



 マジもんの目である。

 衣織いおりはそっと由香ゆかから手を離し、今度は割と真剣な態度で(唯花ゆいかにマジで殺されかねないため)で「柏木かしわぎさん、そろそろ手を放そうか」と言った。

 対して、由香ゆかは不満そうに唇を尖らせる。


「ぶー。衣織いおりんの意地悪。衣織いおりんだってユカとくっつきたいくせに」


 違いますくっつきたいんじゃなくて付き合ってほしいですマジで。

 衣織いおりが誘惑に釣られ、少しでもそんな態度をほのめかせば、すかさず後ろから殺害予告。


湯崎衣織ゆざきいおり。二度目の忠告は無いわよ」


 スッ——……と気まずい息を吸って再度振り返れば、般若の形相。……あの、その「湯崎衣織ゆざきいおり」ってフルネーム呼びやめてくれませんか怖いです。


 唯花ゆいか由香ゆかから顔を逸らし、教室前方にいる那智なちに「助けてください」と救難信号を送る。

 が、今だ那智なちは多くの生徒に囲まれていて、返答はなかった。


 衣織いおりを救ったのは、視線に気づいた那智なちでも、嫉妬の炎を鎮めた唯花ゆいかでも、機転を利かせて味方に回ってくれた由香ゆかでもなかった。


「みんな席着いてー。古典の小林こばやし先生が授業できなくなったから、代わりにわたしが受け持つことになりましたー」


 教室前方の出入口から入ってきたのは、担任教師である園田夢乃そのだゆの。現国の担当だけに、彼女に授業の代理が回ってきたのだろう。

 衣織いおりは「救世主だ……」と感謝の視線(一方的)を園田夢乃そのだゆのに向ける。せんせえ……。


 と、偶然かはたまた必然か、二人の目が合った。

 園田夢乃そのだゆのは、ほとんど何の意味合いもなくパチリッ、とウィンクしてみせた。

 それはきっと、生徒と教師の間でのじゃれつきみたいな行為だと推定されるが、このときの衣織いおりにとっては、他でもない自身を救いにきた白馬の王子様のように見えたのであった——。

 

 あっ。

 好き。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る