冷酷さの滲む声で、こうもまた、迷うことなく切り捨てた。

「残念だ。私が育てたはずの子が、そのように愚かなことを問うとはね」


 黒いうわぎたもとに手を遣ると、彼は、細い針のようなものを取り出した。もう片方の手で、果朶の腕を持ち上げる。

 そして、白い肌に青く透ける血管に、ぷつりと針を突き刺した。


「……っ」


 果朶は呻いた。

 ──やらかした。


 身体が碌に動かずとも、どうしゃの扉から転がり出るくらいのことは、試みておけばよかった。

 再度麻酔を打たれてしまえば、夜行の許から逃げ出すのは絶望的だ。


「競争心の喪失は、向上心の終焉だ。ほどほどで良いと思った瞬間、人は皆、凡人へとなり下がる──……」


 夜行が話しているのを聞く内にも、身体はずしりと重たくなる。

 今までも随分と気怠かったが、その比ではない。まるで、鉛でも流し込まれたかのようだった。

「ああ、実に笑わせてくれる。『最頂点でなくば価値がないか』? そのように甘えたことを口にするようになったお前自身が、今や下賤の、つまらぬ綺羅晶掘りでしかないことが何よりの答えだろう!」

 嘲りながら、けれども夜行は、どこか苦しげでもあった。


 なにかを、夜行に伝えたかった。

 自分がった縄によって、自らの首を絞めているような己の師に。


 けれども、果朶の舌は喉の奥まで落ち込んで、ぴくりとも動かない。頬の筋肉はどれもが眠りについていた。


 ──がたり、という音を立てて、晶汽駆動車が不意に止まる。

 扉が開く気配がした。骨の髄を凍ませるほど冷たい風が、びょうと吹き込む。

 駆動車の外からしゅの声が聞こえてきた。


ラオバン、降りろ。ここから先は足場が悪い。駆動車は停めていく」


 どうせ五分とかからないしな、と告げる咒豆に、夜行は大儀そうに立ち上がった。

 がいとうをすっぽり被ると、人目を引く白銀の髪を覆い隠す。

「……咒豆。私は常々、お前に言い聞かせているだろう。その言葉遣いをなんとかしろと。あまりにも粗暴に聞こえる。……ああ、頭の側は私が持つ。お前は足の側を持ちなさい──……」


 渋い声で小言を言うと、夜行は、果朶の瞼をすっと下ろした。彫りの深い先生の横顔がかき消えて、視界は闇に包まれる。


 横になったままの体勢で、果朶は、しょう駆動車から運び出された。激しい雨が身体を打つ。すぐさま袍が重たくなり、手や足にまとわりついた。


 先生と咒豆のくつ音を聞きながら、果朶の鼻腔は、微かな土の香りを捉えていた。


 ──水気をはらみ、生き物たちの気配を秘めた、青っぽくて瑞々しい匂い。

 冬の冷たい大気を吸って、どことなくひんやりした大地の香り──……


 ……──錘の国の、底の香り。


「……おやまあ、ご苦労なこったね。遺体はまだ片付かないかい?」

 不意に、しわがれた声がした。


 果朶は内心、目を見張った。


 ばあの声だ。


 錘の都市と、さいを囲む荒野を隔てる〈さく〉。そこに三里おきに設けられた〈もん〉の詰所で、朝と晩に綺羅晶掘りたちの荷を検めているかどもりの喜婆が、どういうわけだかそこにいて、夜行と咒豆の足を止めさせたらしい。


「片付かない、なんてもんじゃねぇよ。下層域の廻廊には、まだまだ死体がごろごろしてら。この雨を吸い込んでぶくぶく膨れて、見るに堪えない有様だぜ」

 咒豆が応える声がする。

 よくぞ白々しく言えたものだと、果朶は内心で罵った。


 会話から察するに、喜婆は、夜行と咒豆を、火葬炉に亡骸を運んでいる者だと勘違いしているようだ。

 それも無理はないことで、湖門から斎湖に向かって少し歩いたところにある火葬炉には、ここ一ヶ月ほど、ひっきりなしに遺体が運び込まれているのだった。


「へぇ? にしてはその遺体、まだ比較的綺麗な状態を留めてるけどねぇ」

 訝しげな喜婆の声が、間近に聞こえる。


 彼女はどうやら、果朶の顔を覗き込み、そして夜行たちが運んでいるのが、己の知り合いだと認めたらしい。

 息を呑む気配がした。

「おや、まあ──……の旦那じゃあないか! どうしたね、がいそうしょうにやられたか。なんとまぁ、眠ってるみたいに綺麗な顔だ。あまりにも──……残酷な、むご過ぎる病だよ。旦那はまだまだ若いだろうに──……」



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