「──何故、それを」


 黒々としたほらのごとき双眸が、冷ややかにを射る。

 誇り高き先生は、この期に及んで誤魔化したりしらばっくれたりすることを、良しとは判断しなかったようだった。


 果朶は、そっと目を閉じた。

 どんな顔でこうと対峙するのが相応しいのか、分からなかった。


「……見ていれば、分かります」


 憐みではない。

 慰めでもない。

 ならば、なんの感情であれば、先生へと向けるのに相応しいのだろうか。


 最初に違和感を覚えたのは、えんせつに打ち上げられた夜行の花火を見た時だった。

 ほかのじゅたちが、型や色彩に趣向を凝らした花火を提供した一方で、夜行が作ったのは音の出ないそれだった。


 じゅの花を象った花火は、なるほど確かに美しい。特筆すべきところのない正道の意匠とは言え、それが理由で見劣りすることもない。

 けれども果朶は、少なからず意外に思った。


 知る者は少ないが、夜行は存外派手好きだ。身にまとううわぎなども、下品に見えない範疇で華やかなものを好む。

 その夜行が、無音の花火といった趣向の凝らし方を選ぶとは。

 なんらかの理由で、型や色彩に工夫を加えることが難しくなったのかも知れない、という疑いを抱いたのだ。


 二度目に覚えた違和感は、家の邸を訪った時のものだ。


 その日は朝から曇天で、今にも雨が降りそうな灰色の空が垂れ込めていた。

 にも拘わらず夜行は、いざ雨が降り始めると、意外そうに呟いたのだ。


『おや。……雨か』


 また彼は、花瓶に活けられたすすきを見て、なんの花かと問い掛けもした。

 色彩を判別しづらい夜行は、花瓶に挿さっているという事実をもって、花だと判断したのだろう。


「二類へと移籍したのも、それが理由だったのでしょう? 三類の師儒であり続けるのが難しいほど、当時の先生は、色彩感覚の喪失が進んでいた」


 しょうを編み、遊子のつくりや色を緻密に再現する三類は、色彩の別が分からない師儒の活躍が望めるような場ではない。

 それに対して二類では、游子構造の変化を見定められるか否かが鍵となる。

 果朶が予科課程を修了する少し前から、夜行の視界は、鮮やかさを失い始めていたに違いなかった。

 今や二類の師儒としての立場にも見切りをつけ、娥家の相談役として落ち着こうとしているさまから推測するに、その症状の進行は相当と見ていいだろう。


 とは言え彼は、色の濃淡くらいはまだ認識できているはずだった。

 地歴九百二十一年。

 十月五日のきんえんで、実に五年ぶりに再会した時、夜行は果朶の髪が染められていることを言い当ててみせたのだから。


「──最頂点ではない己を、許せませんか。唯一無二の才でなくば、そこに価値はありませんか?」

 問い掛けながら、けれども果朶は、夜行の答えを知っていた。


 許せないし、価値もないのだ。

 異名〈異邦の天才〉に沿って育った果朶の矜持が、周囲から『かつて天才だった者』として見られることに、堪えられなかったのと同様に。


 憧れと尊敬ばかりを浴びてきたから、『慰められるべき対象』となった事実を受け入れられない。



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