途中で言葉に詰まったに、こうはついと目を細めた。

「──だからこそ、だ」


 艶めかしいとうがんの奥底に、青い炎がゆらりと灯る。

 眉をひそめる果朶の前で、夜行は、滔々と語り続けた。


「お前は、実に敏い子だ。そうとも、私は彼の命を損なわせた。見込みのあるうちを、是非とも私も指南したいとめいじゅに申し出て、家に泊まるよう仕向けたのだ。彼は非常に筋が良い。それに、とてつもない才能を秘めているね」


 腹の前で指を組み、とん、とんと夜行は手の甲を叩く。

 に対する称賛を肯定したい一方で、けれども果朶は、ぴくりとも動けなかった。

 夜行の瞳の青い炎が、不意にぼっと燃え上がる。

「私から、〈奇才〉の座を奪う前に、始末しておく必要があるだろう? 私は、彼のすぐ枕許で、一晩にわたって煙草を燻した。恐らくは、十日と保たなかったに違いない」

 その言葉に、果朶は、目の前が真っ暗になった。


 ──無茶苦茶だ。


 まるで、知らない生き物と対峙している気分だった。

 先生の秀でた額も、彫の深い輪郭も、かつては毎日、同じ食卓の向かい側に臨んだものだ。

 けれども今は、初めて見たかに思われた。


 ──知識が乏しい人間のことを、価値のないと穀潰しだ、と断じる。

 ──その一方で、自分よりも才ある人間を脅威と見なし、排除にかかる。


 矛盾した振舞いをする彼の前で、存在を許される者は、ならばどれほどいるのだろうか。


「……俺の汽界を奪ったのも、それと同じ理由ですか」


 溜息を吐いた果朶に、夜行はふと目を見張る。

 燃えていた炎は失せて、代わりに、狼狽に似た色が過ぎった。


 なにかを言おうと口を開く夜行に先んじ、果朶はそのまま、言葉を続けた。

「俺がおんしんちょうを開発し、異邦の天才と呼ばれていたから、游子を見えなくしたのですか。〈奇才〉の座を守るため、俺から、師儒という道を取り上げたのですか。ほかでもない先生が、唯一無二の才能の持ち主でいるために」

 もしそうならば、なんて哀しい、とふと思う。

 一体いつ、果朶が、夜行を蹴落とそうとしただろう。


 むしろ果朶は、夜行のことを永遠の憧れと見なしていた。その想いを夜行もまた、受け止めてくれていると思っていたのに。

 果朶に、野望と呼べるものがあるとするなら、てんがいさんの向こうに続く果てのない大空を臨みたい、ただそれだけのことに過ぎない。


 夜行は再び、心を鎮めることに成功したようだった。

「お前は、それをも悟っていたのか。ああ、私は確かにお前の才を摘み取った。こうという手段を使ったため、時間は掛かってしまったが、それでも随分容易だったよ。お前は私を疑うことを知らぬのだから。──考えてもみなさい。この私に、果たして〈奇才〉以外の肩書が相応しいと言えるだろうか?」

 取り澄ましたような笑みを浮かべ、夜行は、自明の理として果朶に説く。

「私は、一番でなくてはならないのだよ。師儒たちの最頂点、誰もが到達できない高みに、常に身を置かなくてはならない。下層域の民のように、無益な一生を送るなどしてはならない」



 ──ほんの刹那。

 しょうどうしゃの窓に貼られた布を透かして、金の光が閃いた。

 ……稲光だ。


 同時に、言葉が脳裏を駆け抜けた。

『当たり前でしょ? 俺は、天才じゃないといけない。そうでないと、俺を拾ってくれた先生に顔向けができないし、それに』


 あれは、かつて自分が口にした台詞だ。

 そう悟った瞬間に、のような雷鳴が錘の国に鳴り響く。



「……そうですか。先生が、そのように権力と名声に固執なさるようになったのは、前より更に色彩の区別が付きにくくなっているからですか?」


 問うた瞬間、果朶は束の間、息ができなくなるかと思った。


 まるで、この世のすべてが息絶える間際にしか落ちないような、冷たく重い沈黙が駆動車の内を支配したからだ。


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