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「なんだって、これからここに? 急過ぎるにもほどがある」


「えっ、すっごく散らかってるんだけど! まずいって、すいしゅを通せる状態じゃないよ。お茶の用意とかもないし」


「あははっえんくん、それよりさぁ! 僕たちに、説明できるほどの進捗があったかなぁ!?」


 は微かに眉をひそめた。

 錘主は今まで、すいを介して報告を受け取るばかりで、地下室には来なかった。果朶も、開発に参加することになった折に会ったきりだ。


 それがどうして唐突に、来訪を決めたのだろう。


 しかも現在錘宮は、きょうそうの逝去に伴う執務に忙殺されているはずだった。

 当主が亡くなり、半月にも及ぶ弔事のために杏姓の官吏たちが休みをとったこともある。


 詳しい意図を確かめようと思った矢先、地下室の上にある第三書庫から、複数の足音が聞こえてきた。

 果朶は、溜息を吐いて立ち上がった。


「来てるもんは仕方がない。わざわざ片付けなくっていいよ、予告しなかった向こうが悪い。少なくとも設計図は決定稿だし、動力に関しても伝えられる事項はある」


「はっはっは。聞こえておるぞ、しょう掘り。すまんな、いきなり」


 愉快そうな笑いとともに、錘主が姿を現した。

 杏家に弔意を示すべく、白が基調の礼服をまとっている。背後にはじゅうきゅうきんもんかどもりを連れていた。護衛役として、追従させてきたのだろうか。


 拱手とともに低頭したじゅたちに、錘主は気さくな口調で声を掛けた。


「構わん、顔を上げてくれ。そこな一等書記官が既に伝えたかも知れないが、今日は一つ君たちに、研究の成果について話してもらおうと思ったんだ」


 気取らない様子の錘主に、几園あたりは毒気を抜かれたようだった。

 果朶はかえって胡乱に思った。

 まさか、本当にそれだけが目当てではあるまい。


「はぁ、それじゃあ簡潔に。まず、飛行機体についてですが──……」


 決して気乗りはしなかったが、果朶は、一つ一つきっちりと説明をしていった。

 専門知識を持たない錘主が分かりにくいと思わぬよう、てんがいりゅうのつくりを記した紙を示しながら略図を描いて解説し、実際に実験部屋でこうもしてみせた。


 はくたちが息をひそめて見守る中、果朶は、錘主を振り返った。


「飛行の際に必要なのは、すいしんりょくようりょくです。推進力は、行きたい方向に進むための力。揚力は、人や機体が浮くための力です。前者は地面に平行に、後者は垂直に作用する」


 果朶の話を腕組み姿で聞きながら、錘主は、ふむと浅く頷いた。

 あまりにあっさりした反応に、果朶はいささか不安になったが、錘主の曇りない眼差しを見るに、分かった振りをしているわけでもなさそうだ。


「他にも動力を付け加えてやる必要がありますが、主軸となるのはこの二種です。言わば菓子を焼く前に、穀物を挽いた粉とふくらし粉を用意してやるようなもの。これらがなければ、なにごとも始まらないというものです」


 果朶が用いたその喩えを、最初にしたのはだった。

 彼は最近、前にも増して咳がひどい。げつかんの娼婦たちも容態がよくはなく、雨禾はめっきり錘宮に来なくなった。


 からかうような顔つきで、錘主は果朶をちらと見た。


「ほう? あえて『穀物を挽いた粉』というまどろっこしい表現を選んだあたりに、なにやら含みがありそうだな?」


 果朶は内心、舌を巻いた。

 鋭い指摘だ。


 伯烏と几園が、あからさまに痛いところを突かれたといった顔をした。


「……おっしゃる通り。正直、ふくらし粉に関しては『ふくらませる』という一点を満たせればいいのですから、用意する側も気が楽です。なんなら粉でなくてもいい。『膨張する』という効能さえ押さえておけば、焼き上がりにはさして影響ありません。飛行の動力を編む上で、推進力はその立ち位置です」


 過去の資料を精査して、得られた最大の成果がそれだった。


 推進力を編み出すのは、きっとそれほど難くない。『正解』は何通りもあるのだから、どこかで掠めることができる。


 問題は、揚力だ。


「麦を挽くか、あわを挽くか。あるいは米やひえを挽くのか。挽くにしても、どの程度細かく挽くのか。それによって、仕上がりの食感や、加えるふくらし粉の量が変わります。最初の素材穀物の選び方で結果が大きく変わってくるので、慎重にならざるを得ない。現在は、揚力の開発に足踏みしている状況です」


 ほう、と錘主は頬のあたりを撫でた。


「なるほどなぁ。一番肝心なところができていないではないか」


 身も蓋もない言い方に、果朶は危うく額に青筋を立てるところだった。伯烏たちももの言いたげだ。


 同じ『できていない』でも、夏までとは質が違う。


 どんな条件が必要で、その必要な条件たちがどのように作用しあうか。果朶たちは、一つ一つ丹念に突き詰めた。


 それは、荒れ果てた土地の草木を整え、砂利や岩を取り除き、水路を引いて耕していく作業に似ていた。

 たとえ収穫がないにしても、ここにあるのは、鍬一つ入れたことがない放棄地ではない。


 けれども錘主は、あくまでも統治者だった。

 持ち合わせている価値観は、研究者のそれではない。


 伯烏たちには申し訳なかったが、果朶は一旦、頭を下げた。


「ご期待に沿えず、申し訳ございませ──……」


「問いたいのは、ただ一つだ」


 斬り付けるかのように遮られ、果朶は目を瞬かせた。


 人を見透かさんとする眼差しで、錘主は果朶を見下ろしていた。


「それで結局、飛べるのか?」


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