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 が予科生となることに、は決して諸手を上げては賛同できない。

 下層域の出であることが、少なからず足枷となる場所だからだ。


 しかし、慈々自身がそれを望むのなら話は別だ。

 寮での生活が嫌だとか、と離れたくないだとか、そういう理由で断念するなら構わないが、金銭が原因で諦めさせたくはなかった。


 こうは、微かに嘆息した。

「そこまでしてやる必要が? お前の気遣いは、行き過ぎていると思わぬでもない」


「才能があります」


 果朶は、端的に断言した。


「汽界の精度が非常に高い。彼は、俺の手を構成する游子のつくりを労せずして見定めました。伸ばせるところまで伸ばしてやりたい。実は俺がここにいるのも、三類のめいこくれい師儒に彼を紹介した帰りなんです。俺では、彼を指導するには力不足でしたから」


 思案顔で説明を聞いていた夜行は、果朶の最後の一言に胸を塞がれたような顔をした。

 とうがんに気遣いの色が浮かんだので、果朶は慌てて首を振った。


「違うんです、そんな顔をしないでください。俺は十分、満足していますから」


 掛け値なしの本心だった。


 学院予科に通っていた頃、果朶の身には活力が漲って、どこまでも羽ばたいていける気がしていた。ひたひたと満ちた知識が、自信になった。


 あの頃と比べれば、気力も気迫も、穏やかになっているかも知れない。


 それでも果朶は、ひどく息がしやすかった。


 これほどに安らかな心持ちで、禁苑に再び立って学院予科を目にする日があろうとは、思ってもみなかったのだ。


 安心させたい一心で笑んだ果朶に、夜行は驚いたように目を見張った。


「お前は、──……」


 言葉が続かなかったのは、夜行の背後に延びる小径を、一人の男が駆けてきたせいだ。

 彼の慌ただしいくつ音に、とうもろこし畑で地面をつついていた烏たちが一斉にばさばさと飛び立った。


「──申し上げます! 師儒に申し上げます! 家当主、せいほうさまがお呼びです! 急ぎ、邸にお戻りください!」


 娥家の従僕かなにかだろうか。

 息を切らして夜行に告げたその男は、張り詰めた顔をしていた。首筋を大粒の汗が伝っている。


 夜行は眉をはね上げた。

「向かおう。……果朶。また、すぐに会いに来なさい。しばらくは娥家から離れられないかも知れないが、私に用があるのだと言えばいい。お前の元気な顔を見ることができて、本当に良かった」


 口早に言い置くと、夜行はくるりと踵を返した。紺のうわぎを翻し、大股で禁門の方角へと去って行く。


 てんがいさんを吹き降りた宵の風が、ざわざわと草木を揺らした。

 彼らの影は、煙のように薄くなって、禁苑に延びていた。




 杏家当主、きょうそうの訃報を音信蝶が伝えたのは、その晩のことである。



 ◇


 それはあまりに突然だった。


 錘宮の地下室に下りてきたすいは、挨拶もそこそこに端的に告げた。


「これから錘主がいらせられます。飛行技術開発の進捗について、説明をお求めです」


 騒然となったのははくたちだ。


 うずたかく積まれた資料や、図表が貼られた樹皮板の間で手にしたせっを放り出し、互いに顔を見合わせた。

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