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「その……さんるいとうに用があって。髪は、他のすいの民と同じように染めました。金髪は、あまりにも目立ちすぎるので……」


 こうの前に立った時、はいつも、背筋を正さなければいけないという観念に襲われる。

 品格ある振舞いをし、無様な姿を先生の目に入れぬようにと努める。


 先生は手を止めると、どこか遠くを見る目をした。


「ああ、確かに。私も昔は、黒く染めていたものだ。人は、己と違うものを排除したがる。白いままでは、なにかと不都合があるからね──」


 染めたことがあったとは、意外だった。

 ゆるくうねって腰まで伸びる夜行の髪は、果朶が初めて会った時から雪のようなはくぎんだ。

 幼い頃、熱病にかかって以来、色素が抜けた状態で生えるようになったのだと聞いていた。


「先生は……お元気でしたか」


 尋ねた果朶に、夜行は鮮やかに微笑んだ。


 色香をまとったとうがんは威厳と慈愛に満ちていて、そう言えば先生は、包容力あふれるこの顔で多くの女性を虜にしていたな、と果朶はふと思い出した。


 果朶が姓を持った頃、中層域の上部にあった夜行の邸には複数の女性が出入りしていた。

 彼女たちは熱心に夜行を慕い、中には、崇拝に近い感情を注いでいる者もいた。


 夜行はあくまでも、彼女たちを対等に扱った。


 たった一人の恋人になりたいと迫ってくる者がいれば、鷹揚にそれをいなした。

 帰りたくないと駄々を捏ねる女には、節度のほどを教え諭した。


 お陰で、唯一夜行の懐に入り込んだ格好になった果朶は、彼女たちの負の感情をまともに浴びることになった。

 子どもにとってよくないからと、夜行が彼女たちを遠ざけたこともある。

 夜行が居ぬ間にやって来た愛人たちは、果朶を罵り、頬を張った。


 幼い肌に散ったあざを訝しんだ先生は、事情を知るとすぐさま家を引き払い、上層域に引っ越した。

 新たな邸には、留守を管理する使用人を置きさえした。


「私はなんら変わりない。お前こそ、どうなのだ? 五年間も顔を見せずに。ああ、随分と成長した。逞しくなって……声を聞かねば、気付けないほどだった」


 先生は感慨深げに果朶を見つめ、深々と息を吐いた。


 それはまるで、実の子どもと相対しているかのような態度だった。


 果朶の胸のあたりが苦しくなった。


「すみません。その……先生に合わせる顔がなかったので。会いに行くなら、せめて学費をお返しした後にしよう、と」


 夜行は目を見開くと、すぐさま首を横に振った。


「なにを言う。学費など、気にせずともいいものを。稼いだ金は自分のために使いなさい。お前が寄越した小切手は、そのままそっくり取ってある。今度、持って行きなさい」


 果朶は思わず、天を仰いだ。


 果朶が小切手を送らずとも、高名な先生は暮らし向きに困らないと知っている。

 それでもまさか、そんなことを言われるとは思ってもみなかった。


 黄金きんの夕陽が目を射して、眩しさに、今度こそ涙がこぼれ落ちそうだった。


「……先生」


「生憎と、私は家に招かれている身の上だ。留守は家僕に預けているから、用意しておくよう遣いを出そう」


 そう言えば、夜行は六月ごろから娥家に住み込み、相談役を務めていると聞いていた。

 痩躯の男のところの少年が、新たな住所を書いた紙を持ってきたことを覚えている。


 ふと、あることを思い付いて果朶は首を横に振った。


「でしたらそのまま、持っておいていただけますか。もしかしたら、俺の知り合いが学院予科に入るかも知れないんです。その時には、学費を出してやりたくて」

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