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 果朶かだの説明に頷きを返しながら、慈々じじは、きんえんの西をじっと見た。


「驚いたのだ。錘宮が、禁苑の奥まで延びているのだ」


 慈々が指摘した通り、錘の都市の側から見れば一直線だった錘宮は、禁苑の内側に立ってみると、二手に分かれていることが見てとれた。

 その内の片方は、ゆるやかに蛇行しながら天涯山てんがいさんに向かって延びている。

 禁苑の丘陵地帯を縦断し、天涯山より手前にあるこんもりした茂みのあたりで、ふっつりと切れていた。


 果朶の胸に、懐かしさが込み上げた。

「ああ、あれは錘内宮すいないくう。名前くらいは聞いたことがあるんじゃない? 錘主が暮らす区画だよ」


 官吏たちが政務を行う区画とは、完全に性質を異にする建物だ。錘主の他にも、錘主の家族や使用人、侍女たちが住んでいる。


 分水嶺に錘内宮を頂いている丘陵地帯は、禁苑の他の区域と比べても、明らかに華やかだった。

 斜面にある色彩が豊かなのだ。桔梗や白百合、萩などが植わっている。


 作物ではなく、観賞用の花ばかりを育てているその丘陵は、〈花苑かえん〉と呼び表わされていた。禁苑の中でも、面積あたりの利益が大きい区画だ。


 花苑の外れに、小さな建物が二棟見えた。ちょうど丘陵地帯の麓付近、錘内宮から見下ろせるあたりだ。

 それが、かつて自分が寝起きをし、雨禾たちと学んでいた学院寮と予科だった。


「錘内宮の先にある小さな茂みは、奥都城おくつきって呼ばれてる。つまりは葬地で、代々の錘主や貴族のお墓があるとこ」


 あれこれ慈々に説明しつつ、果朶は、玉葱畑やら豆畑やらの間に延びている小径を三類塔に向かって歩いた。


 なんとも不思議な心地がした。こうして再び禁苑に足を踏み入れる日が来ようとは、五年前は思ってもみなかったのだ。


 行く手から、紺の長袍がいとうを着た男が歩いてくるのが見えた。


 果朶はにわかに緊張した。

 あの装いは、本科の師儒しじゅに定められているものだ。


 互いの距離が近くなると、男の顔には、知り合いの面影があることが分かった。予科生時代の同輩だ。

 男はこちらを見はしたが、視線を留めはしなかった。


 果朶の肩から、力が抜けた。

 当たり前だ。

 もう、五年が経っていた。


 果朶の頬から肉は削げ、女のようだと言われていた肉体も、斎湖さいこでの労働によって引き締まっている。

 それに、なにより髪が黒い。

 気付かれなくても無理はなかった。


 水路の上に建っている三類塔へは、細い橋が延びている。せせらぎの上を渡った果朶は、入り口の扉を開いた。


 ひんやりとした、どこか鉄や塩に似た香りがした。


 ああ、まったく一緒だな、と苦笑が零れた。

 夜行やこうが三類の師儒だった頃から相も変わらず、この塔の一階は物置として使われていた。

 それなりに広いのだが、師儒たちが共同で使っている実験器具がごちゃごちゃと置かれているせいで、場末の骨董品屋も呆れるほどの有様になっている。


 誰かの内弟子と思しき者が、途方もなく散らかった一階で健気にも器具の手入れをしていたので、果朶は或令の居所を彼に尋ねた。

 見慣れぬ二人に怪訝そうな顔をしつつも、彼は、めい師儒でしたら四階の一番奥の研究室です、と応える。


 礼を述べて階段に向かうと、そこもまた資料やら何やらが山積みになっている。つくづく、来客に優しくない塔だ。

 各階の廊下にも、過去に実験に使った思しき模型がそのまま放置されている。


 師儒たちとすれ違うことはなかったが、器具と器具が擦れ合う音や、控えめな爆発音、小さな悲鳴などはあちこちから聞こえてきた。

 慈々が、神妙な顔で言った。

「驚いたのだ。実験とは、僕が思っていたよりも難しそうなものなのだ。爆発が日常的に起きるとは、思ってもみなかったのだ」


「……言っておくけど、こんなに爆発起こしてるのって、三類塔だけだからね?」

 一類と二類の師儒たちが、三類塔を爆発塔と呼んでいるのは公然の秘密である。


 四階の一番奥の研究室は、彗翅すいしと慈々の来訪が想定されていたせいか、既に扉が開いていた。


 ごく簡素な部屋だった。

 中央に机が置かれており、それを囲んだ十名弱の年若い師儒たちが、それぞれの編匣へんごうに向かって熱心に晶汽しょうきを編んでいる。


 一人だけ、奥にある書棚の前に佇んでいる師儒がいた。


 すっと伸びた背筋には、緩く結われた黒髪がかかっている。紺の袖から覗く手は、血の気が失せて白かった。


 顔を見ずとも、佇まいだけですぐに分かった。

 鄍或令こくれいだ。

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