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 更に言うなら、錘主すいしゅよりも雨禾うかのことを知っている果朶かだに対して『責めないでやってくれ』という台詞も傲慢だった。

 不敬にあたると分かっていながら、果朶はつい、尖った声を出していた。


「お言葉ですが、錘主。雨禾は、人が受ける痛みについて考えられる人間です。考えるだけではなく、手を差し伸べることができる。それこそが、人にとって失ってはならない理性だと、今も昔も知っている。彼への態度を決める時、その事実よりも重んじ、敬意を払わなければならないものはありません」


 果朶の脳裏を、懐かしい光景がよぎる。


 その日最後の講義が終わった、夕暮れ時の予科の教室。忘れ物に気付いて引き返した果朶の耳が、声変わり前の少年たちの声を捉える。


『あいつ、気味が悪いんだよな。不意に横に立たれると、石像かと思ってぞっとする。いくら異邦人とは言っても、肌の色がおかしいだろ』

『目の色素も、よく見たら薄いんだよな。純粋な黒じゃないっていうか。そのことに気付いてから、目を合わせるのが怖くなったよ』

 あけすけに語られる、悪意の数々。

 咄嗟に立ち止まった自分の影を、どこからかやって来た、もう一つの影が追い抜いた。


『やめなよ、そういうの。よくないよ。もしも本人が聞いてたら、どんな気持ちになるのかくらい考えなよ』


 迷いのない澄んだ声。扉の影をうまく使って、果朶の姿を少年たちから隠しながら、よう雨禾はそう言った。

 驚いた。それまで彼とは、話したことすらなかったから。


「そうか。余計な世話だったな」

 錘主は微かに目尻を下げた。

 先ほどの、近所のお兄さん然とした風貌が戻ってきていた。

「なに。秘密にしておきたいのなら構わないんだ、だから彗翅すいしは退室させた。我からの用件は、つまるところ直截的な勧誘だ。君に協力して欲しい、一人でも多く人手が欲しい。ある程度の実力が保証されているなら尚更だ。綺羅晶掘りとしての給金よりも、高値で雇うと約束しよう」


 果朶は首を横に振った。


 この錘主、なかなか食えない。

 人畜無害なふりをして、果朶の過去を知っているぞと圧をかける。人払いによって恩を着せるような真似をした後で、このような本題を持ち出してくる。


「私に価値はありません。交友関係を調べたとのことでしたが、卒試そつしの順位はご存知ですか?」


「二位だったな。──下から二位だ」


 事もなげに言い放つと、錘主は檜扇ひおうぎをぱちりと閉じた。

 それがどうしたと言わんばかりに小首をかしげ、かつての果朶を、完膚なきまでに打ちのめした事実をあっさり続ける。


「予科課程の最後の一年、記録に残っている君の順位は、惨憺たるものだった。定期試験も実技演習も、下位から見れば必ず五本の指に入る。当時の君に起こっていた『出来事』も、雨禾から聞いた。しかし──それまでの五年間は、一度も欠かさず上から二位だ」


 果朶は重たい息を吐いた。

 卑下と自嘲にまみれた言葉が零れた。


「でしたら、お分かりでしょう。私には、学院も研究も向いていません。六年間の集大成とも言える卒試で、そのような結果を残した。点数は、本科での配属先にも関わったのに。天才のやることじゃない」

「学院にとって、君にとって。『天才』とはなにを指すのか、我にはよく分からないが」


 錘主はゆっくり立ち上がった。存外に穏やかな眼差しで果朶を見る。


「天才でないのなら、価値はないか? 五年の間に得たものは、君の中に積み重なってはいないのか。実を結ばなかったからと言って、その根までもが枯れ果てるわけではないだろう? さっきの答えは、保留として受け取った。また、色よい返事を聞かせてくれ」


 果朶は無言を貫いた。


 錘主の言葉を受け入れたいのか、否定したかったのか。自分でも、分からなかった。



 天才でないなら価値はないか、と錘主は言った。

 そんなことはない、と果朶は思う。


 ただ、天才という梯子はしごを外されてしまった時に、果朶は立っていることができなかった。


「錘宮は、狭いでしょう?」


 彗翅が果朶を振り向いた。


 錘主との謁見を終えた果朶は、錘宮の長い廊下を、彗翅の先導に従って歩いているところだった。

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