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「実はな、礼を述べたかったんだ。綺羅晶を融通してくれたお陰で、我々がどんなに助かったことか。君の協力なくしては、立ち行かないことばかりだった」


 だから君に、ありがとうの言葉を、と。冕冠べんかんりゅうをしゃらりと鳴らして、錘主がいう。

  肩ひじ張らない様子からは、錘主が心のままに喋っていることが伝わってきた。


 果朶かだは咄嗟に狼狽えた。

「と……んでもありません、頭をお上げください。それに礼など、言っていただく必要もない」


 綺羅晶を用立てていることの謝礼は、彗翅すいしから受け取っている。これは公正な取引だ。

 首を横に振る果朶に、錘主は困ったような顔をした。


「堅いことを言わないでくれ。われは、本当に感謝しているんだぞ? そうだ、彗翅。すまんが席を外してくれ。繋ぎが付いた綺羅晶掘りがいると聞いて、我はずっと、その者と二人きりで話がしてみたかったんだ」


 突然の人払いに、彗翅が驚いた顔になった。

 けれどもあえて、なにかを言う気はないらしい。錘主と果朶を見比べると、一礼した後、命じられるがままに退室する。


 二人きりになった室内で、錘主はぱちりと扇を広げた。


 ひのきの清々しさに入り混じって、楚々とした白百合が香った。


「──さて」


 錘主は前触れなく口火を切った。

『さて』の『さ』の音が聞こえかけた瞬間に、果朶は背筋を伸ばしていた。


 伸ばそう、と思ってそうしたわけではない。ただ、果朶の背筋を伸ばさせるなにかが、錘主の声には宿っていた。


「うちの一等書記官には教えてやっていないのか? 君はあの、万年二位の異邦の天才なんだろう」


 果朶は言葉を失った。

 久々に耳にした呼び名だった。

 ──一体どうして、看破されてしまったのか。錘主の顔を凝視する。


この若い錘主と会ったのは、今回が初めてだ。

夜行やこうと同じ姓『』を持っているから、果朶の正体に辿り着いたのだろうか。

しかし『めい』や『きょう』とは異なって、『漓』は特殊な姓ではない。夜行は下層域の出身だし、他にも『漓』姓の平民はいる。

 そこまで考え、果朶ははたと思い至った。


「ああ、もしかして、──雨禾うかですか」


 おかしい、とは思っていたのだ。


 錘の戸籍を与えられ、夜行の養子と認められ、一国民としての権利を得てもなお、果朶はやはり異邦から来た民だ。

 なにかの拍子で、異邦の記憶を取り戻さないとも限らない。

 あるいは明日明後日にも、新たな異邦人が天涯山で発見されるやも知れなかった。その際に果朶を間に置くことは、有効な手段である。記憶がなくとも、共通の外見を持っているというだけで、相手の警戒を解くには十分だ。


 なにはともあれ、積極的に庇護せずとも、果朶の居場所と状態くらいは把握しておくのが錘宮側にとって然るべき処置だった。けれども果朶が学生寮を去った時、錘宮は反応を示さなかった。


 そして、果朶が家を探している最中に、不意に姿を現した雨禾。


 偶然にしてはできすぎている。


「なんとまぁ。知っていたとは、驚いたなぁ」

 錘主は静かに微笑んだ。

 どこか、怜悧れいりな面差しをしていた。


「うん、実はそうなんだ。われが雨禾に命じておいた。学院を辞めた君に、偶然を装って再会し、なにか変事が起こった時、気付ける距離にいてくれと。だから彗翅が君に狙いを定めた頃に、錘宮の書記官が接触しているようだと、我に報告をくれたんだ」


錘主のまとう雰囲気が、先ほどとはまるで違っていると、果朶は気付く。

漆黒の袍にも、冕冠にも。完全に『着られていた』はずなのに。


今はすっかり、それらを『引き立て役に回している』。


「異邦からやってきた少年が、学院を去ると聞いて、失礼ながら君の交友関係を調べさせてもらったよ。その上で、君と適度に仲が良かったよう雨禾を、錘宮の協力者にしようと決めたんだ。彼を責めないでやってくれ。我に突然呼び出されて、大層困惑していたよ。それに、随分と渋っていた。いくら錘宮の頼みであっても、旧友を騙す真似はしたくない、とね」


 果朶は小鼻に皺を寄せた。

 雨禾が抱えている背景に薄々気付いてはいたものの、こうやって聞かされると、やはりそれなりに不愉快だった。


 苦い経験に耐えかねて、新しい生活を始めようと上層域を飛び出しても、果朶は結局、錘宮から注がれる眼差しを完全には振り切れない。異邦人である以上、この国で、真の自由は得られない。

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