10
◇
錘の国の民の中には、錘宮は贅を尽くした絢爛な場所で、煌びやかな調度と内装に溢れ返っているのだろう、と考える者も少なくない。
とんでもない、と
むしろ逆だ。
茶色い蛇のように細長い錘宮は、その中央に、串を通すようにして廊下が一筋走っている。
廊下の両脇には、
簡素であることこの上ない。
元はと言えば、地歴元年。禁苑の面積が乏しい頃に、天涯山の開拓に従事する者たちの宿舎として、設けられた建物だった。
禁苑は、拓かれていくにつれ、宿舎に加えて
そこで宿舎を中心に、
錘宮の、彗翅に案内された小さな部屋で、果朶は、ここ数年は実践する機会もなかった礼儀作法を記憶の隅から引っ張り出して、危なっかしい
「錘主に
余計なことは口にするまい、と決めていた。
慣れない美辞麗句で飾り立てた挨拶を述べでもして、うっかり失礼な言い回しをしたら堪らない。錘主に気に入ってもらいたくて来たわけではないのだから、最低限、不興を買わない立ち居振る舞いができればよい。
けれども、そこまで考える必要はなかったらしい。
「うんうん、よく来てくれた。顔を上げてくれないか? 畏まる必要はないぞ。
跪いた果朶の前方。申し訳程度に一段高くなった上座から、明るい声が降って来た。
裏表のなさそうな声色だが、本当に顔を上げてもいいのか迷うところだ。
しばらく逡巡していると、衣擦れの音がして、果朶の前に影が差した。
「よっ、と」
軽やかな掛け声とともに、果朶の顔が持ち上がる。
顎の下に
「おお、男前だなぁ。男前というか、どえらい美人だ。こりゃあ引く手数多だろ? 道理でうちの書記官が、珍しく熱を上げるわけだ」
果朶は言葉も出ないまま、正面の顔を見返した。
失礼を承知で言うのなら、平凡な顔立ちだ、と思った。
眉はすっきりとして形がよく、広い額は清潔感があるものの、気迫も威厳もさほどない。この国の最上位である漆黒の袍に身を包み、錘主にしか許されない
せいぜいが、話しやすくて面倒見がいい近所のお兄さん、といった風情である。
「おやめください、錘主。私のことはいいんです」
彗翅が耐えかねたように口を挟んだ。
彗翅は、つい先ほどまで錘主が座していた
「それに、差し出がましいようですが。果朶さまが素敵なのは、お顔だけではありません。私が初めて求婚した時、気持ち悪いと言いつつも、私が足を捻っていないか確認しておられたのです。心の優しい御方です」
彗翅の解説を聞く内に、果朶は苦い顔になった。
彗翅の『結婚してください』を、本気だと勘違いした過去の自分が恥ずかしかったし、怪我の有無に関しては、さり気なく確認したつもりだったのに。知られていたとは、予想外だ。
錘主は、楽しげに微笑んだ。
「そうかそうか、失敬した。失礼なことを言ってしまったな」
果朶は大きく息を呑んだ。
次の瞬間、果朶の顎を檜扇から解放すると、錘主は床に座り込んで、深々と頭を下げたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます