13


 素っ気ない廊下だった。朽葉色くちばいろをした床に、窓から落ちた陽が躍っている。


 錘宮すいぐうの中に居ると、外が夏の盛りであることを忘れてしまいそうだった。


「貴族たちの屋敷の方が、よほど立派で広いはずです。なにせ、この建物が錘宮となったのは、成り行きに過ぎません。初代の錘主すいしゅは、禁苑きんえんの収穫量を増やして食料の供給を安定させることに余念がなかった。自ら開拓を先導し、宿舎に何日も泊まり込んだ。結果として、この長城ちょうじょうには政治の中枢という役割も付与されることになりました」


 暑くないからだろう、と果朶は思う。

 壁には提灯のようなものがかかっていた。昼間だから灯していないのかと思いきや、そもそも蝋燭ろうそくが入っていない。

 手のひらを寄せてみると、ひんやりと冷たい空気が肌を撫でた。


「歴代の錘主の中には、錘宮の手狭さを嘆いた者もいました。そういった錘主たちは、錘宮の増改築に取り組んで、一部階数を増やしたり、地下室を作ったり、別棟として錘内宮すいないくうを設けたりした。地下室に関しては、土質の都合上、深い場所にしか掘れなくて、完成後も碌に使われなかったようですが。行き来をするのが面倒だから、と」


 中に晶汽しょうきが入っているのだろう、とすぐに悟る。

 なにか、冷たいものを模した晶汽を提灯に入れ、壁にかけて暑気払いとしているのだ。


「私たちが使っているのは、その放棄された地下室です。果朶かださまはご存知だと思いますが、動力開発の研究は、それなりに道具も必要で場所を取ります。空を飛ぶ道具の模型だって、広々とした空間で組み立てる必要があった」


 なるほど、と頷いた果朶は、打って変わって下級官吏の装いをしていた。

 落ち着いた紺のうわぎに、濃い灰色の帯。髪を結って、幞頭ぼくとうをかぶっている。こっちの方が悪目立ちしませんからと、彗翅すいしが用意してくれたのだった。


 彗翅が、不意に申し訳なさげな表情になった。

「迂回ができないのが、錘宮の悪いところです。もうすぐ、書記官室しょきかんしつを通ることになるのですが。果朶さまには、面倒な思いをさせてしまうかも知れません」

 初めて聞く単語を、果朶は鸚鵡返しに呟いた。

「書記官室」

「はい。三等書記官や二等書記官のほとんどが、そこに常駐しています。議事録の整理をしたり、官吏たちからの要望に応えて資料探しや文書の作成をするんです」


 書記官という職業の概要は知っていたが、勤務時の具体的な様態まで知らなかった。彗翅の話は新鮮だった。


「三等書記官と二等書記官だけ? あんたは?」

「一等書記官は、高位官吏の専属です。部局の長官や次官の付き人として傍に控え、公的文書の作成や資料作りの補佐などを行います。若輩者の分際で恐縮ですが、私は錘主の専属です。人事局の指示ではなく、論述試験の解答が気に入ったからと、錘主直々にご指名をいただきました」

「……なるほど」

 果朶は唇の端を歪めた。彗翅が言った論述試験とは、二等書記官が一等書記官に昇進する際に行われるものだろう。


 あの錘主、やはり食えない。いくら解答が良いにしても、そのようなことをすれば、彗翅の立場が微妙なものになると安易に予想がついただろうに。

 錘主は半ば自覚的に、ただでさえやっかみの素材がたっぷり入った煮込み料理に、これでもかというほどに香辛料をまぶしたのだ。


「果朶さまは、ごく普通の官吏の真似をしておいてくださいね。書記官は、錘宮での身分で言えば官吏よりも低いので。無暗に話しかけてくることもないはずです」


 不意に、濃く白百合が香った。


 それに混ざって、紙と紙が擦れる音や、圏椅いすを引く音、控えめな話し声などが徐々に近くなってくる。廊下の幅が広くなり、机が並んだ空間が左右に現れた。


 書記官室には、ざっと三十名ほどの書記官がいた。


 灰色の袍を着た三等書記官や、くすんだ銀色の袍の二等書記官。彼らは忙しなく行き交って、百合が活けられた机の間で資料を見せ合い、あれやこれやと話し込んでいる。あるいは席から動かずに、無心で筆を走らせている者もいる。


 彼らの年齢はまちまちだが、全員が男性であることに果朶は気付いた。


 洗い上げたような純白の、一等書記官の長袍は人目を引く。


 彗翅が数歩もいかない内に、廊下側の机を使っていた一人の書記官がこちらを認めて、隣の書記官を肘で小突いた。

 小突かれた書記官は訝しげに顔を上げると、彗翅を見付けて心得た表情になる。それから、最初の書記官と意味ありげに目配せし合った。


 果朶は黙って目を細めた。

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