7
「はい。
果朶は、今度こそなにも考えられなくなった。
──飛行技術の開発に、携わる。
自分が?
天涯山を越えるために?
「な……にを、馬鹿なこと言ってんの」
絞り出した声は掠れていた。
何度も首を横に振って、果朶は後ろに数歩下がる。
めまいがしたので、
「それこそ無理でしょ。俺じゃ力不足だよ。ていうか俺が錘宮に行ったら、綺羅晶はどうするの? 融通する人、いなくなるでしょ」
「それはなんとか考えます。少なくとも、果朶さまが力不足だなんてことは有り得ません。先ほどあんなに的確に、設計図の問題点を指摘したではありませんか!」
彗翅は一歩も引こうとしない。
それどころか貴重な人材を逃すまいと言わんばかりに、拳を握って力説してくる。
「どうか一度、見学だけでもいらして下さい! 次の休みに、ご自宅までお迎えに上がります。今月の家賃収集はいつですか?」
「──五日後だねぇ」
答えたのは、果朶ではなく
いつの間に帰ってきたのか、廊下と炊事場の間にある仕切りのための布を持ち上げ、のんびりと微笑んでいる。
雨禾の後ろには、煙草の包みを手にした娼婦たちの姿があった。
「ちょっと、雨禾。なに勝手に教えてるの」
果朶は抗議の声を上げたが、
「あら、なぁに。果朶と彗翅ちゃん、どこか行くの?」
「お出かけ? 二人で? 良かったじゃない! これで一歩前進ね!」
蝶を追い掛ける童女のように楽しげに頷き合い、頑張るのよ、と彗翅に向かって声援を送っている。
果朶はもう、なにも考えたくなくなった。
◇
空を飛んで天涯山を越えるなら、手本にするのは鳥が良い。
だから果朶は、暇さえあれば鳥の模写を続けてきた。
どんな身体をしているか、共通する部分はなにか。早く飛ぶ鳥、高く飛ぶ鳥。それらの身体に、違いはあるか。
『観察し続けなさい』
果朶にそう言ったのは先生だった。夕陽を浴びて、光り輝く禁苑の水田で。
その時、果朶が見ていたのは汽界だった。
おびただしい数の游子が、酔ってしまいそうなほど散らばっている。
静止している、淡い緑色をした游子。ゆったり流れる、深い青色の游子。透明に近い白の游子が、煌めきながら飛んでいく。
静止しているかに思えた緑の游子は、目を凝らして再度見れば、わずかばかり震えていた。
『お前はまだ、経験が浅い。今は、色とりどりの砂の中に放り出された気分だろう。けれども観察を続けることで、砂粒の違いが判ってくる。彼らはてんで異なるものだ』
大きいもの、小さいもの。
震えているもの、動いているもの。
他の游子を引き付けやすいもの、反発して距離を取りがちなもの。
それらの組み合わさり方は何千通りもあるのだと、先生はゆったり笑んだ。
『観察し続けなさい、果朶。そして、正確に見極められる人間になりなさい。游子に限った話ではないよ。先人たちは数百年間、そうやって価値あるものを創ってきたのだから』
──果朶の炭筆が描いた鳥は、もう何羽になるだろう。
学院を辞めた時に、以前の模写は捨ててしまった。けれども綺羅晶掘りとしての生活が落ち着くと、空いている時間に、気付けば
見定めたいものなど、なくなってしまっても。それはもう、果朶の習慣となっていたから。
「……朶。果朶」
肩を叩かれ、居間の圏椅に座っていた果朶は、はたと顔を上げた。
長い前髪に隠れた目を優しく細め、雨禾が果朶を覗き込んでいた。
「鳥、描き終わった? 彗翅ちゃんが待ってるよ」
果朶は露骨に顔をしかめた。
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