果朶かだは咄嗟に真顔になった。

 それをどう捉えたのか、彗翅すいしが説明を加えてくれる。


「自力飛行に成功したのは、今のところ音信蝶おんしんちょうのみですから。構造を模倣してみることにしたようです。なんでも、胸部のあたりに、人が乗る場所を作るとか。私もこういったことには詳しくないので、開発の担当者から聞いた話を、そのまま伝えることしかできませんが──……」


「いや、無理でしょこの設計」

 果朶は思わず呟いた。

 呆れのあまり、自分の口が動いていることにさえ気付かなかった。


「こんなんで空を飛べるって、本当に思ってる? だいたい、天涯山てんがいさんを越えるための乗物と音信蝶じゃあ、そもそもの目的が違う。音信蝶は人が乗ることを考慮してない道具だよ。声の游子ゆうしを再現した晶汽しょうきを乗せて、それが人の耳に届くほどの位置を飛べれば十分。だから重たい羽を四枚も付けられたけど、天涯山を越えようっていう乗物で同じことをやってるんじゃあ、的外れにも程がある。進む方向だって、垂直と並行っていう違いが──……」


 果朶ははたと言葉を切った。

 自分が喋っていることに、ようやく気が付いた。


 ──やらかした。


 顔をひきつらせて彗翅の様子を窺えば、呆気に取られて果朶を見ている。


「や、違う、なんでもない。なんでもないっていうか、俺はなにも言ってないっていうか。ちょっと一旦忘れてくれる? だいたい設計図って大事なものでしょ。部外者にほいほい見せて大丈夫なの?」

 言い訳を、考えてみなかったわけではない。けれども動揺が強すぎて、思考はすべて上滑りした。

 果朶が慌てて突き返した設計図を、彗翅もまた狼狽しながら受け取った。


「え、いや、部外者というか。果朶さまは、協力者の側でしょう? 綺羅晶きらしょうを提供して下さっているお陰で、飛行技術の開発が順調に進んでいると、伝えておくのが筋ではないかと……」

「どこが順調!? ……いや、えっと」

 果朶は黙った。


 これ以上余計なことを言う前に、この場を逃げ出すのが最適解だ、と思った。


「じゃあ、俺は帰るから。いい加減、もう眠いし? 雨禾うかにもそう伝えてくれる」

「あ、はい。分かりました、お気を付けて。……って、そんな簡単にお帰しするわけないでしょう!?」

 そそくさと立ち上がった果朶の前を、通せんぼをする格好で彗翅が塞ぐ。半端な言い逃れは許さないと言わんばかりに、果朶をじっと見つめてくる。


 元々がぱっちりとした瞳なだけに、迫力があった。


「一体、どういうことですか? もしかして果朶さまは、動力の開発や音信蝶に造詣が深いのですか。お願いですから、教えてください。私たちは、生半可な覚悟で飛行技術の開発に臨んでいません。どんなに些細な知恵であっても必要なのです!」


 果朶は深々と嘆息した。

 彗翅に覚悟があることは知っている。それに、先ほどの発言は、流石に誤魔化せる範疇を越えていた。

 ここでしらを切り通しても、一等書記官である彗翅にとっては、果朶の素性を調べ上げることくらい容易だろう。


「造詣が深いっていうか。……遥か昔に、学院にいたことがあるだけだよ。本科じゃなくて予科だけど。予科課程の修了後は、三類志望だった」


 ぼそぼそと身の上を白状した後、果朶は急いで弁明の文句を付け足した。

 驚きで丸くなった彗翅の目に、非難の色が過ぎったら嫌だと思ったのだ。


「ただ、言わなかったのに他意はないよ。飛行技術の開発には、錘主の伝手で集まった師儒しじゅたちが携わってるって聞いたから。優秀な人たちばかりだろうし、俺は、そこに出張っていこうって考えるほどの思い上がりじゃない。言う必要がなかっただけ」


 今の果朶は、もう天才でもなんでもない。挫折に耐えられず学院を去った負け犬だ。

 果朶を初めて目にする者に、『彼があの、異邦から来た天才か』と言わしめてきた金の髪を染めた時から、優秀だった日々は忘れて大人しく生きていこうと決めたのだ。


 彗翅は微妙な顔になった。

「その……錘主だから優秀な人材を集められるとは限らないんです。むしろ、逆というか。有能な師儒ほど、賢裔三家けんえいさんけと関係が深いので」

「え?」

 驚いた果朶だったが、考えてみれば、確かにその通りなのだった。


 賢裔三家は、禁苑の管理を請け負っている。

 穀物の生育や、収穫量に気を配る必要があるので、品種改良や肥料開発を専門とする本科二類とは蜜月の仲だった。三類も、耕作機具などの開発を通して浅くない関係を築いている。


 ひょっとして、否、ひょっとしなくても。


 錘主が集められる師儒というのは、どこからも注目されていない『あまりもの』ではなかろうか。


「ですから、汽界を見ることができて、なおかつ游子や晶汽の知識を持った人材は、一人でも多く欲しいのです。そのような経歴をお持ちなら、是非とも錘宮にいらしてください!」


 彗翅の言葉を理解しかねて、果朶は咄嗟に呟いた。


「……錘宮に」

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