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「言葉を選ばずまとめるのなら、まさにその通りです。果朶かださまは、とても頭が切れるんですね。もちろん、そういうところも魅力ですが……」


 彗翅すいしは、心苦しいと言わんばかりに目尻を下げた。果朶かだは、ざらついた心地で、壁際の棚に並べられた茶碗や皿を、意味もなく目で追った。

 最年少で一等書記官となった天才に頭の出来を褒められても、なんの感慨も湧いてこない。


「断るね。俺は金に困ってない。前提として、あんたには身分があるけど、俺は無力な国民だ。あんたとの遣り取りが学院に露見して、問題視されでもしたら為す術がない」


 すべての綺羅晶きらしょうは組合に納めるべし。それが、綺羅晶掘りが守るべき取り決めだ。

 法律ではなく、組合の規定によるものだったが、学院側との協議の末に決まったそれから逸脱すれば、当然糾弾の対象となる。厭朱えんじゅは関与していない体を貫いて、果朶かだ一人に責を負わせようとするだろう。


「もちろん、果朶さまが職を失わないよう、錘宮すいぐう側が取り計らいます。私をこちらに遣わしたのは、低くない地位におられる御方。ある程度のことであれば、解決が可能かと」


果朶は首を横に振った。

彗翅がそう言うのなら、懸念点は他にもあった。


「そう。じゃあ、失職する心配は、一旦横に置いておこう。でも、なんで〈東濠とうごう〉には行かないわけ?」

 彗翅は視線を逸らさないまま、睫毛だけを微かに揺らした。


 あからさまに狼狽えたり、表情を取り繕ったりしないところが、等身大で潔いと、果朶は思った。

 書記官としてしたたかに振る舞いつつも、若さゆえか、狡猾にはなり切れない。


「低くない地位にいるんでしょ? それなら〈東濠とうごう〉と交渉するのが、一番手っ取り早いよね。貴族からの寄附金で成り立ってる〈東濠〉の連中は、あんたの背後にいるような人間にこそ、まさに頭が上がらないんだから」

 にも拘らず、彗翅は〈望淵ぼうえん〉に交渉に来て、果朶を相手に食い下がっている。

 それが意味するものはなにか。

 果朶は、導き出した結論を彗翅に告げる。


「都合が悪かったんじゃないの? 逆に。〈東濠とうごう〉だと、色んな貴族と関わりが『あり過ぎる』から」


 彗翅はなにも答えない。ただ目を見開いて、じっと果朶を見つめている。


 否定しないのが答えだと解釈し、果朶は、おもむろに席を立った。窓辺に寄って、緋否ひひが眺めていたように、月季館げっきかんの前の廻廊を見る。


「──あんたの背後にいる人間は、学院だけでなく、他の貴族の視線をも恐れてる。つまりあんたの交渉は、政治的にも少なくない意味がある。それも、穏便ではない意味が」


 軋んだ物音が近付いてくる。

 支度を終えて戻ってきた雨禾うかが、あえてはっきり足音を立て、先触れ代わりとしているのだ。


「巻き込まれたいって誰が思う? 俺の願いは一つだけ、これ以上関わんないで。大人しく諦めて、無理でしたってあんたの主人に報告して」


 彗翅はようやく微笑んだ。

 ぱっちりとした大きな瞳が、朗らかに綻んだ。


「それでも私は、あなたのお嫁になりたいんです。頷いて下さるまで、追いかけますね」


 炊事場に入ってきた雨禾うかが、彗翅の宣言に苦笑を浮かべる。


 果朶はとうとう頭を抱えた。

 廻廊には、二羽の小さな椋鳥むくどりが留まっていた。



 彗翅すいしは実際諦めなかった。

 次の日から、〈望淵ぼうえん〉や月季館げっきかん喜婆きばあ湖門こもん果朶かだの行きつけの屋台にまで、どこからともなく現れて、結婚してくれと飽きもせずに笑顔を浮かべる。


 困惑していた果朶の周囲も、程なくして彗翅に慣れた。

 特に綺羅晶きらしょう掘りたちは、その傾向が顕著である。


『最初は何事かと思ったが、果朶の追っ掛けだったのか』『嬢ちゃん、また振られたって? 明日も行ったれ!』などと言うのは、まだ可愛げがある者だ。

 調子のいい者たちは、『果朶が折れるに三十銭』『嬢ちゃんが諦めるに三十五銭』と、賭けを始める始末だった。


 彗翅の身分は、華々げげ慈々じじ厭朱えんじゅなど、一握りの人間しか聞かされていない。

 特に、彗翅が持ち掛けた交渉について知っているのは、果朶と厭朱のみだった。

 彗翅は決まって、人目が逸れた隙を狙って、果朶にこそりと囁いた。


 ──どうでしょう。考えてくれましたか?

 ──質のいい綺羅晶は、一きん五十銭ほどでしょう。錘宮では、二百銭をお出しします。

 ──少しだけで良いのです。最初は一つからでも構いません。


 果朶はその都度首を振った。自分以外の綺羅晶掘りや、あるいは厭朱に交渉するよう、繰り返し逃げを打った。


 けれども彗翅は聞き入れない。果朶さまが良いのです、また来ますね、と去って行く。


 果朶は、心底うんざりした。一体いつまでこの遣り取りを繰り返せばいいのだろうと、雨禾うかを相手にぶつくさぼやいた。

 旧友である雨禾には、彗翅の来訪が五指では数えきれなくなったあたりで、彼女がめい姓の書記官であること、厄介な取引を持ち掛けてきていることを教えている。


 雨禾は、さあ、いつまでなんだろうねぇ、と風に吹かれた大樹のように首を傾げた。どちらにも肩入れせず、成り行きを見守っている節があった。


 果朶の問いに対する答えは、七月半ばに訪れた。


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