14


 互いに顔を寄せ合った娼婦たちが、彗翅すいし果朶かだを見比べて、ひそひそと囁いている。


「素敵だわ。美辞麗句を並べるよりも、率直な言葉の方が、かえって胸を打たれるものよ」

「度胸があるわね。確か一回振られてるって言ってたわよね?」

「二回だった気がするわ。それでも結婚したいだなんて、健気よね」


 紅灯廻廊こうとうかいろうに面した娼館、月季げっきかんの炊事場である。


 陽はとっくに高みに昇り、最後の客を送り終えた娼婦たちは、風呂上がりの濡れ髪を背中に垂らしてくつろいだ出で立ちだった。


「ごめんね、果朶かだ。果朶に求婚したくてやって来た、ここで待ちたいって頼まれて。断ろうかと思ったけど、小姐しゃおじぇたちが面白そうだし良いじゃないって」

 湯気の立つ薬湯を娼婦たちに供しながら、困った様子で雨禾うかがいう。

 前髪の下に見え隠れする双眸に、申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。


 雨禾うかはこの月季げっきかんで、娼婦たちの付き人として働いていた。主な仕事は、衣の支度や手紙の手配、軽食の用意などだ。


「嫌だわ、雨禾ったら。人のことを野次馬みたいに」

「ひたむきな女の子を、無下になんてできないじゃない」

「頑張るのよ、彗翅すいしちゃん。果朶かだは、見た目の割に口が悪いし、可愛げもないけれど。面倒見だけはいいから、めげないで突撃するのよ」

 てんで好き勝手なことを言い合った娼婦たちは、薬湯を飲み終わると、ぞろぞろと炊事場を出ていく。あまり長く居座ると、文句を言われると踏んだのだろう。


 残ったのは、果朶と雨禾。彗翅、それに、月季館の女主人である緋否ひひだった。


 緋否は、窓の脇の圏椅いすに腰掛け、ぼんやりと長煙管をふかしていた。


 横顔が、はっとするほど美しい。頬骨のあたりは肉が削げてすっきりしており、鼻梁は高く、睫毛は影が落ちるほど長かった。


 果朶は、しばし緋否ひひを眺めた。


 月季館の女主人を、果朶は密かに気に入っていた。正確に言うなれば、彼女が吐き出す紫煙の游子ゆうしを、気に入っていた。


 虹彩に力を込めると、薄碧色うすみどりいろをした游子たちが、煙管の先から流れ出ていくのが汽界に映る。木漏れ日に似た模様を描いて、窓の外へと消えていく。


 不思議と懐かしい気持ちにさせられる游子ゆうしだった。


 紫煙の游子は、煙草に調合される成分と、吐息の具合によって異なる。

 詰めた煙草を吸い終わると、緋否はふらりと立ち上がり、三人に一瞥もくれないまま炊事場を去っていった。


『心が壊れているんだよ』


 果朶が初めて月季館を訪れた時、雨禾はそう説明した。

『二十代の中ごろから。将来を誓った幼馴染に、裏切られて以来。大姐たーじぇの心は時を刻むのを止めてしまった。もう四十を超えてるけど、外見だって、その時から変わらないって先代の主人が言ってた』

 話し掛けても反応に乏しくて、滅多に言葉を発しない。

 それでもそうの腕前は見事なもので、話さなくても、床入りをしなくても良いからと、曲を聞くためだけに通う客が後を絶たなかったのだという。

 気付けば高級娼婦となっていて、月季館に箔付けするべく、女主人の地位まで用意された。実際の取り纏めは、他の者が行っている。


「俺もそろそろ上がりだし、ちょっと支度してくるね。彗翅ちゃん、果朶と話をしたいんだったら、今のうちに済ませておくといいよ」

 そうとだけ言い残して荷物を取りに行った雨禾を見るに、彗翅から、彼女の姓や職について、明かされてはいないようだった。


 静まり返った炊事場で、果朶は、彗翅の向かいの圏椅に座って、深々と息を吐いた。

「いい加減にしてくれる? だいたいね、紅灯廻廊ってのは良家の子女が来る場所じゃないんだよ。上層域じょうそういきなんかと違って、治安がかなり悪いんだから」

 娼館だけに留まらず、賭場や飲み屋が集まる通りだ。些末なことで言いがかりをつける酔っ払いも少なくない。

 今朝だって、屋台の鹹豆奬シェントウジャンが値上がりしたと、若い売り子に食って掛かっている男がいた。


「すみません。ですが〈望淵ぼうえん〉ではできない話があったのです」


 真剣な表情で返されて、果朶は言葉を呑み込んだ。

 底抜けに明るい笑みを引っ込めて、彗翅は、唇を引き結んで果朶を見ていた。


厭朱えんじゅさんから、果朶さま個人と交渉する許可を得ました。──相場の三倍、お出しします。いかがでしょう? 採掘した綺羅晶きらしょうを、私に融通しませんか」


 果朶は顔を引きつらせた。


 とんでもない流れになった、と思った。


 放り投げた賽子さいころが、思わせ振りに回転し、七の目を出してきた気分だった。


「要するに、なに? あのくそ厭朱えんじゅ、自分が矢面に立つ代わりに、俺を犠牲にしたってこと?」


 よっぽど彗翅が粘ったに違いない。

 厭朱は『その取引には乗れないが、所属している綺羅晶掘りが、組合への納品前に間引いた分に関しては、さして追及しはしない』などと言い、彗翅への譲歩を示したのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る