12


 地歴ちれき元年。岩穴に生まれた人類をまとめあげ、国を興した初代の錘主すいしゅには、〈三賢さんけん〉と称される三人の忠実な家臣が付き従っていた。


 礎石そせきを岩盤に埋め込んで、人戸を建てる方法を広めた貴凰きおう

 天涯山てんがいさんの細流を禁苑きんえんに引き、灌漑の手法を教えた飛燕ひえん

 そして〈汽界きかい〉の存在と、汽界きかいを飛び交う游子ゆうしの流れが動力となり得ることを伝えた芳銖ほうじゅである。


 彼ら〈三賢さんけん〉の子孫たちは、今でもそれぞれ〈賢裔けんえい三家さんけ〉と称されて、格式高い名家として遇されていた。

 この少女──彗翅すいしが名乗った姓『めい』は、芳銖ほうじゅの子孫が持つものだ。


「……そう。まあ、今朝方ちょっと行き合っただけで俺のこと綺羅晶きらしょう掘りって見抜いたくらいだし、あんた、勢いがいいだけの馬鹿ってわけでもなさそうだよね」


 俺は漓果朶りかだ、この組合〈望淵ぼうえん〉に属してるしがない綺羅晶掘りだよと。渋々ながら名乗った果朶かだに、彗翅すいしは身を乗り出した。


果朶かださまですね! やっとお名前を知れました。ところで、私が〈望淵ぼうえん〉を訪れたのは、とある御方の『お願い』を伝えるためでして──……」

 そして彗翅が続けた台詞に、果朶は目を見開いた。



 雨はやはり通り雨に過ぎなかった。


 果朶かだが〈望淵ぼうえん〉を後にして、夜の荒野に黒く伸びる湖柵こさくへと着いた頃には、とっくに雨雲は流れ去って、半分に欠けた月が中天にぽかんと浮いていた。


「遅かったじゃないか、の旦那。てっきり今夜は休みかと思ったよ」

 門守かどもり喜婆きばあがそう声を掛けてくるのを、ちょっと野暮用があったんだよと適当に誤魔化して、果朶は、虫除けのための篝火が燃えている湖門こもんの詰所を通り抜ける。


 とたん、あたりが嘘のように静まり返った。


 むろん、それは正確ではない。耳をすましさえすれば、詰所の篝火が爆ぜる音や、下層域かそういき廻廊かいろうで酒盛りをしている男たちの喧騒さえ伝わってくる。


 けれども、遥か彼方にこんもりと生い茂る湿地林〈斎湖さいこ〉を除き、目立った物影も見られないこの荒野に立った時、果朶はいつも、世界が切り替わった心地がするのだった。


 背後に続く華々げげ慈々じじは、しきりに果朶の背中をつついている。

「僕たちは気になるのだ。あの客人と厭朱えんじゅとでなんの話をしていたのか、ちょっとくらい教えてくれてもいいのだ」


「ちょっとくらい教えてくれてもいいのだ。このままでは気になり過ぎて、夜もおちおち眠れないのだ」


「夜もおちおち眠れないのだ」


 慈々じじの台詞に、果朶は歩みを止めることなく軽く肩を竦めてみせた。

 そもそも綺羅晶きらしょう掘りたちは、元から夜型の生活だ。


「悪いけど、俺から言えることはなにもないよ。て言うか足元に集中しないと、今夜限りの命になるよ?」


 それは決して、話を逸らしたいがための脅しではない。


 綺羅晶掘りという職業は、いつだって死の危険と隣り合わせだ。


 斎湖さいこへと近付く毎に、荒野の地盤は緩くなる。

 果朶たちの足元も、湖門こもんを出た時と比べて、格段に柔らかくなっていた。

 一歩足を進めると、踵のあたりがやんわり沈む。いつ底なしの泥濘ぬかるみを踏み抜いてもおかしくない。


「確かにそれもそうなのだ。喋っていては、注意が疎かになりかねないのだ」

「注意が疎かになりかねないのだ。斎湖で生き埋めになるのはごめんなのだ」


 二人は大人しく口を閉ざした。

 初夏の夜風が吹き抜けて、瑞々しさと青っぽさがぜになった土の匂いが、鼻腔を満たす。

 果朶は、彗翅すいしと名乗った少女の言葉を思い返した。


『微々たる量で構いません。あなた方の組合〈望淵ぼうえん〉が採掘している綺羅晶を、しばらくの間、どうか密かに錘宮すいぐうにも融通して欲しいのです──』


 さらさらと。静けさの中に、葉擦れの音が混ざり始める。


 果朶は角灯を高く掲げた。


 そこには斎湖が広がっていた。鬱蒼と綺羅樹きらじゅが茂って、奥では光が揺れている。

 果朶たちよりも先に入った綺羅晶掘りが、角灯の明かりを頼りに、地面を探っているのだ。


 綺羅樹は、見上げるほどの高さを持つ。

 すんなりとした細い幹は百日紅さるすべりにも似ているが、枝分かれが起こる位置は、果朶の背丈の二倍を超える。葉は、団扇のような円形だ。朝になると、その付け根に花が咲く。透き通った小さな花だ。

 慈々じじがぽつりと呟いた。

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