果朶かだと二人の少年は、じっとりと湿った荒野を歩いているところだった。ところどころに光っている水たまり以外には、これと言って目立ったものも見当たらない。

 陽が昇ってから間もない頃で、空はすっきり晴れていた。


 斎湖さいこを後にしてきたのだった。振り返れば、翡翠色ひすいの湿地林が遥か彼方で霞んでいる。綺羅樹きらじゅの花粉が飛散し始めたのか、白いもやが棚引いていた。


 前を向けば、途方もなく高い岩壁が聳えていた。そこに、木造建築が連綿と、固着こちゃく生物せいぶつのように張り付いている。硬い岩盤に礎石そせきを埋め込み、人口増加に伴って増改築を繰り返してきた、すいの国の立体都市である。

 岩壁は高い地点で土壁に変わり、天を衝く緑豊かな山脈へと続くのだが、まばゆい朝陽に目がくらんだ果朶かだには、その移ろいを認めることができなかった。


 少年たちの会話は続く。


華々げげ、見るのだ。あそこを蟹が歩いているのだ」

「美味しそうなのだ、慈々じじ。是非とも捕まえ、串焼きにして食べたいのだ」

「うむ、食べたいのだ。夜通し綺羅きらしょうを掘っていたから、僕たちはお腹がぺこぺこなのだ」

「ぺこぺこなのだ。のう、果朶。あの蟹を取って来て欲しいのだ。頼んだのだ」


 つんつんと長袍がいとうの裾を引かれ、果朶は鼻に小じわを寄せた。


「ああ、もう。あんたたちるっさいな。ここいらの蟹なんか食べないに越したことはないってば。綺羅きらじゅの花粉を毎日浴びてるんだから。下手すりゃ死ぬよ?」

 感情にまかせた八つ当たりではない。華々げげ慈々じじの図太い心は、この程度では揺らがないと知った上での応酬である。


 ──綺羅きらしょうり、という職業がある。


 斎湖に埋まる貴重な資源、〈綺羅晶〉を掘り出して、鑑定と買い取りを引き受ける〈組合〉に納めることを生業とする。


 綺羅晶掘りたちは日没から少し経つと、斎湖に降りる。昼間に飛散する綺羅樹の花粉は、人体にとって有害だからだ。そして、夜通し採掘に勤しむと、日の出と共に組合に戻る。共用のつるはしを返却し、綺羅晶の鑑定を受け、ねぐらに戻って午後まで眠る。

 果朶たちもまた、〈望淵ぼうえん〉という名の組合に属する、しがない綺羅晶掘りだった。


「ほら、もう湖門こもんだってば。空腹もあとちょっとの辛抱だよ」

 果朶はくいと顎をしゃくった。

 岩壁と荒野が接するところに、格子状の木柵が左右に長く延びている。高さは果朶の背丈の三倍ほど。斎湖との緩衝地帯である荒野を取り囲む区分線、〈湖柵こさく〉である。

 湖柵には、綺羅晶掘りたちのための関所〈湖門〉が、三里おきに置かれていた。


 斎湖から掘り出した綺羅晶は、ひとつ残らず組合に納めるのが取り決めだ。そのため、湖門に勤める門守かどもりたちが綺羅晶掘りの衣服や荷物を改めるのだ。


 湖門の詰所で、三人は長袍の内や履物などを検められた。綺羅晶を詰めた袋の口も、麻紐で封じた後に蝋を垂らされ、小さな印章を捺される。これで、組合に着く前に開けようものなら、すぐにそうと分かってしまう。


 御年七十歳にもかかわらずぴんしゃんしている門守のばあは、果朶の袋を留めながら、しみじみと呟いた。

「相変わらず大漁さね、の旦那。あたしゃもう五十年はここに居るけど、あんたほど腕のいい綺羅晶掘りは見たことないよ。四年前にふらっとこの辺にやってきて、めきめきと頭角を現しちまった。〈望淵ぼうえん〉のおやっさんも、さぞかし喜んでいるだろう」


 果朶はふんと鼻を鳴らした。

「そんな可愛げのある性格じゃないよ、あの守銭奴しゅせんどはさ。事ある毎に鑑定結果に難癖付けて、安く買い叩こうと目論んでる。自分の手提げ金庫が重くなることしか眼中にないんだから」


 慈々じじがぼそりと呟いた。

「果朶は特別な存在なのだ。斎湖で方向感覚を失わず、底なしの泥濘ぬかるみも踏み抜かず、あれほどの稼ぎを上げるのは、いたって並大抵のことではないのだ。その代わりと言ってはなんだが、果朶は口が悪いのだ」


 華々げげも淡々と頷いた。

「果朶は口が悪いのだ。お姫様みたいに綺麗な顔をしているくせに詐欺なのだ」

「詐欺なのだ」


 果朶は盛大に不貞ふてくされた。

 喜婆は、愉快そうに目元を緩めて、けたけたと笑っていた。

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