せっかくの集中を乱されて、果朶かだは眉間に皺を寄せる。

 渋々ながらも振り向くと、少し離れた白木蓮はくもくれんの木の傍に、年端もいかない少女の姿が認められた。


 年の頃は六つか七つか。きらきら輝く大きな瞳が印象的だ。結い上げられた黒髪は、左右の耳元でくるりと円を描いていた。


 果朶かだの許に駆け寄ると、少女は無邪気な笑みを浮かべた。


「良かった、あにさま! 今日も来ないのかと思った。最近、ずっと会えなくて寂しかったんだから」


 舌足らずさの残る口調で、臆面もなくそんなことを言ってのける。

 果朶かだは深々と溜息を吐いた。寂しかったと聞かされて悪い気はしないものの、文句は言わねば気が済まない。


「あのさぁ、あんたさ。何回言ったら分かるわけ? この柵の前にいる時は気象望きしょうぼうの最中だから、話しかけないでって言ったよね?」


 気位の高い猫のようだ、と。


 予科生よかせいたちは、果朶のことをそう評する。

 ま白い肌とまばゆく煌めく金の髪は硝子細工に勝るとも劣らない儚さなのに、口を開けばつんけんしていて愛想がない。人間に心を開かない高慢な美猫びびょうそのものだ、と。

 その喩えを裏切らない冷ややかな物言いに、少女はしょぼしょぼと肩を落とした。


「ごめんなさい……。あにさまの姿が見えたから、嬉しくなって、つい」


 まるで糸の切れた凧である。


 力なく丸まった小さな背中を見下ろして、果朶は急速に居心地が悪くなった。まあ良いけどさ、とごにょごにょと付け加えてしまう。


「……三分間だけ、大人しく待っててくれる。気象望が終わったら、また勉強を見てあげる」


 果朶の言葉に、少女はぱっと顔を上げた。その頬に、ゆるゆると喜色が広がる。ますます落ち着かない心地になって、果朶は今度こそ、焦点を汽界きかいに移した。


 ──三分後。


 今日も一日晴れるだろうと結論付けて果朶が背後を振り向くと、少女は空き花壇の前にしゃがみ込んで、木の枝で何事かを書き付けていた。


 果朶は口の端に笑みを浮かべた。少女が書いているものは、錘国史詩すいこくししの最終章だったからだ。

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