斯くて陽は昇る

かささぎかづる

序 夜明け前の少年少女は


 雨になるのは珍しい。


 一ヶ月に二日も降れば良いほうだ。それだって朝から晩まで降り続くわけではなく、数時間だけ、さぁっと地面を濡らした程度で去っていく。


 どうせ晴れると決まっているのに、わざわざ気象望きしょうぼうをする必要はあるのか、と文句を付ける予科生よかせいは少なくなかった。その点に関しては果朶かだも同意だ。けれども、彼らと違って当番を煩わしがるほどでもないのは、きっと空のせいだろう。


 その日一日の天気を予想する業務〈気象望きしょうぼう〉は、夜明け前に行われる。果朶かだがいっとう好きな時間だ。紺の闇に包まれた未明の空が光溢れる朝空へと移ろっていく光景を、果朶はなによりも気に入っていた。この世界は確かに天涯山てんがいさんを超えた先まで広がっているのだと、信じることが出来たからだ。


 薄っぺらな身体を牀榻しんだいから引き剥がし、果朶は小さく伸びをする。


 学院寮の、狭い一室が広がっている。机と圏椅いす、衣服を仕舞うための棚くらいしか置かれていない、簡素な部屋。

 隅にある水瓶は、昨晩の内になみなみと満たしてあった。

 顔を洗うべく近付けば、仄暗い水面に見慣れた姿が映り込む。

 今年十三になったばかりの、痩せぎすの少年。深窓の姫君より生白いと揶揄やゆされる、日焼けとは無縁の肌。この国では唯一無二の金の髪に、よく見れば灰色の目。


 ──異邦人いほうじん、と呼ばれる外見。


 身支度を手早く済ませて、果朶はそそくさと部屋を出た。静まり返った廊下を抜けて、外階段へと繋がる扉を開ける。


 爽やかな風が頬を撫でた。


 若草の香りがした。今は四月だ。まだ幼くてやわい芽が、寮の隣にある耕作地にふつふつと顔を覗かせ、控えめに息をしている。いずれ来たる盛夏に向けて、期待で胸を膨らませている命たち。

 沃野よくやの彼方には天涯山がそびえ立って、稜線を黄金色に染めていた。


「急がないと」


 呟いて、果朶は外階段を駆け上がる。夜明けが近い。太陽が天涯山から姿を現し、その輝きを大地へと投げかければ、游子ゆうしの動きは活発になる。すなわち、天気を正確に予報することが困難になってしまう。


 屋上に辿り着く頃には息が上がって、膝ががくがく笑っていた。


 授業のための果樹林や薬草畑が設置された屋上は、さながら小さな森だった。最も端には、転落防止の鉄柵がぐるりと巡らされている。

 鉄柵に歩み寄り、果朶はすっと目を細めた。

 見つめる世界を〈汽界きかい〉に切り替え、游子ゆうしの動きを見定めにかかったのだ。

 けれどもそれは失敗に終わってしまう。

 早天そうてんの静謐さを一瞬にして吹き飛ばしてしまうような、底抜けに澄んだ明るい声が響き渡ったせいだった。


「あにさま!」

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