第8話
大穴の町は相変わらず荒れ放題だった。気をつけて歩かないと躓きそうだ。実際、もう二、三回は転びそうになっている。
「クロはさ、ハルトの見た目をしたものを殺せる?」
先頭を歩くミカは振り返らずに聞いた。
「え?」
まるで私がハルトを殺さないといけないかのような口ぶりだ。私はてっきりミカがハルトを倒してくれると思っていたし、今でも思っているんだけど。
「はい、これ」
ミカはどこからともなく一丁の拳銃を取り出した。
「え、私が持っておくの?」
「トドメの一撃があなたじゃない可能性はゼロではないよ」
「……わかった」
ミカから銃を受け取る。重い。何故かずっと見てしまう。この大きさで命を奪えるのか。
「まあわたしたちもクロがそれを使わないように努力はするけどね」
「うん。でもさ、ちょっと気になったんだけど、私までこんな物を持たないといけないなんて、一体私は何をさせられるの?」
「え? 言ったじゃん。霧の本体を呼び出すって」
「確かにミカはそう言ったよ。でも、呼び出すだけでしょ? 銃なんている?」
「備えあればーってやつよ」
そうか。ただの備えか。本当にそれだけなら良いけど。
***
「ほら、ついたよ」
また来てしまった。ボロボロの校門。割れ放題の窓ガラス。草の生えきったグラウンド。ひび割れた壁。
私は手伝うだけ。ハルトが出てきたらそれで終わり。しんどいことなんて無い。
「ナツ、フユ、クロ、行ける?」
ミカは私達の顔を見る。
「ナツは準備OKだよ」
「フユも……」
「私も、行ける」
「よし、じゃあいくよ」
ミカは満足そうに言うと、校舎の中へと歩みを進めた。私達もそれに続く。
ガラスの無くなった部分を通り抜けて校舎に入る。埃っぽい玄関はそのままだった。
「そういえばさ、あの時クロはどんな目に合ったの?」
「え? そりゃ天井が崩れて壁一面に変な文字が現れて……あれ?」
ミカの質問に答えるうちに違和感に気づいた。
「どうしたの?」
「元に戻ってる」
「何が?」
「壁も天井も。前来た時と同じ」
「あー……なるほど」
この短い問答でミカは何か掴んだらしい。
「マスター、なにかわかったの?」
ナツが聞く。
「怪異はここをただ本体の出現場所にしているだけではなく、本当にこの学校を罠として使っているみたいね」
「罠……フユたち殺されちゃう?」
フユはそう言うが、あまり怯えているようではなかった。
「いや、用心すれば大丈夫。クロ、覚えてる?」
「な、何を?」
「あの時、ハルトと出会った教室の場所」
「それならあれだと思う」
玄関から左右に続く廊下の左、玄関から一番近い教室を指さした。
ミカはそれを聞いて、ゆっくり歩き出した。
「あんまり離れないで」
ミカがそう言うので、急いでミカにくっつく。
ミカは教室の扉に手をかける。私たちはそれをミカの背中に隠れてみていた。
突然、教室の扉が勢いよく開かれた。ミカ、開けるなら一言欲しい。びっくりしちゃった。
中はやはり前と同じ。清潔に保たれていた。ホコリだらけの玄関や廊下とは結構な違いだ。
「入るよ」
ミカがそう言うので、みんなで続いて入った。
空気が変わった感覚がした。どことなく安心感もある。罠だと分かっていても、ちょっとここに滞在したい気分になる。
「ホコリ一つないのね」
ミカは机を撫でて一人言を呟く。
「ねえねえマスター、教室ってこんな感じなの?」
ナツはいろいろ目移りしていた。
「え? まあ教室はこんな感じじゃないかな。学校ごとにちょっとは違いがあるとは思うけど」
「じゃあ……学校って窓ガラスが全部割れてるの?」
「それはここだけ」
ミカは即答した。
「あれ、ユズカの匂いがすると思ったら……こんな所にたくさん人が居るね」
突然、入口の方から声が聞こえた。振り返ると、そこにはハルトの姿。本当に来た。
「来たか」
みんな警戒心が一気に上がる。
「どうしたんだい。そんな怖い顔しちゃってさ。ユズカ、戻ってきてくれたんだね」
ハルトが私に抱きつこうとしてくる。
「触るな」
ミカが間一髪の所で間に入ってくれた。ハルトは腕を掴まれ、怒りをあらわにした。
「ちょっと、邪魔しないでよ。感動の再会だよ。……って君、見たことあるね。この前邪魔してきた人でしょ」
「そうだったらなによ」
「別に」
ハルトはぶっきらぼうにそう言うと、すっとミカの手からすり抜けた。
「え?」
ミカの顔が驚きに染まる。
すり抜ける瞬間は分からなかった。ただ、気づけばハルトは別の位置にいた。
「あのさ、どうしてこんな所に来たの? 別に呼んでないんだけど」
ハルトが強い語気で聞く。
「あなたを殺すためよ」
ミカはポケットからナイフを取り出す。
「殺す? どうして? なにか悪いことした?」
ハルトはナイフが見えても一切動じない。
「あなたのせいで何人の人間が死んだか知っているの?」
「死んだ……? あははははははは! 面白いこと言うね! 僕が人を殺したって言うんだ!」
ハルトは机に座ると、腹を抱えて笑った。
「何がそんなにおかしいの」
私はなにか言わずにはいられなかった。
「そりゃあおかしいよ。だって死んだと思ってるんだもん。じゃあ俺は一体何なのさ。ボクはここにいるもん。私はここにいるよ。オレはここにいるさ。死んでいないじゃん」
大量の一人称と口調の変化。一体これはなんだ。
「キミは誰?」
「あなた……なにがしたいの?」
ナツとフユが叫んだ。手にはもう銃が握られている。
「ボクは……たくさんの人間の意識の集合体だ。名前などない。いや、必要ない。私はあらゆる生命を知りたい。あらゆる記憶を知りたい。あらゆる意識を知りたい。だから一つになるんだ。個なんて必要ない。壁を設けてどうするんだ。結局他人のことなどわかりあえないんだ。一つになろう。お互いを知ろう。君たちもだ」
「うるさいわね、早くくたばってくれるかしら」
ミカがナイフを持ってハルトに近づく。
そして、ハルトの胸にナイフを一突きした。
無防備なハルトにナイフが突き刺さった。
「あ、そういうことするんだ」
ハルトが苦しそうな声で言った。
あれ、呆気なく終わってくれるんだ。
突然、轟音とともに、黒い液体が壁から染み出る。ハルトは次々に姿を帰る。若い綺麗な女から白髪のはえた老紳士へ、ちいさな子どもから腰のまがった老婆まで、そしてハルトになって、私になって。最後にはヒトとしての形が無くなって……。
いつの間にか薄暗く光る真っ黒の空間に黒い球体が浮かぶだけになってしまった。
この空間、夢で見たような気がする。
『脅威は、排除しないと』
何重にも重なった声がする。男のような女のような、子どものような大人のような。不思議な声だった。
「ちょっと厄介かも」
ミカはそう言うと、走り出した。一気に距離を詰め、ナイフで切りつけに行く。
『やめてよ』
球体が動いたのか、ミカが動かされたのか。ミカの攻撃は当たらなかった。
「フユ、行くよ」
「……うん」
ナツとフユが同時に銃を放つ。回避行動の直後だったからなのか、二発の弾丸は、球体に命中した。
『うがああああ』
うめき声とともに、球体から黒い液体が勢いよく吹き出る。
「なんだ、効くんだ」
ミカはそう言うと、もう一度攻撃を入れた。しかし、またもかわされる。
『やめてよ』
声が聞こえたかと思うと、床から光の柱が隆起する。
「危ない!」
フユが私を突き飛ばした。私が元いた場所は、光の柱で包まれた。よく見ると、フユが着ているメイド服のスカートの一部が消えていた。あれに直接当たっていたら……。
「危なかったね……」
「フユのおかげだよ。ありがとう」
初めてフユの切羽詰まった声を聞いた気がした。
「クロ、銃を出してくれない? 一緒に撃って欲しいの」
ナツが球体から目を離さずに言った。
「え、私?」
「うん、ごめんね。でも、数は多いほうが良いからさ」
「わかった」
銃を取り出す。銃弾を入れておける、回転する弾倉には六発しか入っていない。これで力になるのかな。
ナツがまた一発撃った。球体はそれを避ける。しかし、その隙をミカは見逃さなかった。深い一撃を与える。球体からまた液体が吹き出る。それと同時に感じることがあった。
「小さくなってる?」
「フユもそう思う……」
「これ、攻撃を与え続けたらさ――」
「消滅する……?」
「だよね」
試しに一発撃ってみる。狙いは合っていたが、球体に避けられた。
『キミもボクの事を攻撃するんだ』
嫌な声だ。
「うるさい!」
頭の中で反響する球体の声をかき消すようにもう一発打ち込む。
しかし、今度は外れてしまった。
「当たってよ!」
三発連続で引き金を引く。
『やめて……やめて』
そう言いながら球体はさらに避ける。
「ちょっ、結構撃つね」
ナツに言われたが、最後の一発が命中する。
「そこね」
さらにミカのナイフも当たった。
『うがああああああああ』
更に球体の体積が小さくなる。
これはもう少しか。
しかし、また球体の攻撃が始まる。床が白く光り、光の柱が伸びる。
突然浮遊感に襲われる。あれ、死んだ?
ちがう、ナツとフユに抱えられているんだ。
「ナツたち、最初からこうすればよかったんだね」
「おー、安心感がすごい」
「フユたちに任せて」
ナツとフユのおかげでなんとか攻撃を凌いだ。
あと少しだ。その時だった。
「ミカ! 後ろに跳んで!」
頭より先に口が動いた。ミカもすごい反応速度で後ろに跳んだ。
ミカが跳ぶ前の所に光の柱が上がる。
「ありがとう」
ミカは短くそう言うと、また攻撃を始めた。球体に避けられても、攻撃を繰り返す。
ナツとフユがミカに合わせるように銃撃をいれる。
着実に、一回、また一回と弾丸が当たる。そして、球は小さくなる。ついには、手のひらほどのサイズにまで小さくなった。
『どうして、どうしてこうなるんだ!』
真っ黒の空間の中、声が聞こえる。突然、何かに足元を掬われた。いや、何かではない、床だ。真っ黒だから気づかなかったが、床の上に黒い液体が満ちていた。そして、それが意思を持ったかのように蠢く。
「嘘でしょ」
ミカの声が聞こえる。声の方を見ると、ミカは液体に捕らえられていた。いや、ミカだけじゃない。ナツも、フユも。
「ミカ!」
「クロ、あなたがどうにかするしかないわ」
そんな事言われたって……。
銃弾は残り一発。それもあの小ささに?
『一人残してしまったか。まあ良い。こいつは大した問題ではない』
手が震える。当てないと、終わる。
『残ったこいつは殺していいか? ああいいさ。問題ない。やめたほうが良いか? いや、そんなことはない』
目の前の球体が白く光る。こいつに当てないと。殺される。
震えるな。力を込めろ。狙いをずらすな。引き金を引け。
願いを込めた弾丸が撃たれる。弾丸は真っすぐ進み、球体を捉える。
しかし、弾は逸れた。外したのだ。
『さよならだ』
収束した光が放たれる。私の方へ向かってくる。ああ、死ぬんだ。
目を閉じる。死ぬ瞬間の光景は見たくない。
衝撃。あまりの強さに後ろに少し吹き飛んだ。
……。あれ、痛くない。いや、吹き飛んだせいで尻もちをついた痛さはある。でも死ぬほどの痛さはない。
目を開ける。すると、なぜか球体が光に苛まれていた。
そして、球体はそのまま塵となって消えた。
どういう事?
「まさか、そんな結末になるなんてね」
ミカがやってくる。
「えっと……私、何したの?」
「ん? 自分の胸元を確認したら?」
お気に入りの服は穴が空いている。そして、その下には光り輝くネックレス。
「……?」
「あれ、気付かない? 光を反射したんだよ」
反射……?
「ええええええ?!」
そんな奇跡みたいなことあるの?
「うわああああん、またクロのこと守れなかった!」
「ごめん……。本当にごめん……」
ナツとフユがやってくる。私は二人を抱きしめた。
「途中助けてくれたじゃん。それで良いんじゃないの?」
すると、うしろからミカが優しく抱きしめてくれた。
「クロのおかげだよ。全部。クロがいなかったら今頃みんな死んでたね」
「そんなみんがが攻撃してくれたからでしょ?」
「そうかな?」
パキ……パキパキ……。
突然床がひび割れ始めた。
「あ、もう時間か」
ミカは悲しそうに言った。
「時間?」
「そう、お別れの時間」
お別れ?
「ちょっと! それってどういう!」
「怪異が消える時、世界は怪異が生まれていなかった場合の世界線に移り変わるの。だから、あなたと出会った事実も消える」
「そんな無茶な!」
せっかく出会えて、せっかく事件を解決したのに?!
「ごめんねナツ。もっとお話したかったんだけど」
「もっと一緒に暮らしたかったんだけど」
ナツとフユも言う。みんな知ってたんだ。知ってた上で行動してたんだ。
「酷いよ。みんな酷いよ!」
涙が零れる。止まらない。こんなに素敵な人達に出会えたのに。ヒビは更に大きくなる。
「わたしたちはあなたのこと、忘れないよ」
ミカが私を強く抱きしめる。
「うわああああん。私も連れて行ってよ! 私だけ置いて行かないでよ!」
決壊した壁はもう戻らない。
「できることならそうしたいよ」
ミカの言葉も震えていた。
「クロが幸せに生きられること、ナツは祈ってるよ」
「クロが健康に生きられること、フユは祈ってるよ……」
「さよなら。ありがとう。わたしたちはいつまでもクロの事をわすれないから」
空間は光に包まれた。
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