第7話

「うん。体の調子も良さそうね。そろそろ問題ないかな」

 記憶が戻ったあの日から、ミカによる健康診断を毎朝受けていたが。それも今日で終わりらしい。

 正直しんどい日々だった。何がしんどいかと言うと、筋肉痛。

 限界を超えて走り続けたせいで、脚の全てが痛かった。階段すら降りられなくてもう、本当に……治って良かった。正直怪異より筋肉痛の方がヤバいものなのではとも思った。ミカに言ったら「は?」って言われたけど。

「クロ、あなたはあのときの約束を覚えているよね?」

「協力がどうこう……」

「覚えているなら良いよ。そろそろその日が近づいているから。覚悟してね」

「わ、分かった」

 協力なのに覚悟が必要なの? 何させられるの?

 ちなみに、私が何の怪異に侵食されていたのかはまだ聞けていない。ちょっと聞きづらい、聞ける雰囲気じゃないというのもあった。しかし、それよりも聞いたら私の中の何かが壊れる気がした。本能が私を引き止めている。そんな感覚を毎日抱いていた。

「あ、そうだ。あなたに言うの忘れてた。今日はお昼にみんなで会議するから。あなたも一階に集合してね」


 ***


 と、言われて一階に集合したんだけど……。今のところただ営業中のカフェのテーブル席でおしゃべりしているだけ。話題は昨日のテレビとかSNSでバズっている動画とか。ただの日常が戻ってきてそこにミカが追加されただけな気が……。

「あのー、会議って聞いてきたんだけど。これが会議?」

「もう、クロったらせっかちだなー。もうちょっとおしゃべりしてからでもよくない?」

 ナツが唇を尖らす。

「クロはちょっと真面目すぎる……」

 フユも不満げそうだ。そんなにおしゃべりしたかった? 毎日してたよね。気のせい?

「でも確かにクロの言う通り、ちょっと話しすぎたかもね」

 ミカがアイスコーヒーを一口飲む。ようやく本題に入ってくれる……。

「じゃあちょっとお話しましょうか。あの大穴について」

「町の中心に空いているあれ?」

「そう、クロの言う通り。あなた達三人がつい最近落ちちゃったあれ」

 勝手に入ったわけじゃないんだから許してよ。

「あの大穴についてそんなに話すことあるの? ナツ達には特に何もなかったけど」

「ちょっと暗くて怖かったけど……」

「ナツとフユはクロとはぐれずにずっと二人でいたからね。それほど危なくなかったの」

 ミカが言う。なんだかはぐれたのを暗に責めているみたい。

「ということは私みたいに一人だとものすごく危ないの?」

「ええ。これを見てくれる?」

 そう言ってミカは机の上に「鈴霧台観光ガイド」と名付けられた。薄っぺらい一冊のパンフレットを出した。

「『天然の大穴があなたを神秘の世界へ誘います』? こんな事書いてるけど、あの穴って神秘的なものだったっけ?」

 ナツの頭の上には無数のハテナが浮かんでいるようだった。

「問題はそこじゃない」

 そう言ってミカはとある単語を指差した。

「……天然?」

「そう」

「……どういう意味?」

 フユの頭の上にもハテナがたくさん浮かんでいる。

「あの穴は天然のものじゃない」

「じゃあ人工物なの?」

「クロがびっくりするのもわかるけど、あれは本当に人工物なの」

「なんで人工物ってわかるの」

 あんな向こうの陸が見えない程の大きさの穴を人工的に作るなんて不可能でしょ。

「私の知人が作ったからよ」

 ……え?

「信じられない。そんなの作れるわけ無いよ」

「クロがそう言いたくなる気持ちもわかる。証拠とかはなにもないもんね。でも本当なの」

 ミカの目が真っ直ぐこっちを向いている。真実だと訴えかけてきている。

「わかった。わかったけど。けど! それが大穴に一人で居ると危ない事にどう繋がるの」

 もう信じるしか無かった。信じないと進まなさそうだし。ただ、それだけだと大穴が危ない理由にならない。

「あの大穴の中にあるのは怪異よ」

「え?」

 驚愕の事実。受け止めきれない。ナツとフユもフリーズしていた。

「正確に言うとあの大穴にかかった霧が怪異よ」

 霧……薄暗くて見えにくかったけど。霧で満たされていたらしい。

「霧は人の意思を操作して、歪めて、最終的に人を捕食する」

「ほ、捕食?」

 あまりに物騒な言葉に驚いた。霧が人を捕食する光景が全く想像できない。

「人間の意識と記憶を吸収して、ただの入れ物となった身体は徐々に分解されていくの。分解の原理は不明だけど」

「こわい……」

「ナツたちもずっとあそこにいたら食べられちゃってたの?」

「いや、それはちょっと違うね。霧は意思を持っていて、捕食するの場所をいくつかに絞っているの。デパートとか駅と学校とか、目印になるような場所にあんることが多いかな」

「あ、だから私は学校に入っちゃったのか」

「もしかしてクロはなにか思い当たりがあるの?」

 ミカはメモをだした。これはミカの癖なんだろうな。

「ただひたすらに走ってただけなんだけど、気がついたら学校の前にいたのを思い出して。それに、何故かわからないけど学校に入ったらナツとフユに会えるかもっていう根拠のない自信もあった」

「それは思考が歪められているわね」

 ミカはメモを取りながら言った。

「霧怖いね。もう過去の話なのに変な汗がすごい。それにしてもどして霧はそんな恐ろしい事を……?」

「それはわたしにも分からない」

 ミカは首を横に振った。

「最初に霧を見つけたのはわたしなの。当時、町中に失踪者が増えているっていう情報が出回ってたの。その情報からさがしたのよね。当初こそ霧がかかっている範囲は狭かったの。ただ、日を追うごとに徐々に霧は拡大していった。それに危機感をもった私の知人が霧を囲うように土地を隆起させたの。これ以上広がらないようにね」

 あの大穴にはそんな理由が……。

「怪異って人間の良いように使えるんだね」

「わたしの知人が物好きなだけよ。普通は危ないから絶対にそんなことしちゃダメなんだけど」

「そうだよね……ってあれ? 別に囲っているならこれ以上霧が広がらないってことでしょ? 別に会議までして話すほどでもなくない?」

 入らなければ問題ないでしょ。

「でも上に蓋が無いじゃない」

 ――だから何だと言うの。

「……ナツどういう事?」

「フユがわからないのにナツがわかるわけないじゃん」

「みんなわからない? 本来横に広がるものに壁を付けたんだよ? じゃあ……溢れるでしょう」

 え……溢れる?

「ミカ、それは本当?」

「こんな所で嘘なんてつかないよ。実際、上から大穴を見下ろすと雲が見えるでしょう? あれは怪異の霧だからね。今のところ大丈夫だけど、いつかは溢れる。堤防の役割をしているこの町は大穴の中と同じように死の町になる。そして、時間をかけていずれは世界中が……」

「「うわぁ」」

 ナツとフユが抱き合って目に涙を浮かべる。

「それに誰かの悪知恵で大穴に落とされることもあるし」

「「うう」」

 これ以上ナツとフユをいじめるのはやめてあげて!

「というわけで、あの霧を消滅させる必要がある」

 ミカは力強く言った。

「霧なんて消滅させられるの?」

「霧といっても相手は怪異だからね。消滅はさせられるよ」

「どうやって?」

「本体を壊す」

 本体?

「そんなものどこにあるの。霧に実体なんてないよ」

「あったでしょう、実体。クロも学校で見たはずよ」

 私が……見た?

「まさか、ハルト?」

 ミカは黙って頷いた。

「ハルトを殺すの?」

「正確に言うとハルトのようなものだね。実際のハルトはもう死んでいるから」

 もう死んでいると分かっていても、あのハルトと同じ姿をしたものを殺さないといけないの?

「本当に殺さないといけないの?」

「どんな怪異にも本体はある。本体を処理できれば怪異が消える。怪異の消滅の為には必要な事よ。わたしは何回も大穴の調査をしているけど、本体を見たのは初めてなの。でもクロの前にはひょっこり現れた。クロは霧の本体を呼び寄せられる人ってことだよ。だからあなたの協力が必要なの。手伝ってくれるよね?」

 ああ、お願いってこれのことか。怪異の話を聞いた私に、拒否権はない。これはミカとの約束だ。

「わかった。私、手伝うよ」

 別に怪異を消滅させるだけだ。怪異がハルトに似ているだけ。それに手伝うだけだから。難しいことは何も無い。

「そう言ってくれると思った。明日にはみんなで大穴に潜るからね」

「明日? 急じゃない?」

「善は急げって言うでしょ。大丈夫、わたしが指揮を取るから。失敗はないよ」


 ***


 その日の夜。私は眠れずにいた。部屋の明かりもつけず、暗い部屋でベッドに座り込んでいた。

「ハルトを……」

 話が急すぎる。昼のミカの話からすると、私はハルトが目の前で殺される様子を見ないといけないって事? それがたとえ本当のハルトじゃないとしても流石に苦しい。記憶が戻ったんだ。ハルトとの思い出もある。

「ねぇ、まだ起きてる?」

 ドアの向こうからナツの声がする。どうしたんだろう。

「起きてるよ」

 ベッドから立ち上がると、部屋の扉を開けた。廊下にはパジャマ姿のナツとフユが立っていた。

「もしかして……フユたち起こしちゃった?」

「いや、眠れなくて。部屋入る?」

 二人を部屋に入るように促すと、無言で部屋に入った。

「暗いよね。部屋の電気つけるね」

「ナツたち暗くても平気だよ。それに外の明かりも入ってきてるから」

「そっか」

 ナツとフユは先にベッドに腰掛けていた。私も近くにあった椅子を持ってきて、二人と向かい合うように座った。

「いきなりどうしたの?」

「いや、クロが眠れてるかなって」

 ナツは枕を抱っこして、どこか視線が定まらないようだった。

「そ、それだけ?」

「えっと、その、それだけじゃないって言うか」

「ナツ……フユたちきちんとクロに謝らないといけない」

「そうだよね」

 何がだろう。出会って初日にヤバい飲み物飲ませたことでも謝ろうとしてるのかな。

 ナツは意を決したかのように私の名前を呼んだ。

「クロ、ごめんなさい。ナツたちクロに隠していることがあるの」

 隠していること?

「何を隠してたの?」

「実は……クロの記憶を消したのはフユたち……」

 ……え?

「ナツとフユが記憶を消したの? 信じられない」

「今まで黙っててごめんなさい」

「ごめんなさい……」

 二人は深々と頭を下げる。記憶が無くなっている時に言われてたら起こってたかもしれない。でも、今言われてもあまり怒る気にはなれないな。二人とも謝ってるし。

「ちょっと受け入れられないけど分かった。とりあえず私は怒ってないよ。顔を上げて」

 顔を上げた二人の目には涙が浮かんでいた。

「本当に? ナツたちの事叩いてても良いんだよ?」

「怒られて当然の事だから……」

 こんな可愛い子を叩けないよ……。

「い、いや。本当に怒って無いから。そんなことより、聞きたいことがあるんだけど」

「ナツたちなんでも答えるよ」

「フユたちの知ってることなら……」

 二人の真っ直ぐな視線が突き刺さる。

「じゃあ聞くけど。どうやって記憶を消したの? そもそも記憶って消せるものじゃないでしょう?」

 私と二人の間で沈黙が流れる。

「いや、無理に答えなくても良いんだけどね。ちょっと気になったからさ」

「ナツたち実は怪異なの」

「え? 怪異?」

 信じられない。ナツとフユが?

「正確に言うと……作られた怪異……」

「作られた?」

 ここにきて衝撃の事実すぎる。

「ナツ達は『任意の怪異を作る怪異』から生み出されたの」

「マスターが生み出してくれた……」

 マスターって喫茶店の店主って意味じゃなくて、ご主人って意味だったのか。

「二人は人造人間ってこと?」

「怪異だからナツたちは人間かどうかも怪しいね」

「そうだね……」

 ナツとフユは作られたものだし人間でもないの……。

「じゃあナツとフユが侵食して私の記憶を消したって事?」

「ちょっと違うかな……」

 違うの?

「怪異はそれぞれに異常性があるの。『任意の怪異を作る怪異』は文字通り、怪異を生み出すことができるっていう異常性。霧の怪異は人間に入り込むという異常性で内側から人間を殺している。そして、ナツたちは記憶を消すことができる異常性があるの」

「侵食症状は、怪異が人間に異常性を発生させた時に人間に出る副作用みたいなものかな……」

「それは人の死と何が違うの?」

 私はまだ理解できていないよ。

「霧の怪異で言うと、霧による殺害は異常性だけど、生き残った後にでる意識混濁とか失明とかは侵食症状かな」

「怪異そのものの効果と副産物って感じ」

「なんとなくわかった。で、ナツとフユは異常性によって私の記憶を消したんだ」

 ナツとフユのテンションがまた落ちたように見えた。

「クロを助けるにはこの手段しか無くて……」

「ナツたちまだまだ経験が浅くて必要以上に記憶を消しちゃった」

「ちょっ、そんなに落ち込まないで。私の事助けてくれたんでしょう? 責めてないから。怒ってないから」

 いつもあんなに元気なのに……相当非を感じているんだろう。

「本当に?」

「あとでフユたちクロに食べられちゃったりしない?」

 まず人のこと食べようとしません。

「そんな事しないよ。言ってくれてありがとうね」

「ナツたち、この事はいつか絶対にクロに言う必要があるって思ってて……」

「フユたちで相談したの。言うタイミングが今しか無いと思ったから……」

 今しかない? 全てが終わってから言ってくれても良かったんじゃない? たしかに後から言われたら、「どうしてもっと早く言ってくれないの」って怒ってたかもしれないけど。

「ふぁあ……」

 なんだか眠たくなってきた。

「あ、もしかして眠たかった?」

「フユたち邪魔してたかも……。そろそろ自分の部屋に戻るね……」

 二人はそう言ってベッドから立ち上がる。

「あ、ドア開けるよ」

「あ、座ってて大丈夫。ナツたち自分で帰るから」

「というか寝たほうが良いよ……。明日に響くから……」

 ドアを開けてあげようとしたら二人に制止されてしまった。

「あ、うん」

「じゃあ、お休み。クロ」

「また明日ね……。起きなくてもフユたちが起こしに来てあげる……」

 二人は部屋を後にした。

 なんだかいきなり色んな話を聞いて疲れた。眠気もすごい。

 ……今日はもう寝よう。


 ***


 次の日の朝、四人全員が一階のフロアに集合した。

「みんな早起きで偉いね。出発の準備は出来た?」

 ミカが聞く。朝早いというのに、いつものようにキリッとしていた。

「出来たよー。まだ眠いんだけどね」

「フユも眠い……」

 ナツとフユは眠そうだ。だってまだ陽が昇ってないもんね。

「クロはどう?」

 ミカが聞く。

「えっ? 大丈夫だよ」

 本当は私も眠たいけどね。

「良かった。じゃあ出発しよう。みんな気分が悪くなったらすぐに言ってね。無理は禁物だから」

 ミカを先頭に歩き始める。ミカは店の入口……ではなく、逆方向に歩き出す。何か忘れ物でもしたのかな。

 そんな考えはすぐに吹き飛んだ。ミカは、螺旋階段の柱を手で押した。すると、螺旋階段の周りの床がどんどん下に沈んでいく。いつの間にか、一階と二階を結ぶ螺旋階段に続きが出来上がり、地下へと階段で行けるようになっていた。

「こんなのあったんだ……」

「ナツも知らなかった……」

「フユも……」

 みんな知らなかったらしい。

「大穴から帰るときにはみんな眠っちゃってたもんね。知らないも仕方ないね。じゃあ行くよ。足元に気をつけてね」

 ミカに続いて下へ降りると、そこはそれほど広くもないスペースだった。最低限の明かりだけついていて、薄暗い。天井も低く、ジャンプすれば届きそう。

「じゃあこれで大穴に行くよ」

 ミカはそう言って引き戸を手で開けた。一瞬何か分からなかったが、中を見てすぐにピンときた。

「エレベーター?」

「そうだね。上と下を結ぶエレベーターだよ。ほら、乗って」

 状況が飲めないまま無理やり乗せられる。ミカがスイッチを押すと、大きな音とともにエレベーターが動き出した。窓は無いが、揺れは無く、酔うことはなさそうだ。

「どうしてこんなものがこの店に?」

 聞かずにはいられなかった。

「それはね、喫茶ミストがもともと霧の怪異を監視するために作った店だからだよ」

 ミカは目を合わせずに言う。

「監視?」

「そう、監視。状況の把握と怪異の討伐の為に必要なの。店の運営はあくまでこの建物が存在するための建前よ。だから客が来なくても良かった」

「ずっと機会を窺ってたの?」

「いや、追い詰められたって感じかな。昨日も言ったけど、霧が溢れそうになっちゃって。これ以上待っているわけにもいかなくて」

「そうなんだ」

 私には分からない苦悩だった。

「でも――」

 ミカはこちらを振り向いた。

「クロがいるっていうのは幸運よ。一番大変な本体探しをスキップできるからさ。今考えると、今が一番の『機会』なのかもね」

 それから言葉を交わすことはなかった。静かなエレベーターだ。


 ***


 やがて、エレベーターは動きを止めた。長い時間乗っていた気がする。エレベーターが遅いのか、高低差がかなりあるのかどちらかは分からない。

 エレベーターの扉は手動なのか、ミカはまた手で扉を開けた。

「また来ちゃった……」

 思わず口に出るほどの雰囲気の悪さ。

 エレベータの一歩外は町だった。薄暗く、荒れている。

 みんなで外に出る。つい最近来たばかりだ、もうこの雰囲気に対する覚悟は出来ていた。

「ここ、怖いね……フユ、手を繋いでくれる」

「うん……ナツ、手を離さないでね」

 ナツとフユは少し怯えているようだった。

「おやおや、ようやくやってきたか」

 誰だ。前から知らない声がする。声のする方を見ると、木陰から人の姿が見えた。

「誰?」

 ミカは一切怯えていない。毅然とした態度で前を見据えている。

「えー? わからないかな。そこのなら知ってると思うんだけど」

 人の姿は少しずつ大きくなってくる。そして、この呼び方をする人を私は知っている。

「ミドリ……」

「お、せいかーい」

 金髪に黄緑の目の少女。ミドリだ。

 ミドリはニヤリと笑った。

「アンタ……ナツたちを殺そうとしたでしょ!」

 ナツが後ろから怒鳴る。そうだ。ミドリと話している間に大穴に飛ばされたんだ。

「あなた、こんな所で何をしているの?」

 ミカは声色も変えず、ただ目の前の人物に問う。

「それはウチのセリフじゃない? こんな所に大勢できてどうしちゃったの?」

 ミドリは飄々としている。

「こちらが質問しているのだけど。こんな所で何をしているの? 目的は?」

「えー? アンタのところの喫茶店が閉まっているから店主のアンタを追いかけに――」

「本当は?」

「アンタたちの事を追いかけているのは……本当。まさか、怪異を削除しにきたわけじゃないかなーって」

「そのまさかだとしたら?」

 ミカにそう言われたミドリはため息を一つついた。


「全力で止めるまで」


 ミドリはポケットからナイフを取り出すと、ミカに飛びかかった。

 喉元を狙うナイフを、ミカは最小限の動きで避ける。

 ミドリが右足を踏み込む。すぐさま反転して、ミカのがら空きの背中に狙いを定める。ミカはすぐに振り向いた。とっさにミドリの手首を掴む。

「遅い」

「そうこなくっちゃ」

 ミドリは腕を振り払うと、一瞬の隙を見たのか、ナイフを今度は胸に突き刺そうとした。

「ミカ!」

 危ないと言いたかったのに、声が出ない。

 しかし、私の左右から、人影が飛び出す。ナツとフユだった。あの子たちは私と違う。

 両側からミドリを挟み込み、銃を取り出す。手元のナイフに照準を合わせ、撃つ。

 衝撃でナイフが跳ね上がる。一瞬の出来事だった。

「マスターを殺そうとしたんだから手を出させてもらったよ」

「三対一でも卑怯に思わないで……」

 ミドリは両手を上げた。しかし、両側から銃の照準を合わせ続けられているというのに、ずっとニヤリと笑ったままの表情を崩さない。

「アンタたち、それほど霧払いをしたいの? 大人げないというかさ、正々堂々としてないというかさ」

「逆に、あなたにとって霧がそれほど大切なのかしら」

 ミカはミドリのことだけをずっと見ている。視線をそらさない。胸の前で腕を組んで、ただミドリの事を見下ろす。

「そりゃあ、消してしまったら元に戻らないじゃん。世の中にあるものは、なにかしら使い道がある。霧にも、もしかしたら大事な使い道があるかもしれない。ただそれだけ――」

「その『もしかして』で霧を放置したら、一体いくらの犠牲者が出るんでしょうね」

「それは自衛しない人たちが悪いんじゃないの? ……まさか、犠牲者をなくすためだけに霧を晴らそうとしてるの?」

「『だけ』? 人の事を何だと思ってるの」

「いやいや、ウチからしたらアンタたちは怪異の事を何だと思っているのか聞きたいんだけど」

「怪異は怪異。この世にあってはならないもの」

 すると、ミドリはため息をついた。そして、「そういえばさ」と言ってこっちを向いて言葉を続けた。

「ヨイちゃん。さっきからそこでボーっと突っ立って何してるの? 隙だらけだよ」

 え?

 こちらへ迫ってくるミドリ。いつの間にか回り込まれてしまった。首元に冷たい感触。

「アンタたちが卑怯な事するなら、こっちも仕方ないよね」

 後ろからミドリの声がする。ああ、殺されちゃうんだ。最悪だ。

「その子を離して」

「手を出したら許さない……」

 ナツとフユは銃口をこちらに向ける。

「撃ちたかったら撃てば? ちょっとでもエイムがずれればこの子が死んじゃうけど?」

 ミドリは私を盾にしているって事?

「その子を離して」

 ミカが一歩近寄る。

「やだね」

「交渉なら話くらい聞いてあげるよ」

 ミカはさらに一歩近づく。あくまで上から目線だ。

「交渉? そんなものは無いよ。でもそうだなー。この子だけ置いてあなた達だけ帰るか、この子だけ生かして他は殺されるか。それくらいは選ばせてあげるけど」

「何言ってるの。命の取捨選択をしろっていうの?」

 ミカはまた一歩近づいた。

「うん。別に無理な話じゃないと思うけど」

「じゃあ……あなたが死んで」

 ミカが冷酷に私を指さした。……え、死ぬの?

 ナツとフユがこちらに向かって歩き出す。もちろん二人とも銃を持っている。

「え、私を殺す気?!」

 私が何を言ってもナツとフユは何も答えない。ただ歩いてくる。

「やめて、殺さないで」

 声は届いていないのか。反応しない。

「どうして……」

 ミカは一歩も動かず、その場で微笑んでいた。

 そして、ナツとフユが目の前までやってくる。

 私、殺されるんだ。

 目を閉じる。

 銃声。

 私の後ろで物音がした。

「クロ、もう大丈夫だよ」

 ミカの声がする。

 目を開けると、ミカが目の前にいた。

「み、ミカ」

「あ、後ろは向いちゃダメだからね。真っ赤だから」

「真っ赤……? あ、え、うそ」

 死んじゃった?

「もう、反応が可愛いね。まさかクロが殺される訳無いでしょ。理由も無いのに」

 ミカは私の頭を優しく撫でてくれた。

「いや、切り捨てられたのかと」

 突然、後ろから誰かに抱きつかれた。

「よく頑張ったね!」

「怖い思いさせてごめん……」

 ナツとフユだった。

「本当に怖かったよ! どうして返事してくれないの!」

「記憶を削除している時は集中するからさ」

「どうしても喋れない……」

 そんな理由?!

「……記憶を削除? どういう事?」

 私には意味がわからない。

「ナツたち今この瞬間の記憶も消せるの」

「それでフユたちはずっとミドリの記憶を消し続けた……」

 ……で、どうなるの?

「クロはあまりピンときてないみたいだね。簡単に言うと、記憶に残らないから、知覚されないって事」

 ミカが言ってくれてようやくちょっとわかった。

「ミドリの記憶に残る前に近づいて倒しちゃったの?」

 三人とも頷いた。えー……すご。

「あくまでナツとフユのは人間相手にしかきかないけどね。それでも十分だよね」

 ミカが言った。ミカがどうしてあんなに上から目線で余裕があったのか今ならわかる。

「それにしても、邪魔者もいなくなったし良かったよ」

 ミカはスッキリとした顔をしている。

「ミカはミドリが誰か知ってるの?」

「知らないけど、知ってる」

 ……?

「どういう意味?」

「ほら知人の話をしたでしょ」

 少し前に聞いた気がする。霧を囲うように町をつくったのもその知人だとかなんとか。

「うん」

「あの人、怪異を絶対に保存しようとしていたの」

「うん。……え? まさか」

「いや、流石にミドリがその知人ってことは無いよ。流石にわたしは覚えてるし。でも、知人の助手かもしれない」

「助手?」

「うん。あの人自分で『怪異探偵』とか名乗ってたし」

 探偵と助手ってことか。

「助手……殺しちゃった?」

「もしかしてヤバい?」

 後ろでフユとナツがしまった! みたいな顔をしていた。

「いや、その知人とはもう会うこともないし……。助手を殺しちゃってもねぇ。そもそも止むを得ない状況だったし」

 ミカは「気にするな」と言いたげだった。

「「よかったー」」

 ナツとフユは胸を撫で下ろした。

「じゃあそろそろ行こうか。向かうは学校だよ」

 ミカは歩みを始めた。休憩とか無いみたい。むしろ今の会話が休憩だったのかな。

 ナツとフユは何も言わずにミカについていく。みんな体力あるなー。私も頑張ろう。

 学校に行って、ハルトに出会って、倒してもらう。それでミカとの約束は終わり。簡単だ。

 あれ、そう言えば。

 ふと、気になって後ろを振り返ると、赤い水たまりの上に人が寝転んでいた。

 特に心は動かなかった。

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