第3話

「ちょっと、大丈夫?!」

 体が揺さぶられる感覚がする。眠りの暗くてドロドロした世界から現実に引き上げられる。

「……あぁ、ナツ……」

 いつものベッドで目を覚ます。ナツが私の顔を心配そうな顔で覗き込んでいる。じっとりとした嫌な汗をかいていた。

「はぁ、良かった。もう、毎回うなされてるけど、いつも何の夢を見てるのよ。はい、水持ってきたよ」

「あ、ありがとう」

 ナツが起こしに来てくれたようだ。不安そうな顔をしている。自覚ないけど周りから見ると心配される程うなされているのかな。

 私がここに来てから一週間が経った。毎日誰も来ないカフェを三人で店番している。暇だけど、案外悪くない。時間が緩やかに流れていく感じがする。一日を通して平和だ。

 しかし、朝に関しては話が別だ。毎日が最悪の目覚め。謎の抜け出せない悪夢に襲われて、苦しくなる。一昨日あたりから眠るのが怖くなってきた。

 手渡されたマグカップに入っていた水を一気に飲む。食道を冷たい水が通り抜ける感覚がした。

「また『ハルト』?」

 ナツが私が寝ているベッドに腰掛ける。

「うん……」

 日によって見る夢は全く違うが、夢には共通点がある。それがハルトという少年だ。と言っても、その少年が本当にハルトなのかは分からない。何故なら毎回私が彼の名前を呼んでいるからだ。向こうから名乗ってくれた事も無いし、私の呼びかけに応じることもない。相手は心ある人間じゃなくて私の夢の登場人物だから、普通の道理が通るわけでは無い。

 とにかく、そのハルトが毎回私の夢に出てくる。出てくるタイミングはバラバラ。服装もバラバラ。ただ、真っ黒な髪にキリッとした黒い目、そして口元のホクロが特徴だ。それだけは変わらない。服装はオシャレさんなのか毎回違うのに。

 あ、変わらない事と言われたらもう一つ。ハルトが出てくると、遅かれ早かれ夢の世界が壊れる。壁も床も全てが崩れ、暗闇に包まれる。ただ、落ちる感覚だけが私を襲う。こうなるとどうしようもない。息苦しくて、動けなくて、辛い。思い出すだけでしんどい。

「ちょっと、手が震えてるじゃない」

 ナツが私の手を両手で包む。ナツの温かさが手を通じて私に伝わる。

「あはは、ちょっと夢の内容がフラッシュバックしちゃった」

「もう、ナツがここに居て、フユも近くに居るのに夢の事なんて気にするのー? ほら、そんな事より今日を楽しく過ごそ?」

「そうだね。夢の内容なんてどうせ現実には関係ないもんね」

「そうそう!」

 ナツが私の腕を引っ張る。私は素直に引っ張られてベッドから起きた。

「うわあっ」

 ……が、足に力が入らない。

「どうしたの?」

「ちょっと力が入らなくて……うまく歩けない」

「じゃあ落ち着くまでナツが隣で待ってあげるよ」


 ***


「ごちそうさまでした」

 フユの作ってくれた朝ごはんを食べて、コップの水を飲み干す。

 食器をキッチンに返しに行く。といってもカウンターについているから、私がカウンターの向こうに回り込むだけだけど。

 フユはいつも通り洗い物をしている。しかし、なにやら思い詰めた顔をしていた。時々手を止めてため息をついている。

「フユ、朝ごはんありがとう。何か浮かない顔してるね。どうしたの。何かあった?」

「ん……クロ。あのね、いつの間にか牛乳が無くなってて……お休みの日に買い忘れたフユが悪いんだけど」

 なんだ。それだけか。

「別にそれくらいで悩むことなくない?」

「だって……お客さんが来たら……」

「ああー」

 私にしわ寄せが来るのか。でもこの一週間で来たお客さんは居ないけどね。

「買いに行ったら良いじゃん。ナツ買ってくるよ」

 カウンターの向こうでナツが言った。私の前を通りすぎて入口のドアへ歩く。

「フユを置いて行くつもり……?」

「えっ」

 ナツの足がピタッと止まった。フユの方をちらっと見ると泣きそうになっている。そうか仲良しだとこんな事案も起こるのか。

「そ、そうだ。じゃあフユも一緒に買いに行こう」

 ナツの顔に焦りが見える。さっきあんなに頼もしい姿を見せてくれたのに。あまりの変わりように同じ人と思えない。めちゃくちゃ狼狽えてるじゃん。

「良いけど店はどうするの……?」

「確かに」

 ナツとフユは悩みこんでしまった。

「「あ」」

 うわぁ、いきなりハモらないでよ。二人して同時に何を思いついたんだろう。

「あれ?」

 何故か二人の視線がこちらを向いている。

「ナツ気づいちゃったんだ。クロがお使いに出てくれれば良いって」

「フユも同じ事に気づいちゃった……」

 嘘でしょ?

 双子は同時にニヤリと笑った。


 ***


 何故だろう、心の中は不安でいっぱいだ。いざとなればあの喫茶店から逃げるつもりだったのに。せめて毎日心の準備をしておけばよかった。見ず知らずの街は怖いな。

 ただメイド服を着なくても良いってのがちょっと嬉しい。だって動きづらいから。いつものパーカーで外に出れたのは良かったかも。

 まあせっかく外に出れたんだ。目的地までは少し遠いらしいけど散歩だと思ってのんびり歩こう。晴れてるし、暖かいし、歩くには絶好の日和だ。

 どうせ喫茶店に居ても暇な一日になることは決まっている。ちょっとした刺激に鳴るんじゃないかな。

 それほど広くない車道。端を歩かないと車に轢かれそうだ。現に、少し歩いているだけで私のすぐ横を車が結構なスピードで走り抜けていく。多分住宅街なのかな、道の両端は高いブロック塀が連なっており、逃げ場は無い。

 そう言えば、あの双子からは二つの物を借りた。一つはフユのスマホ。どうやら最新のものらしい。白いスマホで、本体の裏面には、カメラのレンズがいっぱいついている。そんなにいるのかな。

 目的地までは地図アプリを使って頑張れとのこと。地図読むの苦手なんだよな。でも困ったら電話してって言ってたし、最悪の事態になることは無さそう。

 そして二つ目。これがとても扱いに困る。

「これ警察に見つかったらヤバいよね」

 独り言を言って、私はパーカーのポケットに手を入れる。ポケットの中には重くて、冷たくて、ある程度の大きさがある何かが入っている。周りに誰もいないことを確認して、少しだけポケットからそれを引き抜いた。黒く光る持ち手の部分が少しだけ外気に当たる。これは……拳銃だ。

 二人に見せてもらった時に、拳銃の全体像は見た。銃弾が六発ほど入る丸くてくるくる回る部分に、フユが六発全部装填しているのも見た。使い方も教えてもらった。

 ただ、「どうしてそんなものを持っているの」と聞いたら、二人とも目をそらした。そこが一番気になる所なんだけどな。そんな物持ちたくなかったが、どうしても護身に必要だからと持たされた。この街は治安が悪いのかな。ちなみに、銃なんて危ないもの持ちたくないので、「壊しちゃうかもしれない」といって受け取りを拒否したら、「替えならたくさんある……」ってフユが言って銃をさらに押し付けてきた。どうなっているのよ。いっぱいあっちゃ駄目でしょ。

 どこかから足音が聞こえてきたので、拳銃をまたポケットにしまう。こいつが重いせいでちょっと歩きにくいんだよね。

 どれだけ危ないものを持っていても大丈夫。堂々と立ち振る舞えば良い。私はただの一般市民ですよーって。キョロキョロしていると怪しまれる。……ってナツが言ってた。

 さて、歩き始めて十分も経っていないが早くも疲れ始めた。体力が無い。そうだよね。毎日喫茶ミストから全く出ない生活だもんね。一日の中で一番負荷のかかる運動が階段の上り下りだもん。そりゃ体力なんて付かないよね。

 道は少し開けてきた。ブロック塀はいつの間にか見かけなくなったが、かわりに道の左側には謎の白いフェンスが向こうまでずっと設置されている。フェンスの向こうには何もない。不思議な光景だな。ちなみに右は少し大きな一軒家が何軒もずっと続いている。

 あと何分で着くんだ。スマホ……スマホを確認しないと。……えっと、地図アプリを開いて……うーん、見た感じ全行程の五分の一くらい? ちょっとキツくなってきた……。ちょっと近道とか無いのかな。……うわ、無さそう。

 この街そもそも形がいびつ過ぎるんだよ。小さい円があって、その周りをさらに大きな円が取り囲んでいる。二重丸みたいだ。そして、小さな円と大きな円の間の領域に街がある。簡単に言うとドーナツみたいな感じ。

 真ん中のぽっかり穴が空いた部分に何が有るのかはわからない。一応白いフェンスの近くまで寄ると、穴を近くで見ることは出来る。崖は真っ直ぐ真下にくり抜かれたようになっていて、何か自然に作られた物とは思えない。対面の陸地が観測出来ないことを考えると、この穴は地図だけでは想像しにくいが結構広いものなのだろう。そんなこと考えても仕方ないとは思うけどね。

 穴の下がどうなっているのか知りたいが、穴には雲海が広がっており、下の様子はまるでわからない。穴に飛び込もうにも白色の網状フェンスが穴の下に人を寄せ付けないようにして立てられている。色だけは頑張って町並みに溶け込もうとしているが、存在そのものが異質過ぎる。フェンスが途切れている場所はどこにもなく、向こうに行ける気配は無い。また、フェンスの上部は有刺鉄線が張り巡らされており、絶対に向こうに行かせないという意思を感じた。

 ちなみにこれは内側の円の内にある穴のことだけど、外側の円の外側の空間がどうなっているかはわからない。ナツやフユは何も言っていなかった。そもそも私がこの街の地形について把握したのが今日だからなんだけどさ。外側の空間がどうなっているかは……わからない。確認したくもない。今から遠回りして外側の端に行く体力なんて残って無いよ。

 喫茶ミストはちょうど真南の場所に小さな円を背中合わせにするように建っている。だからたまたま内側の円の様子が知れただけ。

 地図アプリとにらめっこしながらフェンス沿いを歩いて行く。フェンスには時々、『監視カメラ作動中。フェンスを壊さないでください。処罰の対象になります』と、とんでもなく物騒なことが書かれている張り紙を見かける。同じデザインの張り紙を等間隔で見ることができる。誰かのいたずらかと思ったが、張り紙の下に『鈴霧台すずきりだい』と地名がついているのを見る辺り、いたずらにしては手が込んでいる気がした。まあでも処罰って法律とか条例って事? そんなのどうやって認められたんだろうね。不思議。

 というか地形とか法律とかマジでどうでもいい。もう疲れた。さっきも言ったけどまだ全体の五分の一しか進んでないんだよ。なのに脚が痛い。……あ、帰り道もあるから十分の一か。あ、気づいちゃいけないことに気づいた気がする。うわー絶望。

 正直喫茶ミストから放り出された時に少し楽しみな気持ちもあった。街の雰囲気どうかなーみたいな。でも実際歩いてみたら、左はフェンス、右は家。それも家は全てコピー・ペーストしたかのように同じ形。白が二百色あると言わんばかりに全ての家でちょっとずつ色が違うけど、そんなの部外者からしたらアイデンティティにならないよ。

「帰りたい……」

 あんなに抜け出したかったのに。今ではもう戻りたいと感じている。

 痛いと悲鳴を上げる脚を無理矢理ひきずって前に進む。明日はもう動けないかもしれない。

 天気は雲一つ無い晴れ。空を見ると気持ちだけは晴れやかになる。体へのダメージは減らないけど。

 進んでいるはずなのに景色は全く変わらない。無限ループでもしているのかと錯覚する。どっかで逆戻りしたらこの無限ループから抜け出せませんか。戻るだけ? ……ですよね。

 ああ、しんどい。「お使いは死んでも嫌」って断ればよかった。

 休憩したい。

 ふと、どこからか何人かの子どもがはしゃぐ声が聞こえてきた。顔をあげて少し遠くの方を見ると、何やら木々が生い茂っている場所がある。

「何あれ」

 なんとか力を振り絞って近づいてみると、カラフルな遊具に何人かの子ども。もしかしなくてもこれは公園だ。

「休憩しよう。うん。疲れた」

 ナツもフユも、何時までに帰らないといけないとかは言っていない。少しずつ進めば良い。そのために今は休む必要があるんだ。

『南鈴霧台東公園』と書かれた石の板を横目に公園に入る。南か東かはっきりしなよ。

 公園に一歩足を踏み入れると、アスファルトの地面が土になる。ザッザッと足音を立てながら、近くにベンチを見つけ、そこに腰掛けた。

 あー、生き返る。脚がジンジンと熱くなっている。

 ちょうどベンチの所は木陰になっているからとても涼しい。休むにはベストコンディションだ。

 やはり子どものはしゃぎ声はここからだった。公園のあらゆる所で子どもたちが遊んでいる。遊んでいるところを横から見るのは意外にも楽しいものだった。ジャングルジムでは鬼ごっこ。ブランコでは二人乗りやどこまで遠くに飛べるか競う遊び。遊具のない開けた場所ではサッカー。いやアクティブすぎないかい? 怪我しないでよ。

 そうして子どもたちの遊び観戦に夢中になっていると、突然、誰かに後ろから肩をトントンと叩かれた。やばい、警察か。

「あれ? ヨイちゃん?」

 全く聞いたことのない声。本当に誰だ。

 振り向くと、そこには私と同い年くらいであろう女の人が立っていた。明るいの金髪を肩までのばし、黄緑の眼がキラキラと輝いていた。

「あー! やっぱりヨイちゃんだ!」

 向こうはこちらの事を認識するとガバっと抱きついてきた。

「え、ちょっと……」

「もう、ウチだよ。ミドリだよ」

「あぁ……」

 ミドリ……うーん。ちょっとよくわからない。知り合いだったのかな。

「ちょ、反応薄くない? 一番のダチだったのに? ウチとヨイちゃんの温度差すごくない? もう、最近連絡くれなかったから心配してたんだよ?」

 ミドリと名乗る子は私の両肩を掴んで私をグラグラ前後に揺らす。ミドリは何故か少し涙声になっている。

「あはは、ごめんごめん。ちょっと色々あってね」

 とりあえず当たり障りの無い言葉で話を合わせよう。この場を切り抜けないと。もしかしたら相手は本当に一番の友達だったかもしれないし。

「それでも連絡くらいしてよ!」

 ミドリは私の体をさらにグワングワン揺する。酔いそう。

「ごめん。本当にごめん」

 私がそう言うと、ミドリはスンと元に戻った。まだ景色がふわふわしている。

「よし、謝ったなら許す。今度から勝手にいなくなっちゃ駄目だからね」

 こっちは記憶喪失で何があったか知らないんだけどね。

「うん」

 まぁ、これでなんとか切り抜けたでしょう。

「それにしてもヨイちゃん雰囲気変わったね」

 おっと、ダメっぽい。

「そう?」

 少し前の自分すらわからないのに雰囲気とか言われてもね。

「うん。ほら、これ中学の卒アル」

 ミドリは私の隣に座った。これは長くなりそうだ。持っていたレジ袋を横にドスンと置いて、「写真……写真」と呟きながらスマホをいじりだした。そして、「あった」と、スマホで一枚の写真を見せてくれた。

 そこには金髪に黄緑の眼をした少女と、黒髪に青い眼をした少女がそれぞれ別々で、しかし隣同士で写真に写っていた。写真の下には『桜花緑おうかみどり』『宵街結秋よいまちゆあ』と、名前が書いてある。

 確かにこの写真は私だ。少し幼く見えるが、それは今の自分が成長したということだろう。

 ……ってあれ、この写真が私だとしたらこれが私の本当の名前? クロなんかじゃなくて、本当の名前は結秋?

 私の過去、一つ解明しちゃったのか。これで……本当に? 全く実感が湧かない。

「ほら、結構ヨイちゃんの雰囲気変わったでしょ?」

 思考が駆け巡る脳内にミドリの声が突き刺さる。

「え、あ、あーたしかに」

 とっさに言葉が出てこない。一応ミドリに意見は合わせたけど、どうだろう。改めて写真をみても、私には何が違うのか全く分からなかった。別に、この写真からなら順当に育てば今の私に育ちそうだけど。

「まぁでも、ウチは今のヨイちゃんの方が好きかな」

「え、そう?」

 今の自分を良く言ってくれるのは嬉しいな。

「うん。でも何が良いかって言われたらウチには説明できないけど。うん、やっぱり雰囲気がちょっと違うなーって感じ。もしかしてアレ? 恋の力ってやつ?」

 恋の力?

「それってどういう……」

「ちょっ、しらばっくれないでいいよーもう。ヨイちゃんがサカザキ君と恋人なのはクラスどころかウチらの学年全員知ってることじゃん」

 そう言ってミドリはスマホで私に別の写真を見せてくる。

 写真には同じベンチに座って仲良く話している男女の姿があった。一人は間違いなく私だろう。自分の姿を間違えることはない。そして隣りに座っているもう一人は知らない人のはず……あれ、この人どこかで見たことがある気がする。真っ黒な髪、キリッとした黒い目に口元のホクロ――。

「ハルト……」

「あー! もう下の名前で呼んじゃう仲になってたの?!」

 私の小さな独り言をミドリは聞き逃さなかった。ビクってするからいきなり大声あげないでほしい。

「えっ、そんなに食いつく……?」

「そりゃあもう! だってさ、付き合ってるっていうのにさ、ちょっと前まで二人とも顔真っ赤にしながらよそよそしい感じで話してたんだよ? いつの間に進展してたのさ。付き合う前に『うまく話せないよー助けてー』って助けを求めてきてたのが懐かしいよ」

「あはは……そうだっけ」

 私ってそんな感じだったの。

「そうだよ! まあでもヨイちゃんも成長したってワケね。ウチは嬉しいよ」

 なんだろうこの感じ。私が記憶を失う前は、この隣にいるミドリと友達で、ハルトと恋人だった。

 そうだ。そのまま受け止めれば良い。

 だけど、なんだろう。このふわふわした気持ちは。全て本当なのかな。今まで私に降り掛かってきた出来事全て、そのまま額面通り受け取って、信じても大丈夫なのかな。なんというか。記憶が伴わないから実感が湧かない。

「――」

「……あれっ?! ヨイちゃんいきなりボーッとしてどうしたの? ウチなにか変なこと言った?」

「えっ、あ、ごめん。ちょっと疲れてて」

 隣に人がいるのに一人で考え事してしまった。

「へぇ、あのスポーツ万能ヨイちゃんが疲れることあるんだね」

 スポーツ万能? この私が? 本当に?

「スポーツ万能……」

「あれ、もしかして自覚ないタイプ? 天才型だねー。運動部の助っ人に呼ばれまくって、数々の大会で優勝をかっさらってきたってのに」

 うーん。信じられない。絶対嘘でしょ。それか話盛られてる。

「え、そうだっけ」

「そうだよね。能ある鷹は爪を隠すってやつだよね。ウチと違って偉いなー。人間性から違う」

 なんか全部肯定される……。

「あ、ヨイちゃんが公園に居たのって休憩のためか」

「え、そうだけど」

「なーんだ。妹か弟が居るのかと思ってた――ってそう言えばヨイちゃんこの前一人っ子って言ってたね。すっかり忘れてたよ」

 私って一人っ子なんだ。いろいろな情報が入り込んでくるけど何ひとつとして実感がない。

「ってことはミドリは妹を待ってるの?」

「あれ、言わなかったっけ。弟だよ。ここで遊んでるはずなんだけど」

 二分の一を外しました。

「あ、いたいた。おーい、ケンー! 帰るぞー!」

 ミドリの声に反応して、サッカーをしていた少年が一人とことここちらにやってきた。

「おい、ねーちゃん早すぎ! 俺はもっと遊びたいんだけど」

「だーめ。ウチにはウチの事情があるから」

「友達はみんな夕方まで遊ぶって」

「昼もまだなのに……よそはよそ。うちはうち。はい。帰るよ!」

「やだ!」

「やだじゃない」

「やだ!!!」

「やだじゃない」

「じゃあおんぶして」

「はあ? お前この年で……それにお前の友達も見てるんじゃ」

「みんなもうサッカーに夢中だよ」

「はあ、わかった」

 これが姉と弟のやり取り……。

 ミドリは手に持っていたレジ袋を何度か見て、ため息をついた。

「ちょ、ヨイちゃん。ちょっと弟がおんぶを要求しててさ。ちょっとこの袋持てないから貰ってくれない?」

「え?」

「大丈夫。変なものは入ってないから。お金も取らない。ね、良いでしょ。人助けだと思って」

「まぁ……」

「助かるー。じゃあ。弟を早く家に連れ帰さないと親がうるさいから、ウチは帰るね。ごめんね短くて。今度ゆっくり話そ」

 ミドリはそう言うと本当に弟をおんぶして帰っていった。

 袋の中には何が入っているんだろう。

「わお。これは」

 中を覗いてびっくりした。そこにはなんと牛乳が入っているではありませんか。それも三本。いや本当はこんなに要らないけど。

「本当に置いて行って良かったのかな」

 まあ私は助かるからラッキーということで。

 じゃあ目的も達成したし。そろそろ帰りますか。

「痛っ」

 ベンチから立ち上がった所でふとももあたりに痛みが走った。うう、慣れない運動はするもんじゃない。

 しかたない。この子たちのサッカーが終わるまで座って休憩しよう。ちょっと位遅くなっても大丈夫だろう。

 ……いやまじで絶対スポーツ万能じゃないわ。


 ***


 苦節数十分。思わぬ形で目標を達成し、私は無事喫茶ミストに戻ってくることに成功した。この建物の外見。ドアノブにかかった「open」の札。見るだけで涙が出てきそうだ。ああ、もう外に出たくない。正直喫茶ミストがとてつもない悪の組織のアジトでもない限り、私はここから抜け出すことはないだろう。もうナツとフユが居ないと生きていけなくなってしまった。

 さて、ドアを開けよう。みんなにただいまを言って、お昼ご飯食べて、その後はお昼寝かな。

 ナツとフユは何をしているのかな。本でも読んでるのかな。それとも店の掃除かな。

 なんでもいいか。でも、ちゃんと頼まれた事をやったんだから二人には褒めて欲しいな

 私は思い切り扉を開けた。

「だだい……」

 扉の向こうの光景は私の想像出来ない、現実とは思えないありえないものだった。

「誰?」

 カウンターの奥の方にはナツとフユ。そして、

 意味がわからない。私はここにいるのに。どうしてもう一人の私がそこにいるんだろう。

 もう一人の私はナツとフユと、さも当然のように話して、笑っている。

「それは誰?」

 もう一度問いかけてみるも、話に夢中なのか、三人には届かない。

 背中を寒気が襲う。本能がこの光景を受け入れられないようだ。それと同時に、出処不明の怒りが体を熱くさせる。そして視野が狭まる。

 私に似たこれは何だ。どうしてそこにいるんだ。ふざけないでよ。

 全ての事柄に怒りが湧く。鼓動、瞬き、動かない体、ポケットの重いもの。違う。ポケットにあるものは――。

「離れなさい!」

 大声で呼びかける。私の体は勝手に動いていた。入口から目の前の私のような何かに対して銃を突きつける。距離なんて考えられない。

「クロ?!」

「……クロが、二人?」

 ナツとフユはようやく私に気づいてくれた。そして、非現実的な光景に混乱している様子だった。

 私の偽物はゆっくりとこちらを振り向く。私を認識すると、青い眼が大きく見開かれた。

「あなたは誰なの。ここはあなたにふさわしくない」

 相手がどんな動きをしても対応できる気がした。

 少しでも動いたら撃つ。

 今の私には出処不明の覚悟があった。

 偽物はずっとこちらを見続けている。何をしてくるんだ。話しかけてくるのか。それとも飛びかかってくるのか。

 どうするんだ。

 私は相手を見据えている。しかし、事が動いたのは一回瞬きした瞬間だった。

「え?」

 パッと消えてしまった。跡形もなく。

 おかしい。さっきまでここにいたのに。

 周りを見てもどこにもいない。

 ただ、自分の早くなった鼓動だけが、さっきまでの出来事が実際に起こった事であると伝えていた。

「ああ……」

 全身の力が抜ける。膝から崩れ落ちてしまった。もう立てない……。


 ***


 ……あれ、寝てた。

 ぼやけた視界の焦点が定まると、よく知っているカフェの天井が見えた。どうやらソファで寝ていたらしい。お腹にはブランケットがかかっている。外はいつの間にか真っ暗だった。

「あ……起きた」

 フユが向かいのソファに座っていた。

 一度体を起こして、ソファに座り直す。背中が痛い。

「おはよう。いつから寝てた?」

「膝から崩れ落ちて……そのままバタっと……」

 ここに来てから倒れ過ぎなんだよな、私。

「体の具合はどう……?」

「慣れない所で寝たから背中が痛い」

「それだけ……?」

「うん」

「じゃあ大丈夫」

 私からしたら大丈夫じゃないよ。

「あ、クロってば起きてるじゃん」

 階段の方から足音がしたと思えば、二階からナツが降りてきた。

「ごめんね。ナツたちが気づいていればこんなことには……」

 ナツはそう言って私の隣に腰掛けた。

 気づく……そっか、なぜか私の偽物がここにいたんだっけ。

 でも、気づくとかそういう問題なのかな。まさか私の偽物がこの世に居るなんて微塵も思わないだろうし。

「クロは多分いきなりの出来事に気を張り詰めすぎちゃったっぽいね。それから急に気を緩めたから倒れちゃったんだと思う。でも本物が帰ってきてくれなかったら今頃ナツたちはどうなっていたかわからないし……本当にありがとう」

 ナツは私の頭を優しく撫でてくれた。

 その手はとても優しくて、心地よかった。

「私はただ帰ってきただけで――」

「ナイスタイミング……」

 もう、フユまでそんな事言って……。

 これ以上何か言われても逆に居心地が悪くなりそうなので、話題を少し逸らそう。

「で、あのもう一人のクロは一体何だったの?」

「そうそう、それが分からなくさっき上の階に居たマスターに聞きに行ったのよ」

 最近ミカをずっと見かけていないけど、ずっと上の階にいたのか。たまには姿を見せてほしいんだけど。

「で、ナツ。ミカはなんて言ってた……?」

「え? えっとね。なんて言ってたっけ。どー、ドッペリ?」

「ドッペルゲンガー……?」

「そう、それそれ。ドッペルゲンガー。フユってば賢いね」

 名前しか聞いたことのないものが出てきた。

「ドッペルゲンガーってなんだっけ」

「分身……みたいな……?」

「でもナツはマスターから死期が近い人の前に現れるって聞いたよ?」

「えっ」

 さっと血の気が引くのを感じた。なんだっけとか聞かずに知らないままにしておけばよかった。え、死期が近い人の前に現れる? 私もうすぐ死ぬの? 記憶を失ってその後すぐ死亡ってそんなのあんまりだよ。

「でも……フユが読んだことがある本、ドッペルゲンガーは周りの人と喋らないって……」

「あ、そう言えばマスターはこれも言ってた。ドッペルゲンガーは幻覚だからみんな揃って見えるなんてことは考えにくいって」

 えー、なんかいろいろ出てくるけど……。じゃあドッペルゲンガーじゃないのかな?

「じゃあ結局あの偽物はなんだったの? ナツとフユは心当たりある?」

「心当たり? ある――」

「ナツ……でもそれは違うんじゃない?……」

 私はフユがナツにウインクで合図したのを見逃さなかった。

「あっ、あー確かに? あれは違うかー」

 ナツが芝居がかった調子になる。これ絶対何か隠されたと思うんだけど。

「フユがマスターに聞いておく……。何か分かったらまた伝えるから……」

 そのままこの話ははぐらかされてしまった。気になる。私だけ仲間はずれにするんだったら言ってくれてもいいのに。

「そんなことより……牛乳は……?」

 フユはそのまま話題を大きく変えた。

「牛乳?」

「買ってきた牛乳……」

 牛乳はミドリとかいう人に貰って……レジ袋ごと持って帰っているはずなんだけど。

「ビニール袋なかった? その中に入っていると思うんだけど」

 私の言葉を聞いてナツがソファーを立った。カウンターと、入り口と、ドアを開けて外も確認する。

「ビニール袋なんてないよ? ドアの外にも」

「あれ?」

 おかしいな持って帰ってきたはずなんだけど。

「ま、別にいいじゃん。明日また考えよう。こんな暗い中外出たくないもんね」

 ナツはそう言ってまたソファに、今度はフユの横に座った。そしてナツはフユの肩に体を預けた。

「ちょっと……ナツ、重い……」

「たまにはいいじゃん」

「もう……」

 本当に仲が良いんだね。

 それにしても今日は変な日だった。私の一番の友達を名乗るミドリに私と瓜二つの謎の存在。牛乳も消えちゃうし。あれ、もしかして今日の私って、ただ無駄に体力をすり減らしただけじゃないかな。虚しい。

 またソファに倒れ込む。ソファは体重で結構沈み込んだ。もう上の階の自分の部屋に行く気力は無い。

 目を閉じると、ソファのように私の意識も沈む……ことはなかった。

 そうだよね。さっきまで眠ってたんだもん。

 視線をナツとフユの方に向けていると、どうやら二人だけの世界に入っているようだった。他愛も無いことで話し込んでいる。

 仕方ない。目を閉じて羊でも数えることにしよう。

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