第41話 異世界ブックストアは敷地420坪
本屋へ向かうと告げられて、私のテンションは否が応でも上がっていた。
何を隠そう、私は無類の本屋好きである。
現世にいた頃はほとんど毎日のように大学生協の本屋に足を運んで棚を眺めていたし、京都に旅行へ行った時は、ほとんど観光もせずに古書店の類を回っていた。
わずか千円足らずで、私を様々な世界へ連れて行ってくれる本。それらがぎっしりと詰まった空間というのは、文学青年を自称していた私にはたまらない場所であったのだ。
「イナバ、なんだか嬉しそうだね」
そんな胸の高鳴りは、迂闊にも表情に出てしまっていたようで、そのようにバイリィに指摘された。
そうこうしているうちに、我々は目的の場所へとたどり着いた。
「ここが、私の行きつけのお店。その名も、Zì Chāo Zì Mài! 意味は、『自分で書いて自分で売る』だよ」
その店は、金物屋と雑貨屋の間に、こぢんまりと入り口を構えた店だった。
異世界の本屋と聞いて、私は個人経営の古書店のようなものを想像していたのだが、店頭には旗が一本、風に揺らいで立っているだけで、売り物の類は一つも見えない。
「では、突入」
バイリィが、木製の引き戸を開いて中へと入る。
私も後に続いた。
中に入って、驚いた。
いつのまに図書館に迷い込んでしまったのかと思うくらい、広かったのである。
ドミノ倒しでも出来そうなくらい本棚が並んでいて、そのどれもにぎっしりと書物が詰まっている。整頓の仕方が丁寧で、背表紙の色でグラデーションが描かれていて綺麗だった。
天井は高く、上にはぼんぼりのような橙色の光を放つランタンがいくつも吊り下げられている。
店内で読書もできるようで、テーブルと椅子が、会計カウンターの近くにいくつも並んでいた。
おかしい。外と内とで、明らかに建物の大きさが違う。
私は思わず、一度外に出て、その歴然とした差を確かめてしまうほどだった。
「びっくりしたでしょ?」
私が目の前の光景に唖然としていると、いたずらっぽく、バイリィが笑った。
「ここはね、街の中でも老舗の店なんだ。強力な空間魔術を使って、店内をどんどん広くしてるの」
経営が右肩上がりになれば、外へ外へと増設するものだと思っていたが、魔術が当たり前の世界だと、その対象は内側へと向くらしい。
私が現世と異世界の常識の差に面食らっていると、奥の方から、いかにも理知的な雰囲気を放つ青年がこちらへ歩み寄ってきた。
「おや、バイリィ。お友達を連れてくるとは、珍しいね」
一目で、この書店の店主だとわかる風貌だった。
文字の模様の入った分厚い生地の羽織に身を包み、店のコスチュームらしい白い前掛けをつけていた。
視力が悪いのか、右目には、水晶を埋め込んだ分厚い眼鏡を装着していた。
年の頃は、二十代後半から、三十代前半といったところ。この街の住人にしては珍しく、髭をたくわえていなかった。おかげでかなり若く見える。
「あ、店長じゃん。良い日を過ごしてる?」
「ええ。おかげさまで」
バイリィが挨拶の慣用句を口にして、両の手のひらを青年に見せる。青年も同じように手のひらを向けて、挨拶を返した。
「そろそろ、Chǔ Cíは写せた? 早く手に入れたいんだけど」
「毎回毎回同じことを繰り返すけど、まだ、だよ。あれの魔術文法は繊細だからね。どうしても、時間がかかるんだ」
「もー! 店長と同じ年まで待たせるつもりなの?」
「バイリィ。焦る気持ちはわかるし、お得意様である君の便宜を図りたいとも思っている。だが、こればっかりは、待ってもらうしかない。ここで、お茶と符を楽しみながらね」
「それは、そうさせてもらうけど、もちろんね」
一通りの雑談を終えると、店主は私の方を見た。
「ところで、私は最初から、そこの彼のことが気になっているんだがね。この街では見たことがない顔と、服飾だ。都市からのお客さんかい?」
その質問には、バイリィが答えてくれた。
「彼の名前は、イナバ・シンジ。聞いたらきっと驚くわ。彼は、なんと、あのLiú Kèなのよ!」
「なんと」
店主のリアクションは、これまで見た中で最も大きかった。
とは言っても、目を大きく見開き、口をぽかんと開けて数秒固まっただけで、そこらに絶叫を喚き散らしたりはしていない。
静かに、そして確かに、驚いていた。
「Liú Kè……Liú Kè……本当に、実在するものなんですね。いや、いや……。驚きました。ここ数年で、最もね」
店主は、洞窟の奥から出土した未知のオーパーツを眺めるような目つきで、私を四方八方から観察した。
むず痒くなってきたので、じろりと見ると、目があった。
彼は気恥ずかしそうな笑みを浮かべて、
「ああ……すいません。あなたの気持ちを考えていなかった。謝ります」
「いえ、気持ちはわかるので、大丈夫です」
かくいう私も、人のことは言えぬ。
私にとってみれば、この街の通行人一人とっても珍しく、すれ違う度にじろじろ眺めていたのだから。
「今日はね、このイナバに、街を案内してあげてるの。いろいろ食べたりはしたから、いよいよ、あたしのお気に入りのお店にやってきたってワケ」
バイリィがそう言うと、店主は目を細めた。
「嬉しいね、バイリィ」
「せっかくだから、店長も、イナバに色々話をしてあげてよ」
「ええ、私でよければ」
最後にバイリィは、同意を求めるかのように私に視線を寄越した。
「是非に」
無論、断るどころか、願ってもいない提案だったので、私は諸手を見せてイエスと答えた。
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