第42話 娯符―読んで楽しむための符

 店主は、ある本棚の前へと我々を案内した。


 会計カウンターの目の前の棚である。現世の本屋のように平積みにされている書物は一つもなく、一冊一冊が丁寧に棚の中へと詰められていた。


「符については、ご存知ですか?」


 店主が私に目線をくれて、そう尋ねてきたので、私は辞書で得た知識を答えた。


「ある程度は。それは、読んで楽しむものであり、魔術を使うための媒体であり、取り引きに最も使用される品です」


「ええ。その通りです」


 店主は棚から、一冊の符を取り出した。紙の束というよりは木簡に近く、分厚い。


 彼は巻物状になったそれの止め糸を解き、ばらりと広げて、私に見せた。


「この棚に詰められている符は、主に読んで楽しむためのものですね。より厳密に言うなら、娯符というものになります。原典となる作品を模写し、複製したものです」


 見ると、中に記されていたのは象形文字の羅列であった。無論、音でしか異世界語を知らない私は、中身を一切理解することはできないが、それが手書きで記されていることくらいは理解できた。


 活版印刷では出せない、著者の味というものを感じられる。たとえば、この符の場合、端の空いたスペースに落書きと思しきラフな絵が描かれていた。


「こんなにたくさんの符は、一体、誰が書くんですか?」


「様々ですね。空いた時間の暇つぶしにと記し、取り引きの材料にする者もいます。作品を読んだ後、自分の頭に染み込ませるために、複写する者もいます。ですが、大抵は、子どもたちによるものですね」


「子どもが?」


 私はもう一度、サンプルの中身を見た。確かに、落書きこそは子供らしさが見えるが、記されている文字はどれも達筆で、線の迷いはなく、配置のバランスもよい。


 てっきり、複写を生業にしている者がいるのだと思っていたから、その返答には驚いた。


「私たちの世界では、子どもはまず、文字の美しい書き方を習います。次に、表現や文章を学ぶため、こうして、有名な作品の複写を行うのです。娯符は、子どもたちにとっては良い教材であり、初めて得る対価となります」


「なるほどなぁ」


 私は実施で学ぶ文化人類学を、心底から楽しんでいた。


 面白い。現世にいるだけでは到底得ることのできない興味深い体験である。


「では、お次は、魔術を行使するための符……術符について、お教えいたしましょう」


 店主も興が乗ってきたようで、足取り軽く、次の棚へと向かって歩く。


 私は、背後の棚の前でうつむくバイリィに声をかけた。


「バイリィ。行くぞ」


「待って。今、いいところなの」


 彼女は、私が店主に講義を受けている間、ずっと後ろで娯符を読みふけっていた。

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