第35話 あばら家前で待ちぼうけ

 城壁の内部には、街があった。


 京都の町並みのように、整然と軒が連なっており、見栄えもよかった。


 城門の正面には、メインストリートと思しき大路があり、両サイドにずらりと店が並んでいた。


 軒前に椅子を置いている飲食店らしき店、果物や野菜を籠に詰めて販売している青果店、見たこともない雑貨を並べている露店、大きな竈門で金属を加工している鍛冶屋など、種々様々である。


 通りは、人で埋め尽くされていた。その多くは、背中に籠を背負った女性である。


 小学生の夏の夜、親から貰った小遣いを持って、近所の祭りに参加したときのような気分の高鳴りを感じた。


「後で、歩いてみられますか?」


 ケンネが振り返り、私を見ていた。


「ぜひとも」


「ですが、先にお館へ。イナバさまのご案内は、バイリィさまにお任せいたします。昨夜から、楽しみにしておられましたのでね」


 かわいいところもあるじゃないかと、私は思った。


 一通り町並みを楽しんだ私は、正面を向いた。ケンネがにこりと微笑みを返し、再び操縦玉を操って、飛行艇を上昇させる。


 メインストリートで行き交う人々の群れの、その上を、するりと通過していく。飛行艇は貴重品の類なのか、当機以外には見えなかった。


 大通りの先に、また一つ、門があった。


 豪奢であるが、城壁ほどの高さはない。門の上から、いかにもこの街を牛耳っていますという雰囲気を醸し出す邸宅が覗いていた。


 飛行艇はその館へと向かっている。


 察するに、あれがバイリィの住む家のようだ。彼女は想像以上に高貴な家の生まれであるらしい。箱入り娘にしては、やんちゃだが。


 上を通過すれば早そうなものだったが、ケンネは律儀にも、きちんと門を通って中へ入った。


 邸宅は、横に広い一階建てであった。


 全体的に、漆を塗ったようなシックな色合いをしていて、上品な趣きがある。格子状になった窓から、行灯のようなオレンジ色の明かりが漏れていて、風情があると思った。


 汚い豆腐のような『監獄』とは、比べることさえおこがましくなるような外観だった。背の高さこそ『監獄』が勝っているが、それ以外はズタボロだ。高所は阿呆の特権だなと思った。


 ケンネは、発着場のような庭の一角に飛行艇を停めた。飛行艇がガコンと音を立てて展開し、我々はそこから降りた。


 庭には白く細かい砂利が敷き詰められていて、踏むとむぎゅりと音を立てた。


「それでは、バイリィさまのお部屋にご案内いたします」


 私はケンネに付き従って、庭を歩いた。


 てっきり、正面の立派な邸宅へ向かうのかと思いきや、ケンネは敷地の端のほうへ歩いていった。


 石製の路を流れる小川の上を通り、豪奢な東屋の脇を横切り、仕切り壁に丸く空いた大きな穴を通過したところで、我々はぽつんと建った小屋にたどり着いた。


 素人が山奥で遭難したから、せめてもの雨露避けで建てたかのようなあばら家である。


 みすぼらしさは、『監獄』に勝るとも劣らないと思った。


「ここが、バイリィさまのお部屋です」


「ちょっと待ってください」


 私は嫌な予感がした。


 あまりこの世界の人々の善性を疑いたくはないのであるが、豪奢な邸宅とこのあばら家の対比はあまりに酷すぎる。


 私は、バイリィが、とてつもなく不遇な環境に置かれているのではないかと危惧した。


「あの、これが、本当に、バイリィの部屋なのですか?」


 私が顔を引きつらせながらそう尋ねると、ケンネは少しきょとんとしていたが、ややあって、笑い出した。


「ああ、ああ。イナバさまのお気持ちは、わかりました。バイリィさまを、ご心配なさっているのですね。大丈夫ですよ。このお部屋は、バイリィさまが、自ら望んで住まれているのです。自分には、自然を感じるこの部屋のほうが、性に合っている、とね」


 それを聞いて、私は少なからず安堵した。


「バイリィさまが、6つの頃でしょうか。突然、材木を運んできては、一日でこのお部屋を建てられたのです。最初は、お館さまも反対されておりましたが、バイリィさまは頑として聞き入れませんでした。そこからずっと、バイリィさまは、このお部屋で暮らされております」


 天才肌にありがちな奇人エピソードだなと思った。


「バイリィさま? イナバさまがお越しになりましたよー」


 ケンネが、あばら家の戸の隙間から声をかける。


 少し間を置いて、


「ふわぁい」


 という間の抜けた声が返ってきた。


「……これは、」


 隣のケンネを顔を見ると、いつものとおり化粧で覆われたにこやか顔であったが、その剣幕に「怒」が混じっているような気がした。


「イナバさま。少々お待ち下さいね」


 ケンネは建付けの悪い戸をガタガタ揺らしながら開けて、颯爽と中へ飛び込んでいった。


 私は、これから起こりうるであろう展開を予期して、苦笑いを浮かべる。


 ややあって、中から言い争うような声が聞こえてきた。


「バイリィさま! だから昨夜、あれだけ進言いたしましたのに! 準備はほどほどにと! 起きられなくなるからと!」


「ごめん! ごめんって!」


「ほら、早くお着替えを済ませてください! ああ、もう、こんなに散らかして! 私が片付けをいたしますから、バイリィさまはそのうちにお着替えを!」


「わかった! わかったから!」


 やはりというか、なんというか、バイリィは今頃目を覚ましたらしい。


 ドタバタと、あばら家全体を揺らすような喧騒が聞こえてくる。


 まぁ、いい。


 待ちぼうけには、慣れている。

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