第30話 作家の懸念はどこも同じだ
ケンネの帰宅を見送り、私とバイリィは再び、『監獄』の談話室に腰を落ち着けた。
道中、彼女は無言を貫いていた。
いつもなら、『監獄』内の物品について、あれこれ質問してくるというのに、借りてきた猫のように静かであった。
らしくないと思ったし、元に戻ってほしいとも思った。
元気を出してもらうにはどうすればいいのか考えたが、こちとら、現世でも女心を掴みそこねてきた生粋の唐変木である。
実績のない愚か者が、下手に知恵を出そうとしても失敗するのは目に見えているので、私は私らしく振る舞うことにした。
自室へ戻り、湯を沸かして珈琲を入れる。酸味が強い浅煎りのものではない。無糖でも甘みを感じることができる、ハワイ名物ライオンコーヒーである。
予め冷凍しておいたチョコレートもいくつか持ち出し、私は談話室へと向かう。
コーヒーとチョコレートのセットを、バイリィの前にでんと置いた。
「たぶん、そっちのcoffeeは、うまいぞ」
「……ありがと」
手仰ぎで匂いを確認したバイリィは、おずおずと珈琲を口に含んだ。
「ん。これは、おいしい」
彼女の顔が綻んだのを見て、私もほっと一息ついた。
しかし、まだどことなく、ぎこちない。
私は、核心に触れようと思った。
「君の、あの、景色を変える魔術。あれは、詩か?」
その問に、バイリィの身体がぎくりと固まった。
やはり。ぎこちない原因は、これか。
「君が書いたものか?」
バイリィは無言で手のひらを見せる。
「なんで、そんなに緊張してるんだ」
「だって、恥ずかしい、し」
どうやら、バイリィは、自分が紡いだ作品の出来栄えを気にしているらしい。
その気持ちは、わからんでもない。
私もかつて、大学の文芸サークルというものに籍を置き、いくつか小説を発表したことがある。
今読み返すと、凡作と呼ぶにも憚られる拙作ばかりだったが、当時の私は、「これは面白いものができたぞ」と意気込んでいた。
それほど自信に満ちあふれていた時でさえ、いざ発表するときは、いささか緊張していたものだ。
自分の作品には、読者を惹きつけるだけの魅力があるのかどうか、と。
それは、小説にしても詩にしても、文芸を創作する以上、切っても切り離せない通過儀礼のようなものなのだろう。
だから、バイリィもこうして、自分の詩の出来栄えを気にしているのだ。
「バイリィ」
だが、彼女の不安は見当違いもいいところだ。
私には、彼女の詩を理解できるほどの語彙も、感性もない。批評を下すことすらおこがましい、素人以下の存在だ。
「私には、正直言って、君の詩歌の出来は判断できない。言葉が、まだ、未熟だからな」
私が彼女の詩歌を聞いて気づいたのは、ところどころ押韻が踏まれていることと、単語数の制限があることくらいだ。
詩歌のうち、単語のいくつかは既知のものであった。
だが、下手に脳内翻訳を挟んだところで、内容を理解できるワケもない。
だから、私は彼女の詩を、音の調べとして聞いていた。
「君の詩は、まず、音として、綺麗だったと思うぞ」
したがって、感想を捧げようと思っても、この程度のものしか出てこない。
なんとなく、口惜しいし、申し訳ない気持ちになる。もっと、彼女の詩を満遍なく理解できるよう、勉強しなくてはと思った。
「ありがと」
それでも、バイリィは笑った。ほっとしたような顔だった。
やっと、戻った。
「これくらいしか言えなくて、すまんな」
「謝ることじゃ、ないって。うん。よし! 自信出た!」
「そんなに出来を気にしていたのか?」
「だって、初めてのJué Jùの形式だったし。文と術の配合も、不安だったし。あれでいいのかなって」
「術のほうは、文句なしに良かったな。まさか、昼に夜を拝めるとは」
「でしょでしょ。でも、あたしはまだ満足してないから! これから、どんどん改良して、もっと良い詩にするの!」
「うむ。がんばれ」
ご褒美とばかりに、私はバイリィにチョコを食え食えと貢いでやった。
夜を詠んでいた詩人の姿はどこへやら、彼女は三歳児のように、チョコをバリボリと食らった。
口の端は、すっかり茶色に染まっていた。
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