第29話 お迎えに上がりますので

 手に汗握る決闘を見届けた私は、健闘を讃えようと彼女たちのもとへと向かった。


 階段を降りて、正面玄関で靴を履き、裏手へ回る。


 バトルフィールドの端にある草を踏んだ時、ケンネとバイリィは、互いの帽子を被せあっていた。


 ケンネの表情が、バイリィの肩越しに見えた。


 糸目を更に細くして、笑っていた。


「おめでとうございます。バイリィさま」


「なんで嬉しそうにしてんのよ。負けたのに」


「主の成長を喜ばない従者が、どこにおりましょうか。まさか、あの規模の魔術を編み出しておられるとは」


 ケンネは、なんなら涙ぐんでさえいた。化粧の崩れを気にしてか、袖口でそっと涙を拭った。


「とにかく! あたしはKué Lìを制したんだから、約束は守ってもらうわよ。三日間、あたしは自由の身!」


「はい。もちろんでございます。ただし、三日間だけですよ。もしもまた、お勤めを放棄して遊ばれるようでしたら、また、お迎えに参りますので」


「……次回、あっさり対策してくるとか、やめてよ。これ、作るのにすごい苦労したんだから」


「ふふ。もちろん、私なりに、策は考えさせていただきます」


 決闘開始前のピリついた雰囲気はどこへやら。あまりにも和やかに談笑しているので、割って入るタイミングを逃してしまうほどだった。


 もじもじしていると、ケンネが私に気づいた。


「おや。あなたは、」


 さすがに見つけられてしまっては、ひっそりと『監獄』へ引き返すことなどできぬ。私は覚悟を決めて彼女たちへ歩み寄った。


「はじめまして」


 ぺこりと頭を下げようとして、そういえばこの世界では、この行為は礼儀を示すものではなかったと思い出す。


 私は両の手を揉み合わせ、これで合っているのかどうか不安になりながら、ケンネに挨拶をする。


「私は、この建物の所有者。名を、イナバ・シンジと言う、ます。バイリィとは、仲良くさせてもらって、おります。言葉が下手で、すまんなさい。まだ、習ったばかりなのですから」


 敬語の活用変化に苦戦しながら、なんとか自己紹介を終えた。


「これはこれは、ご丁寧に」


 ケンネもまた、両の手を合わせた。


「私は、バイリィさまの従者。ケンネ・チュアンムと申します。先程は事を荒立ててしまい、申し訳ございませんでした」


 身を引き締め、ケンネは軽い謝罪を見せた。


「いえ、気にしてない、です。良いものを、見るできましたので。Kué Lì、でしたか? 私には、とても興味深いものでした」


 私の感想を受け止め、ケンネは静かに微笑んでから、『監獄』を見上げた。


「ところで、とても立派なjhéngですね。バイリィさまが熱中するのも、無理ありません。あなたが、これを建てられたのですか?」


 ケンネの糸目がわずかに開き、黒い瞳孔を覗かせた。試すような目つきである。


 私はどう答えたものかと、考えあぐねた。


 この一夜城が突然森の中に出現したことは、恐らく、悟られている。


 ケンネはシューホッカという家に仕えている者のようだし、下手に誤魔化しても、領主へチクられて、後日調査団が派遣される恐れがある。


 違法建築の罪を問われて牢獄送りは勘弁したいし、家賃の支払いの目処すら立たない現在、罰金ですら御免被る。


 かといって、馬鹿正直に「異世界から建物ごとやってきました。すいません」と答えたところで、信じてもらえるとも思えない。


 ううむ。どうしたものか。


「こいつ、Liú Kèなの」


 助け舟を出してくれたのは、先程からだんまりを決め込んでいたバイリィだった。


 さっきから気まずそうに顔を伏せているし、今ですら目を合わせてくれないが、彼女の一言で、ケンネは、


「ああ、なるほど」


 と、納得した。


 Liú Kèとはどんな意味を持っていて、彼女が一体何に納得したのか、私にはわかりかねる。


 だが、罰金を徴収されることはなさそうだったので、ほっと胸をなでおろした。


「ますます、バイリィさまの熱中にも納得がいきました。どうか、今後とも、バイリィさまをよろしくお願いいたします」


 そう言って、ケンネは祈るように手を合わせた。


 なんか知らんが、信頼を得ることはできたらしい。


「バイリィさま? イナバさまに、ご迷惑をおかけしてはおりませんか?」


「してないわよ」


 バイリィは、まだそっぽを向いている。


「rǐ wùは、お渡しになりましたか?」


「……yào míngなら、飲ませたけど」


「それだけですか?」


「……うん」


「駄目。駄目ですよバイリィさま。いつも言っておりますでしょう。人のお家へ参られる時は、rǐ wùを携えるようにと。前もって教えてくだされば、こちらでご用意いたしましたのに」


「……だって、絶対、ケンネ、あれこれ聞いてくるじゃない」


「もちろんですとも! 相手の方の好みに合わせたrǐ wùをご用意しないといけませんから!」


「それが嫌だったの!」


 ぎゃあぎゃあと、二人は言い争う。


 それは険悪な口喧嘩というよりは、おせっかいな母親と、思春期真っ盛りの娘の、玄関口でのやり取りのようだった。


「そうです」


 私が二人の言い争いに微笑ましさすら感じていると、ケンネがぽんと手を打った。


「イナバさま。もしよろしければ、バイリィさまのお館へ、遊びにいらっしゃってはいかがですか?」


「はぁ⁉」


 私が反応を示す前に、バイリィから抗議の声が上がる。


「ケンネ! あんた! なに勝手に!」


「いいじゃありませんか。まだrǐ wùもお渡しできていないのでしょう? でしたら一度、館へお招きして、もてなして差し上げるのがRǐというものです」


「でも、だからって、そんな、」


「そう。そうです。それがよろしいですイナバさま。明日、三の刻ごろ、私自ら、お迎えにあがりますので、どうかご準備ください。ああ。こうしてはいられません。疾く館へ戻り、明日の準備をしなくては!」


 バイリィが言い淀んでいる間に、ケンネはなんだかテンション上がって、まくしたてている。


 私はまだ是非を返していないのだが、どうやら、館への来訪は決定事項となっているらしい。


「イナバ。ごめん。ケンネは、こうなったら、あたしでも止められないから」


 バイリィも、諦め顔で、こめかみをぐりぐりやっていた。


「まぁ、はい。わかり、ました」


 私はとりあえず、そう返した。


 ケンネは、大人びた化粧の顔で、子供のように無邪気に笑っていた。

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