第13話 綺麗な泥水の使い道
わたしは悪役令嬢アンナリセの身体に憑依してしまった。元のアンナリセの罪を償い、何の憂いもない状態でグレクスに嫁ぎたい。
有り難いことに、アンナリセは心を入れ替えたらしい、という噂は徐々に浸透していった。
わたしは、少しずつ魔法の力を発揮できるようになっている。アンナリセの魔法ではあるけれど、巫女術に近い感覚が混じっている。思い出せる豊富な王宮の知識は、わたしのものだ。幸いなことに礼儀作法は完璧。冷静によく考えてみれば、アンナリセの身体と、わたしの魂は、かなり良い組み合わせかもしれない。
魔法の腕を磨くことで、結構、グレクスさまのお役に立てるのでは?
アンナリセは、くだらないことにばかり魔法を使っていた。だが、元々はかなり良い
これは使い道の問題ね?
色々と思考を巡らせ、アンナリセの魔法を吟味した。
わたし自身が持っているらしい知識と合わせると、不思議な効力が発揮させられそうだ。
泥水は魔法防御で、水は農地への水撒きだけでなく清めにも使える。元のアンナリセは嫌がらせとして掛けていたが、使い道は別にありそうだ。
ひっかけて転ばせるのは、何の魔法を使ったのだろう?
結構、広範囲に基礎的な魔法が使えていたようだ。巫女しか使わないような神聖な魔法もあれば、魔女や魔道師が使うような術も所持している。使ったことはなさそうだが。
なんだか、とても魔法の才能豊かな身体みたいね。
系統だてて練習することで、思ったより優れた魔法の使い手になれそうだ。
唯一の気掛かりは、アンナリセの記憶のなかに鍵が掛かっている場所があることだった。
気づいたものの、鍵は相変わらず見つからない。
アンナリセは何を隠したの? 既に、元のアンナリセの記憶はわたしのものなのに。
綺麗な泥は、小国からの御触れとして知らされたこともあり評判が瞬く間に拡がっていった。
噂を聞きつけ、ウルプ城に業者が来ている。染め物業者は、泥で染めることで魔法の防御効果がある衣装が造れると、浮き足立っていた。
「グレクスさまが、許可なさってくだされば」
わたしは、泥での染め物は良い案だと思うのでグレクスにお伺いをたてる。
「お前に、負担が掛かりすぎないか?」
グレクスは、わたしの疲労なりを心配しているようだ。
「一晩中、泥水を撒き続けることに比べれば、まったく問題ないです」
わたしの言葉に、グレクスは渋々ながら了承してくれた。
ウルプ城にアンナリセを訪ねてきていたのは、塗装業者と染物業者だった。
「屋根や壁の塗装用に使いたいのです」
「どうか、染め物用に、綺麗な泥水をお分けください」
ふたりとも樽を持参してきていた。そこそこ大きな樽だが二樽くらい注ぐのは楽勝だ。都中の屋根に降らせることに比べたら、どうということはない。
濃く綺麗な泥水を樽いっぱいにして提供した。
「魔法師の造る魔気の水を、継ぎ足してお使いくたさい。ずっと使えるはずです」
わたしは何故か確信して告げている。
儲けとか考えるなら消費させてしまうほうが良いのだろうけれど、毎回注ぐのも面倒な気がした。それにウルプ家にもヘイル家にも、そんな些細な収入は不要だろう。
魔気の水は、魔法師あたりなら誰でも造れる。
「薄まりませんか?」
「大丈夫です。魔気の水であれば同化して同じ泥になりますから。万が一、薄めすぎて泥でなくなってしまったら、いつでも訪ねてくださいね」
アンナリセの顔で、にっこりと笑みを向けると業者ふたりは、幸福感に満たされたような表情だ。そんな様子を、グレクスは少しはらはらした気配で見守っていた。
異界通路も、徐々に小さくなっているらしい。
厳重な警備のお陰で、怪しいものが近づくこともなく順調だとのことで安堵できた。異界通路に関しては一般には秘匿されている。
わたしの泥で染めて仕上げられたのは綺麗な
また、魔道師が舞い戻ってきて魔気を奪いはじめる危惧のために、売れ行きは良いとのことだった。
ラテアの都は屋根や壁を綺麗な泥で塗装したお陰で、綺麗な淡い金色の都になっている。夕暮れどきは、本当に綺麗な景色になるので、観光客は以前にもまして多く訪れるようになった。
元々海運で富んでいるウルプ小国は、ますます栄えてくれそうだ。
「アンナリセ、今回も大活躍だったな」
グレクスは、ふたりきりになると満面の笑みで囁いた。
異界通路の処置に続き、都中の人々から魔気が奪われる、などという事態も解決することができている。ただ首謀者や目的が分からないのは不安だ。
それに、これで昔のアンナリセの所業が許されるとも思わないから、気は引き締めないと。
「なんとか解決でき、ホッとしております」
わたしは、グレクスにもできる限り丁寧に接するようにしていた。油断すると、グレクスの笑みに気が緩んで気やすい言葉になりそうだ。王都に暮らし、誰かに仕え、それでも心安らぐような付き合いをする者もあったのだろう。
少しずつ人脈は拡がって行く。
アンナリセの良い行いに半信半疑だった者たちも、対応が柔らかくなっている。アンナリセの持つ不思議な魅力らしきの虜……という風にも感じられた。
「だが、心配したぞ」
グレクスは、不意に抱きしめてくる。アンナリセの小さな身体は腕にすっぽりで、顔はグレクスの胸元の衣装に埋もれてしまった。
不思議な安堵感。
突然の憑依で、知る人もいない場所に唐突に送り込まれ身体も親族も馴染みない。それでも、グレクスとの婚姻という目標があったから、必死になっていたし寂しさも感じずにいた。
「……グレクスさま……」
声はくぐもっている。
戸惑いに心は揺れ揺れだ。グレクスの伴侶になりたいと、打算も何もなく、今のわたしは強く望んでいた。なぜ、こんなにも惹かれてしまうのか。不思議なほどなのだ。
わたしが憑依したアンナリセを、グレクスは手放したくないと思ってくれていると分かる。それは願ってもないこと。そんなグレクスは、わたしがアンナリセではないと確信していると思う。
わたしで……いいの? アンナリセじゃないけど、いいの?
訊きたいけど、訊けない。
グレクスは婚約者で、誰よりも頼りになる。
愛されている……の、わたし?
愛などとは無縁で来たらしく、わたしは困惑している。
でも、わたしも……愛している? 愛なのかな、この気持ち?
「どこにも行かないでくれ……」
グレクスの
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