第12話 夜の都を駆ける馬車

 グレクスがお忍び用の馬車をださせ、走らせることになった。すごい速度で駆ける馬。神獣だ。

 

「移動しながらでも薄く撒けるなら、馬車を高速で走らせる。できる限り広範囲に撒き続けろ」

 

 大変だとは思うが、と、労わりつつも切実な響きのグレクスの声が告げた。

 魔法で綺麗な泥を霧状に細かくし撒き散らし、都中の人家の屋根を覆う。魔気を奪えなくなるはずだ。

 

 広範囲に薄く撒く感じに頭のなかで思い描きながら、魔石の魔法を使ってみた。

 屋根が見えてない家もあるし、屋根の代わりに張りだしの家もあるが薄く霜のように降り積もる感じだ。

 

「はい。かなり広範囲に撒けてます」

 

 わたしの、アンナリセの瞳には、撒いた状況がだいたい視えていた。

 

「あ、泥の具合、視えてますよ! 満遍まんべんなく撒けるように馬車を走らせます」

 

 不意に御者が、高揚した響きの声で告げる。

 御者には、わたしの撒く泥が魔法的な感覚で視えているらしい。馬車を引くのが神獣であることも関係しているかもしれない。

 

「わかりました。どんどん続けて撒きますね」

 

 御者が器用に移動させる神獣の馬車の動きのお陰で、霧状にした泥の散布は良い感じに屋根に積もった。重なりは最小限。わたしは、ひたすら撒き続けるだけに専念できた。

 

「そろそろ回復剤を飲め」

 

 隣のグレクスは、魔法の力を感じはしても撒かれた状態を把握するまではいかないようだ。

 ただ、グレクスはアンナリセの魔気消費を気遣ってくれていた。

 

「ありがとうございます」

 

 馬車が平行移動している間に回復剤を飲みつつも、少し広範囲に泥を撒く。重なり合う部分ができても、撒かれない部分ができるよりマシだろう。

 

「こんなに魔法を使って大丈夫なのか?」

 

 グレクスはわたしが連続して魔法を使っている気配は分かるようで、焦燥したような表情で心配してくれている。

 

「はい。そんなに疲労感ないです」

 

 思ったよりも、楽に撒けている。それなり魔気量は消費しているが疲労感は少ないようだ。何より、少しでも広範囲に撒いてしまいたい気持ちが先行している。こうしている間にも、魔気は奪われようとしているかもしれない。

 

「とても良い速度で、撒きやすいです」

「御者の腕は最高だ。小振りの馬車を神獣に引かせているから、もの凄い速度がでる」

「とても素晴らしいです」

 

 薄い泥は、霧状になって満遍なく降り注ぐ。

 雨で洗いながされても、魔法を弾く効果は続くはず。

 洗濯ものは染まってしまうかもしれない。

 人に掛かったりもするだろうが、洗い流せば落ちる。魔法では落ちない。

 浴びた者は、若干魔法の防御が強くなる。

 ルミサのように、タップリと泥を浴びたら、かなり防御力は増すかもしれない。

 

 撒き続けるほどに、少しずつ泥の霧の範囲が広くなっていく感じがした。

 範囲が拡がるのを察知し、馬車の速度は信じ難いものになっている。さすがに神獣。都中心の人家の多い場所から次第にはずれ、各貴族の領地へと向かう。

 

 人家の少ない部分は、速度が極限まで増す。

 ラテアの都は、そうとう広いはずなのに、次々に貴族たちの領地の人家の密集地を辿って行く。神獣も疲れる様子はない。

 ルミサの居る侯爵領も、瞬く間に通り過ぎた。

 

 夜を徹して撒き続けるつもりでいたが、馬車の速度に助けられ思ったよりも早く、都中に撒き終わることができた。

 

都境みやこざかいから外の近隣街までは馬車を走らせるわけにはいかんが、仕方ない。希望があれば撒きに行ってくれるか?」

 

 ウルプ城へと戻る道でグレクスが訊く。近隣の街に伺いをかけるつもりのようだ。確かに、ラテアの都で魔気が奪えないとなったら近隣へと矛先が向かうかもしれない。

 

「もちろんです、グレクスさま」

 

 神獣の馬車のお陰で、あっという間に都中の屋根に薄く泥を撒くことができた。

 これで、魔気を奪われる心配はなくなると思う。

 

 

 

 屋根に防御の魔法を撒いたことは、ウルプ小国からお触れを出すことで周知された。

 雨が降っても細かく残るから、魔気を奪うのは困難だろう。

 

「昨夜も、魔気を奪う気配がありました。場所は突き止めましたが、すでにもぬけの殻でした」

 

 魔女キノアは、わたしが神獣の馬車で都を駈けている間に、探査してくれたようだ。昨夜も魔気を奪っていたようだが、多少は防ぐことができたろうか?

 

「少しは、魔気を奪うのを防げましたでしょうか?」

 

 わたしの言葉に魔女キノアは頷く。

 

「恐らく、魔気を奪えなくなったことで、所業がバレたと分かって逃げたのでしょう。魔道の痕跡も、綺麗に消して行きましたから、逃亡慣れしている魔道師の可能性が高いです」

 

 正体を掴めず、魔女キノアは申し訳なさそうにしていた。魔女キノアから逃げた、となれば、相当な実力の持ち主だ。

 

「……また、魔気を奪いに来るでしょうか?」

 

 泥の霧が降り積もった効果が、どのくらい持つものかまだ分からない。定期的に、散布したほうが良いのかもしれない、と、わたしは思案していた。

 

「かなり厄介な相手ね。でも、当分は戻って来ないでしょう。魔気を大量に集めたいようですからね。無駄なことはしないわ」

 

 魔女キノアの言葉に、わたしは少しだけ安堵できた。

 

 身体の不調を訴えていた領民たちは、ほどなく元気を取り戻した。どのくらいの期間、魔気を奪われ続けていたかは分からないが、元凶の魔道師は逃げ、魔気を大量に奪うような魔道の発動もないようだ。

 元凶の魔道師らしきは逃げたようだが、念のため、何度か夜に神獣の馬車をだし近隣の街の屋根にも霧状の泥を撒いておいた。

 

 

 

『ねぇ、どうしてアンナリセは綺麗な泥水なんて造れたの?』

 

 一息つけたとき、わたしは魔石へと密かに訊いた。魔女キノアは、アンナリセの得意は土で、水の魔石と相性が良い、という話をしていた。だが、アンナリセは水関連の魔石を、たいして進化させていない。

 

『泥水は水関連』

 

 魔石の言葉で、少しの進化で泥水は造れたのだと推測できた。それで、試しにルミサが犠牲になったのだろう。

 ルミサ以外には泥を被せていないのが、少し不思議ではあったが。

 

『随分大量の泥水を撒いたから途中で進化してたみたいだけど、何ができるようになったの?』

 

 わたしは、ようやく進化の結果を訊く余裕ができたようだ。

 ルミサを訪ねて侯爵家へと行き、領地に水をたくさん撒いたし、夢中になって都中に霧状の泥を撒き続けた。その間に魔石は進化したが、詳細を気にしている暇というか心の余裕がなかったのだ。

 

『濃い泥水が造れる。魔法防御を残したまま泥の汚れを元通りにできる』

『あら、魔法防御だけ残して元通りって、染められないの?』

 

 ルミサが、染まった衣装を喜んでいたから、元通り、というのは微妙な感じだ。

 

『染めを残すか元通りかは、アンナの好きにできる』

『良かった、ちょっと嬉しい』

 

 わたしの言葉に、魔石が笑みを返してくれたような気がした。

 

 

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