第11話 都に迫る悪の影

 その日の夜は、ウルプ家へと泊まることになった。

 寝台へと食事が運ばれ、グレクスに見守られながら食べる形になっている。

 

 夜遅くに、ようやく歩けるようになったわたしは、グレクスと一緒に夕涼みにウルプ城の塔へと上がった。

 ウルプ家の魔法が働き、塔の一階にある特別室から魔法陣に乗ると最上まで一瞬だ。

 

 見渡す夜の都は、あちこちで焚かれる篝火かがりびに淡く浮かび上がっていた。晴れ渡っているらしく、星が素敵だ。

 

「とても高い場所ですね。風が気持ち良いし、星が綺麗……」

 

 塔の最上階は装飾的な柱で囲まれ、壁はない。展望のための場所なのだろう。

 昼間であれば、高さに目がくらんでしまうかもしれない。

 

「起き上がれるようになって良かった。心配したぞ」

 

 グレクスは心底安堵したらしく深く息をついた。

 不意に、肩を抱き寄せられたかと思うと、アンナリセの小さな身体は背後からすっぽり腕の中だ。

 

「ありがとうございます。グレクスさまがついていて下さったから安心できました」

 

 雰囲気に、かなりドキドキしてしまい、声が上擦うわずりそうだった。

 振り向き見上げようとしてから視線を戻し、鎖骨辺りを抱く腕に、両の手で、そっと触れた。

 

 

 

 どきどきが止まらなくなりそうな甘美な刻は、しかし長くは続かなかった。

 気づけば都の夜景が異様な気配に包まれている。

 やがて、あちこちから吸い上げられるように魔気らしきが空へと上がり出す。どこかへ向かっているようだ。

 

「グレクスさま、何かヘンです!」

 

 魔気が奪われているにしても、余りに広範囲だ。明らかに魔道なりの仕業に違いない。たぶん、都に住む人間の数だけ奪っている。こんなに大人数が大量に魔気を奪われるなど尋常ではない。

 

「確かに、奇妙な気配だ」

 

 グレクスさまには、わたしほどハッキリとは見えていないのね。

 だが、気配は感じとってくれたようだ。

 魔気が吸い上げられて何処かに集められている。ウルプ城の塔からなので広範囲が見渡せていた。膨大な魔気を集めて何をするつもりなのだろう?

 

「……都中から魔気が吸い上げられているみたい」

 

 ウルプ城からは、魔気は吸い上げられていない。さすがに王家由来の魔法に守られているだけのことはあるようだ。

 

「これは、ただ事ではないな」

 

 視えてはいなくても、異常な気配はグレクスも感じとれているようだ。

 

「異界通路も……、魔気を奪うのも……。どちらも人為的……ですよ?」

 

 アンナリセがこんな台詞を呟くのは大いに不自然なのだが、グレクスは真顔で頷く。

 

「そうだな。偶然ではないだろう。だが、ウルプ家も敵は多い」

 

 やはり、魂の入れ替わりのようなものだと理解し、その上でしっかりと対応してくれている。

 

「都の方々が無事だと良いのですが」

 

 大量といってもこのくらいの量なら命に関わることはない。としても、悪影響は出ているだろう。

 

「調べさせよう」

 

 グレクスは神妙に呟いた。

 

 

 

 落ち着かない気分のままウルプ家で用意してくれている部屋で就寝し、翌日、わたしは実家に帰った。異界通路の対処の詳細と、夜の異様な事柄を家人に説明する。

 

「そういえば、ちょっとだるいのよ」

 

 母が小さくこぼした。

 ヘイル侯爵家の城は、ウルプ城ほどには魔法の護りは強くない。

 

「使用人にも、体調の悪い者が出ている」

 

 父も心配した口調だ。

 

「魔気の回復薬が効くと思う」

 

 今とれる対策はそのくらいだ。ヘイル侯爵家にも備蓄はある。わたしの言葉に父母は頷いた。

 やはり影響は出ている。昨夜だけでなく、継続しているのかもしれない。

 昨夜はたまたま塔に登って夜景を眺めていたから気づいたが、普通に生活していたら全くわからなかったろう。

 

「あ、お前に手紙、来てるぞ」

 

 兄がお抱え魔法師から預かってくれていたようで、ルミサからの手紙を渡してくれた。

 

「ありがとう! お兄さま!」

 

 パッと明るい笑顔で礼を告げると、兄は少し照れた表情だが嬉しそうな笑みを浮かべた。少しずつ妹の変化を受け入れつつあるようだ。

 

 

 

 自室に戻り、巻物を開く。

 ルミサからの手紙は、水撒きの礼の言葉と、愉しかったことなどが告げられた後で、興味深いことが書かれていた。

 

『そうそう、伝えるの忘れてた! アンナの泥、魔法を弾くのよ!

泥まみれにされたとき、魔法が効かないから、お湯で洗うしかなかったの。でも、あれ以来、私の魔法の防御力が上がってるらしいの。何かにとても役立ちそうじゃない?

それに、泥まみれの衣装、洗い流したら、とても美しい色に染まっていたのよ! しかも魔法防御付き! 宝物よ!』

 

 え? ルミサの言葉が本当なら、アンナリセの綺麗な泥で……魔法の防御を張れるかも?

 わたしは試しに、部屋から外に続く張りだしへと出て足元の石畳に薄く泥を撒いて見る。

 

 結構、薄く撒けるわね。

 

 わたしは急いで階下へと降り外へと飛び出すと、上空へと泥を跳ね上げさせる。そこから霧状に飛散させ、ヘイル城の屋根を薄い泥の膜で覆わせた。

 

 併設の別棟も合わせ、ヘイル家の建物の屋根を全部泥の膜で覆う。

 広範囲に撒くことも、場所を設定して撒くことも、案外自在にできた。

 

 ルミサには取り急ぎ、手紙の礼と、『魔気を奪われないように気をつけて』と都の異変を告げる内容を記し、魔法師に頼んで返信しておいた。

 

 

 

 午後に再び馬車を用意してもらい、ウルプ城へと急いだ。

 調べさせると、都では最近、体調の優れない者が増えているらしい。流行病かと心配されている。

 魔女キノアも駆けつけていた。

 

「魔気が奪われてます。都中から。すごく、広範囲です」

 

 昨夜、ウルプ城の塔から視たことを、わたしはキノアに告げる。

 

「そのようね。実際、魔気不足で体調を崩している者が多いの」

 

 魔気の回復薬を使っても、また奪われてしまうだろう。奪えないようにするしかない。

 

「誰かが魔気を大量に集めているのでしょうか? いったい何の目的で?」

 

 わたしは魔女キノアに問う。魔気を集めて何がしたいのか分からない。キノアも目的には心当たりがなさそうだ。

 

「都を混乱に陥れるつもりか?」

 

 グレクスが訊く。確かに体調不良者が続出すれば都が機能しなくなりかねない。

 異界通路が開かれたこととも関連があるような、嫌な予感をわたしは感じていた。

 

「このままでは、確かに混乱は避けられません。魔気回復剤も足りなくなります」

 

 魔女キノアは、深刻な表情だ。

 その上で、通路は別の場所にも開けられようとしているかもしれない。

 それを捜すのは、難しい。

 地域の魔法少女たちが小さな異変を探査するのに頼るだけでは手遅れになりそうだ。

 

「誰の仕業か場所を突き止められないか?」

 

 グレクスは魔女キノアへと更に問いを向けた。

 

「毎回、違う場所から奪っているようです」

 

 魔女キノアは、魔気を奪う者を探査してはいるようだ。

 だが、毎回違う場所となると特定は難しいだろう。

 

 緊急で、何か手を打ったほうが良い――。

 

「あ! わたし、屋根に泥を撒きます! クレイト侯爵家のルミサが、わたしの泥に魔法を弾く効果があると、教えてくださいました」

 

 都の全ての屋根に泥を薄く撒けば、魔気を奪うことができなくなるかもしれない。

 

「泥、少し見せてくださる?」

 

 魔女キノアは、希望に満ちた表情で皿を出す。

 わたしは、そこに泥を少し入れた。やはり、綺麗できめ細かい泥だ。

 

「いいわね。これは、確かに魔法を弾く効果があります。屋根に降らせることができれば家ごと守れるわね」

 

 泥を確認し、魔女キノアは明るい表情で告げた。

 

「広範囲に撒けるのか?」

 

 グレクスが問いを向けてくる。

 

「はい。ヘイル城で試してみました。薄くすれば視野の範囲くらい撒けます」

「それはかなり広いな。夜に機動の良い馬車を走らせよう」

 

 撒くのは確かに夜が良いだろう。速度を出すためにも人通りは少ないほうがいい。若干、出歩くものが薄く泥をかぶって汚れるかもしれないが、魔法の防御がつく。

 

「アンナは土を使うのが得意ですものね。水の魔石と良い相性なのでしょう。少し魔気の回復剤を持って行きなさい。さすがにかなり消耗するはずよ」

 

 魔女キノアは、魔気の回復剤の入った袋を手渡してくれた。

 

 

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