第10話 異界通路の兆し

 クレイト家からの帰りの馬車で、そろそろヘイル家の領地に近づいてきた頃合い。

 わたしは、ぞくりと嫌な感覚を覚えた。

 

「馬車を停めて!」

 

 御者へと叫ぶように声を向ける。

 急停車した馬車から、わたしは飛び下り、少しの距離を駆けて戻った。

 

「やっぱり……!」

 

 開きつつある小さな通路のカケラだ。異界への通路。空間に小さな穴があき、どんどん大きくなる。極小の害獣が出てきていた。小さい怪異だ。

 

「お嬢様! どうしました? ……っ、ひぃぃ」

 

 慌てて追いかけてきたミヌシュは、わたしの視線の先、空間から出てくる害獣を見てしまった。小さな蜘蛛のようなものだが、空間から這い出てくるのは異様で怖い。

 

 まずい、拙すぎる。これ、異界のなかでも最悪な、羅生境らしょうきょうつながろうとしている。害獣の種類が、羅生境のものだと、わたしは知っていた。

 このままでは、ラテアの都が地獄に変わってしまう。

 魔物がでてくる通路に変わる前に、封じなくては!

 

 羅生境の魔物の毒は、治療できる者が極端に少ない。その上で、魔物を倒せる者も数少ない存在だ。魔物があふれてしまったら、都の領民を助けることなど、とてもできない。

 

「お嬢様、どうしましょう」

 

 震えながらミヌシュが呟く。今にも、逃げ出したいのだろうが、わたしが微動だにしないので逃げるに逃げられないのだろう。

 

「マズいわ、どんどん大きくなってる」

 

 みんなのウソでしょ、どうしよう……。放置なんて、絶対ダメ。

 何かでまず封じなくては。異界通路の封印は巫女が行っていた……。現場を見ていた。それは、元の記憶だったが、呪文は耳に残っている。だが、ふだがない。

 わたしの心には絶望感が拡がっていった。

 通路である穴は、害獣が出てこれる大きさを超えると直ぐに育つ。一刻の猶予もない。

 

 いいえ? わたし、知ってた……はず……あ! 魔法の小物入れのなかに在った巻物!

 

『アンナリセ、これは緊急のときに、覚えておいて』

 

 魔女キノアが、元のアンナリセへと告げた言葉が不意に思いだされた。 

 通路を仮封じするための巻物を渡されていた。

 そう、異界通路を一時的に封印できる札!

 わたしは、巻物を取りだし秘文字を読んだ。アンナリセは読めなかったが、わたしには読める。

 

 パァぁぁっと光が迸り巻物から飛び出た封印の札が通路に貼りついた。

 

「ああっ、でも、このままじゃ、長くは持たない」

 

 必死の形相になったいるだろうが、わたしは形振り構わずミヌシュの手を取り馬車へと戻った。転移ができないのがもどかしい。魔法をもっと磨いて、転移くらい可能にしなくては。

 でも、今は――、一刻も早く魔女キノアに対処して貰うしかない。

 

「急いでキノア・グウィースさまのお屋敷へ!」

 

 血相を変えたまま御者へと急を告げる。馬車は方向転換し、馬は速度を上げて駆ける。侍女たちは心配そうな表情だ。

 

「異界の通路、まずいものが開きかけてる。わたしはキノアさまと対処するから、先に帰って父母に伝えて」

「大丈夫ですか、お嬢様?」

「ええ。キノアさまなら、なんとかしてくれる。その後で、キノアさまと、ウルプ家に報告にいきます」

 

 街外れの魔女キノア・グウィースの屋敷の前で馬車は停まった。わたしは馬車を降りて駆け出す。叩こうとする前に扉が開いた。

 キノアは在宅だ。わたしは馬車に合図を送る。

 魔女が在宅とわかると、馬車はヘイル侯爵家へと急ぎ戻っていった。

 

 

 

「キノアさま! たいへんなんです! 異界通路が! 仮封印したけど、いつ剥がれるか心配で」

 

 キノアは、ラテアの都の近くにある異界通路の管理をしている魔女だ。この辺りで異界通路を塞げるのは、この魔女の他には心当たりがない。

 

「まあ。アンナリセ様? すっかり成長なさったわね」

 

 場所を教えてね、と、魔女キノアはアンナリセの頭の中を探った。巻物で封印したときに、場所の座標は頭のなかに刻まれたはずだ。魂が入れ替わったことに気づかれることなど、心配している暇もなかった。

 

「急ぎましょう」

 

 魔女キノアはアンナリセを連れて転移した。わたしの気配と思考で事態はすっかり把握してくれている。

 

「とても良い封印よ。完璧な札になってます」

 

 そういいながら魔女キノアは、わたしの貼った封印の上から、何重にも封印の札を貼り、更に全体を魔法領域で包み込んで他の者の侵入を拒否した。

 これで強烈な魔女の封印に出来かけの通路は圧縮されて行く。通路は徐々に小さくなり、やがて消滅する。

 だが、完全に消滅するまでは、このままを保持しないといけない。

 

 魔女キノアは、急遽きゅうきょほこらのようなものを被せた。

 

「立ち入りできないように、念には念を入れて建物を建ててもらうしかないわね。ウルプ家に参りましょう」

 

 魔女キノアは、わたしを連れてウルプ家へと転移する。

 ウルプ家へは、侍女から知らせを聞いたヘイル家の父母が既に連絡を入れてくれていたようだ。

 王とグレクスが出迎えてくれた。王と魔女キノアとは、旧知のようだ。

 

「アンナリセが見つけてくれて助かりました。かなり育った異界通路ですが消滅させねばなりません」

「どこにつながった?」

 

 キノアの言葉に、ウルプ小国の王が眉根を寄せながら訊く。

 

「羅生境、最悪です。繋がってしまったら魔物に都は蹂躙じゅうりんされたでしょう」

 

 羅生境との言葉に、王とグレクスは、微かに狼狽ろうばいする気配で顔を見合わせた。内密にされているが、危険な異界、羅生境の噂は知っているようだった。

 

「封印は施しましたが、消滅までには日数がかかります。その間、どうか誰も立ち入れないように、援護を願いたく」

 

 深く礼をとりながら、魔女キノアは願い出た。

 通路に封印をほどこした後の対処に関しては、ウルプ家も熟知しているはずだ。

 

「良く気づいてくれた」

 

 グレクスが、わたしへとねぎらいの声を掛けてくれている。

 わたしは安堵し、ふわっ、と、意識が遠退きそうになり、力が抜けて座り込んでしまった。

 

 

 

 それにしても、何故、羅生境など? 王都周辺では、羅生境への通路の発見報告が多い。王宮としても幾つか消滅させている。だが、西では初ではなかろうか。

 わたしは、そんな風に思考するが、ちょっと告げられない内容だ。

 

 羅生境への通路のカケラの発見は立て続きすぎているし、誰かの故意だとしか思えない。

 王都周辺から、西のラテアの都へと矛先を変えられたのは何故?

 

 安堵したものの疲労困憊ひろうこんぱいしていて立ち上がれないわたしを、グレクスは抱き上げた。

 えええっ!

 心のなかが騒がしい。慌ててしがみつく。楽勝で軽々と運ばれていた。わたしがウルプ家に泊まるときの部屋へと運ばれ、一先ひとまず寝台へと下ろされる。

 

「お陰で助かった。後のことはウルプ家に任せてくれ」

 

 家令が魔女キノアと打ち合わせをし、封印を保護する舎を建てる。その作業は既に始まったようだ。ウルプ家の財力と起動力は凄まじいから、すぐに建物は仕上がる。騎士たちが交代で見張りも始めた。

 

「良かった。怖かったです」

 

 今になって小刻みな震えが来ている。グレクスは安心させようとしてか、わたしの手を握った。

 

「もう心配ない。アンナリセ、お前のお陰だ」

 

 グレクスの優しい笑みにれるうちに、小刻みな震えは治まったけれど、今度は胸の高鳴りがうるさくなっていた。

 

 

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