第9話 夏の休暇
憑依したアンナリセはの身体は、わたしの元の身体よりも小さいようだ。年齢的には、まだこれから成長する可能性がある。小さいので可愛らしい印象が余計に強いのかもしれない。ただ、時々、ちょっと目算が狂うことがあるので、注意が必要だった。
とはいえ、どんな仕草をしても可愛らしく見せられるアンナリセの容姿には驚かされるばかりだ。
同じ仕草のはずなのに、全く違う。
鏡に映る姿で色々と確認してみるのだが、自分で
こんなに可愛かったかしら?
わたしは少し首を傾げる。もっとも最初の頃は、かなり気が動転していたので、じっくり自分の姿を確認したりしなかった。
夏が到来し陽射しが
知らせる手紙を送り、すぐに歓迎の返事が来た。
互いに裕福な侯爵令嬢の身で、家には魔法で手紙を届ける役割の魔法師がいる。連絡は素早く確実だ。
「お嬢様、ご同行いたします」
侍女がふたり、レナとミヌシュが向かいの狭めの座席に座り、馬車は動き出す。クレイト家は遠くはないが、数日連泊するので身の回りの世話をする者は必要だ。最近では侍女たちは、皆、対応がにこやかで柔らかくなった。
最初の頃は、罵声を恐れてか緊張しまくっていたようだ。
「付き合わせて済まないわね」
「とんでもありません! 一緒に旅ができて嬉しいです」
髪を結うのが得意なレナは、実際うきうきとした表情だ。
ミヌシュも同意の頷きをしている。ミヌシュは少し馬車が苦手らしいが遠出するのは嬉しいらしい。
クレイト家では、侍女の控え室付きの客間を用意してくれている。馬車の後部には数日分には多すぎる衣装が、父母の指示で詰め込まれた。
ウルプ家の馬車はともかく、ヘイル家の馬車も上等だ。広いし、ふんだんに魔法が使われていて余り揺れない。
「アンナ! いらっしゃい! 待ち侘びていたわよ」
馬車を待ち構えていたルミサは、下り立ったわたしの手を取る。苦しくない程度に、それなり着飾った衣装は、夏の陽射しのなかで優雅な印象になっているはずだ。
「ルミサ、久しぶりね! 逢えて嬉しい」
手を握り返しながら、ルミサの軽快で可愛らしい衣装に視線は釘付けだ。青い瞳と薄茶の髪に良く似合っている。
侯爵令嬢らしく、衣装などの選定にも資金を注ぎ込んでいそうだ。
レナとミヌシュは、クレイト家の使用人と打ち合わせをしていた。協力しながら衣装などの収められた荷物を馬車から運び出し、アンナリセの泊まる客間の控え室へと先に入るようだ。
「旅は快適だったようね。顔色も良いみたい」
「景色がとても素敵で
馬車が快適な上で、ヘイル家から続く道は整備されていた。クレイト家の領地内に入ると、道は格段に良くなり街路樹も青々として素敵な風景が拡がっていた。延々と拡がる農地も、世話が行き届いている感じだ。
クレイト侯爵家の城も、なかなか立派だった。
「どうか寛いで、ゆっくり愉しんでね」
ルミサは、わたしの手を引きながら城の中へと誘導した。
「最近、雨が少ないから農地は大変でしょう? 明日にでも水撒きに行かせてね」
「馬車で巡るので良いかしら?」
「ええ。馬車で農道に入れるなら。かなり広範囲に撒けると思う」
「うちの馬車を出すわね」
夜会に来ていたクレイト家の方々とは、すっかり顔見知りになっていた。厚い持て成しに、恐縮するやら、有り難いやらで。ご機嫌のルミサと仲良しな様子に、ご満悦な様子だった。
翌日、馬車はルミサの家が出してくれた。土地勘のある御者と、小回りの利く馬車だ。アンナリセが連れてきた御者は、馬車の手入れに余念がない。クレイト家の侍女たちに混じって、レナとミヌシュも見送ってくれていた。
水撒きが目的ではあるが夏の眩しい陽射しのなか、ちょっとした休暇感覚だ。
良い天気が続いているから農地は水不足だった。雨が望めないとき農家で働く者たちは、川から水を汲み
農道を馬車は進む。わたしは川の位置を確認し、魔石を使って水撒きをはじめた。さぁぁっ、と、広範囲に程良い感じの雨が降る感じだ。すると陽射しを受けて虹がでる。
「まあ、きれい!」
「ほんと、すてきね!」
ルミサと馬車ででかけながら、水撒きは三日続けた。必要な農地が広かったこともあるが、一緒に出かけるのが愉しかったのだ。
綺麗な景色も眺められたし愉しいときを過ごすことができた。食事は毎回豪華で、珍しい味わいを堪能できた。わたしの王宮仕込みの所作には何度も感心されたし、心証を良くしたようだ。
侍女や御者も、丁寧にもてなされていたらしく、とてもご機嫌だった。
ルミサの家で、気持ち好く過ごし、四日ほど滞在した。ルミサはクレイト家の領地内にある景勝地にも案内してくれた。外の気持ちの良い木陰で軽食したり。何より、たくさん話をした。
会話は尽きない。ルミサは、婚約者自慢もするし、グレクスとのことを訊くし。
「こんな風に、お話できるのって、ほんと幸せよ」
しみじみとわたしは告げる。
長年の記憶を失い、憑依という形で全く知らない環境に放りこまれて以来、愉しく会話するなど考えらない状態だった。もちろん、憑依したなどとは口が裂けても言えないけれど。
「
「ええ。うちにも、招待したい! こんなに素敵なお持てなしに応えたいの」
「招待、楽しみに待ってる」
馬車に乗って帰る段になり、引き留めたくてうずうずしているらしきルミサは、それでも気持ち良く見送ってくれた。
「名残惜しいけど、また逢えるの楽しみにしているわね」
だんだんと離れがたさから互いの声が泣きそうな響きになっている。
「水撒きに来たのに、思い切り持て成してくださって、ありがとう。とても愉しかった」
必死で、笑みを浮かべようとしたが、わたしも泣きそうな表情になっているだろう。
「水撒きなんてアンナに来てもらう口実だったんだけど。水撒きは綺麗だったし、とても愉しかったの」
馬車が動き出す。
ついつい別れがたく、ふたりしてうるうると瞳を潤ませながら、互いに手を振る。
ルミサはいつまでも、手を振って見送ってくれていた。
突然、自分が誰なのかも分からないままの憑依だった。今も、自分のことはほとんど分からない。アンナリセとして生きるために必死で考え続けている。
めまぐるしい日々のなかで、ルミサという親友の存在はかけがえのない宝だと感じられていた。
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