第8話 ウルプ家の夜会
夜会が始まり、現ウルプ小国の王であるグレクスの父からの挨拶の後、グレクスからも挨拶の言葉があった。ウルプ小国は、王の座をグレクスへと引き継ぐ準備を始めている。
グレクスとアンナリセが婚姻すると同時に、当主の座も譲る心積もりらしい。
昼間は、仕切りの影で緩やかな曲が絶えず演奏されていたが、夜会本番となると広大な会場の一角で、楽団による演奏が始まった。
夜会前に、たくさんの友だちができた。わたしは、夜会会場でアンナリセが意地悪した令嬢の親族を見掛けると、丁寧に謝罪の言葉を届けた。
「ああ、これはこれは丁寧に、畏れ入ります。いやいやアンナリセ様もご成長なさりましたなぁ、いや、ぜひ、今後はシャイラと仲良くしてやってください」
ドラス子爵は満面の笑みだ。
しおらしくも優雅な仕草で、心からの謝罪をする。皆、感動して、すっかり味方になってくれている。
あっという間に、現状は引っ繰り返った。
グレクスはご満悦な表情だ。友人たちに囲まれ愉しそうにしている様子を
アンナリセの声も仕草も、社交の手腕としてとても良い。
立食形式の夜会で、集った者たちは歓談しつつ、用意された食事を摘まみ、酒の振る舞いを受けていた。
さすがに西の宮殿と呼ばれ、ユグナルガ列島での特別な五家のうちで最も裕福であるウルプ家が主催する夜会だけあり、食材も盛り付けも豪勢だ。
会場の中央近くで謝罪忘れがないか見回していると、ルミサが近づいてきた。
「みんなを驚かせてあげましょう?」
ルミサは、男性が女性を踊りに誘うときの仕草で、わたしに申し込んだ。
「まあ! わたしと踊ってくださるの?」
女の子ふたりで踊るつもりのようだ。滅多にないことだが、やってダメなわけでもない。
ただ、アンナリセがグレクスと婚約していればこそ、安心して申し込んだはずだ。
多数の小国を束ねる王都・王宮が
アンナリセはグレクスの婚約者なので、他の男性陣が踊りを申し込むことなど有り得ない。
楽団の演奏が次の前奏に入ったところで、ふたり踊りの場の中心へと進んだ。
まだ誰も踊る者はいなかったし、珍しい風景に
ルミサは、わたしの手を取り器用に男性用の振り付けで踊り出す。
わたしは、王宮仕込みの踊りを習得している。たぶん、アンナリセの身体でも再現できるだろう。実際、ルミサと踊り出したことで、ひとりで踊る部分の振り付けも思い出せた。
「ふふ。アンナ、何気に踊り慣れてるじゃない」
ルミサは、わたしの身体をくるくるっと軽く回転させながら、楽しそうに囁く。
「ルミサの誘導が上手なのよ」
ルミサと、ふたりでの振り付け部分を踊りきると、音楽の調子が少し変わる。そこからは、女性が単独での踊りを披露する場だ。王宮では、この部分を奉納舞いとしている。
ふたりそれぞれに、ひとりでの踊りを披露することになった。
少し離れた場所で、わずかに違う振り付けだが、どちらも人目を惹く良い感じの踊りだ。
離れてはいるが、ピッタリ息が合っている。
わたしの王宮仕込みの踊りは、グレクスの用意してくれた豪華衣装と、とても身染みが良かった。
もう一度、ふたりで手を取り合って優雅に踊って締めくくった。
拍手喝采のなか、踊りの場から抜けようとすると、近づいてきたグレクスに踊りを申し込まれた。
グレクスは夜会で踊ったことなどなかったし、もちろんアンナリセを踊りに誘ったことは一度もない。
「お前が人気者になりすぎるのは、考えものだな」
あれ? まさか、ヤキモチ?
わたしは
アンナリセが注目されていることは嬉しいようだったが、ルミサの行動に対しては、ちょっと嫉妬している気配だ。
「心配ないです、グレクスさま! 他の方々をもてなすのは、グレクスさまのためです!」
グレクスに手を取られ、誘導されて踊り出しながら、こっそり告げた。
仲直りの印しの踊りですし、それにルミサは婚約者がいますよ? 内緒ですけど、と、小さく言葉を足した。
グレクスは明らかに安堵した表情を浮かべる。
もてもての状態になりそうなアンナリセに、グレクスは冷や冷やしてる気配が
「わたし、何事もグレクスさまが一番なんですから」
言い訳などではなく、本当のことだ。
突然の憑依で戸惑いはあったが、グレクスは何もかも好みの男性で、思いはとっくに恋心に変わっている。日々思いは募るばかりなのだ。すっかり惹かれ、元のアンナリセに負けないほど首ったけだと言える。
グレクスの踊りの誘導は巧みで、なぜ今まで踊ったことがなかったのか不思議なくらいだ。
眺めている者たちが、感嘆の声をあげている。
ふたりの踊りの部分が終わったところで、グレクスはアンナリセの腰を抱き寄せながら踊りの場から退場した。
夜会会場を
「礼儀作法、どこで習ったの? ぜひ、参考にさせていただきたいの」
ルミサが先客で風に当たっていたが、アンナリセの姿を見ると声を掛けてきた。
「今はもう、近くにいないの。短期間のお客様よ。それと、グレクスさま」
王宮仕込みとは言えないが来客であれば、侯爵家ともなれば様々な者が訪問するので言い訳には便利だ。
「あ、グレクスさまが、礼儀の指導するなんて、貴女、余程好かれてるのね」
微笑ましそうに親友になったルミサは囁く。ルミサは十分に上品な所作と言動だ。わたしを真似る必要など全くないように思う。
とにかく、誤魔化せた。
会場に集まったものたちの大半は、アンナリセが心を入れ替えたらしい、という噂に半信半疑だったが、実際に姿を見てしまうと、納得するしかなかったようだ。
アンナリセは、いつも誰かどうかに怒鳴り散らし罵声を浴びせていたから、静かに、しとやかに振る舞うだけでも
わたしは、元のアンナリセのようには、到底振る舞えないから、そのまま自然体でいるのだが。
夜会の終わりには、ウルプ家の方々に丁寧に挨拶した。用意された衣装を来たままウルプ家の馬車が自宅まで送ってくれた。
先に帰宅していた父母は高揚した気配で、わたしを迎えてくれる。
「本当に、ウルプ家の教育は素晴らし過ぎるわね」
「踊りもとても良かったよ」
少し離れたところで、兄とトレージュは複雑そうな形相をしていた。
兄は、少しずつ、アンナリセの行儀が良くなったことを受け入れようとしている気配だ。
トレージュは、全く納得できない表情で、ウルプ家が用意した品で華やかに着飾っているアンナリセを凝視している。
この立場を、まだ狙っているのね、と、わたしは確信する。どんな手を使ってくるやら、少し不安はある。とはいえ、グレクスが、わたしが憑依したアンナリセを手放したくないと、そう感じてくれているのは確信できたので、気は楽だ。
父母が談笑するのを一歩下がって聞きながら歩き、皆、夜会の興奮も覚めやらぬままにヘイル侯爵家の城内へと戻って行った。
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