第7話 初めての親友

 グレクスは家令と一緒に、人目に付かない場所でアンナリセの謝罪する様子を眺めていたようだ。

 少し遅れて、クレイト侯爵令嬢ルミサが会場に現れた。

 

 

 わたしは速効で、ルミサへと駆け寄る。周囲に人は少なく、ちょっと大仰な謝罪でも問題なさそうだ。

 

「本当にごめんなさい。なんといって謝罪しても謝罪したりないわ。だから、わたしを同じ目に遭わせてくださいな」

 

 散々謝罪の言葉を述べた後、そんな風に告げて更に身を低くし、覚悟した表情でルミサに迫った。

 

「まあ、泥まみれにしてしまえってこと? そんな恐ろしいこと、できないわ。グレクスさまに、どんなに叱られるか怖いわよ」

 

 泥まみれにしていいと言っても、ルミサは真顔ながら、のらりくらりと断った。

 

「それもそうね」

 

 わたしは呟く。でも、気が済まないの、と、アンナリセの可愛い声で告げた。

 

「じゃあ、頬をぶってちょうだい、思い切り!」

 

 代わりに、そんな風に提案してみる。

 

「そんな、それこそ、グレクスさまの大事なアンナリセさまに傷なんて付けたら、殺されちゃうわ!」

 

 悲鳴めくような声で、ルミサは主張する。

 

「あっ、あ! そうね、じゃあ、どうすれば良いかしら……」

 

 焦燥感に駆られながら、わたしは必死で考える。かなり真剣な形相になっていただろうと思われた。

 

「そうだ! 良い考えがあるわよ」

 

 不意にルミサは、真顔なうえで更に真剣な眼差しになり、顔を近づけ、わたしの眼を覗き込んだ。

 

「なんでも構わないわ」

 

 すっかり覚悟を決めた表情で真摯しんしに告げる。

 

「じゃあ、親友になりましょう、わたしたち」

 

 間近のルミサの真剣な表情が、にっこりと可愛らしい笑みに変わった。青い瞳がきらきらしている。薄茶の髪は、流行の結い方で、なかなかお洒落だ。瞳の色を反映させた青系の衣装も華やかで素晴らしい。

 

「は? え、お友達になってくれるの?」

「友達なんかじゃだめよ! 親友になりましょう?」

 

 わたしはアンナリセの姿で、ぽかん? と、してしまう。

 

「どうして……? わたしと親友になってくれるの?」

「あらあら。私たち、なかなか良い親友同士になれそうじゃない? 私、気に入ったわよ、貴女のこと」

 

 ぽかんとした表情のままのわたしに、ルミサは優しい笑みを向けている。何をもって気に入ってくれたものか、全く分からなかったが、確かに、とても友情が築けそうな暖かいつながりのようなものが感じられていた。

 

「ありがとう! 本当に嬉しい! わたし良い親友になれるように頑張る。あなたのこと、全力で手助けするわ」

 

 感動のあまり、泣きだしそうだったが、必死で耐えて笑みを向けたので、ぐしゃぐしゃの表情だったかもしれない。

 

「親友は、頑張ってなるものなんかじゃないわよ? 今から、私達、もう親友なんだから。アンナって呼ばせてね」

 

 わたしは了承して頷き、こちらからも、ルミサって呼ばせてね、と、告げた。

 

「グレクスさまに近づいても怒ったりしない。会話が必要なことはあるわよね?」

 

 さらに、そんな風に言葉を続けた。

 

「そうよ! 元々、私、グレクスさまなんて、高嶺の花すぎて眼中になかったのだもの」

「そうなの?」

「家の者には、せっつかれているけど。でも、極秘だけど、婚約者いるの」

 

 それならマジで安心だ。

  

「それにしても、あなたの泥水は興味深かったわよ」

 

 笑みを深めてルミサは囁く。

 

「え? 興味深いの? あんなに酷いことしちゃったのに?」

 

 何が興味深かったのか、全く見当がつかず、わたしは瞠目どうもくした後で何度も瞬きする。わたしの吃驚びっくりした表情に、ルミサは満足そうな笑みだ。

 

「アンナみたいに、綺麗な泥なんて普通造れないわよ。でも、まぁ、あのときは、洗い流すのに本当に苦労したわ。流しても流しても髪の中から泥が出てきて。でも、綺麗な泥なの。その辺りの土を泥にしたら、色々混じるでしょ?」

 

 全身泥まみれの惨状を、ルミサは少し愉しんでいた節がある。何気に細かく観察していたようだ。それにしても、綺麗にするのには苦労しただろう。たぶん、衣装は台無しだ。

 しかし、綺麗な泥との言葉には、不思議すぎて考え込んでしまった。

 

「そう言われれば、そうね」

「本当にきめ細かい泥で苦労したけど、感心もしたのよ?」

 

 普通の泥なら、色々とゴミが混じったり、木の葉の切れ端やら色々混じる。綺麗な泥って一体何? アンナリセはどうやって造ったの?

 と、どんどん奇妙な気分になって行く。

 

「だから、きっと、凄い魔法なんだと思うの」

 

 ルミサは、にっこり笑んで囁いた。

 今は、綺麗な泥は謎でしかないけれど、そのうちアンナリセの魔法の師匠を訪ねてみよう。幼い頃に習ったまま、ご無沙汰し続けているが、何かわかるかもしれない。

 

「じゃあ、せめて、お詫びのしるしにクレイト侯爵家の領地の畑に水撒きさせて貰おうかしら?」

 

 現状で水関係の魔法で役に立ちそうなものといえば、そんな程度だ。だが、ウルプ小国の管轄する都は、植物の生長する時期、雨が少ない傾向がある。川の流れはあるから、人力で水撒きすることが多いだろう。

 

「あら、それは良いわね! ぜひ、遊びにいらして」

 

 ルミサは、水撒きよりも、アンナリセが領地に遊びに来てくれることを歓んでくれている様子だ。

 しばらく、ルミサと庭園の散策を愉しんでから、夜会前のざわつきの中へと戻った。

 

 

 

 他の貴族と仲良くしている様子を、ヘイル侯爵家の父母は微笑ほほえましそうに眺めてくれていた。

 トレージュと兄は、疑わしそうな視線のままだったが。

 

「アンナリセも大人になったわね」

 

 母がしみじみと呟く。

 

「ウルプ家の教育成果はたいしたものだ」

 

 父母は、ウルプ家が躾けたと思っている。ウルプ家では、ヘイル侯爵家の躾けが素晴らしいのだと、食事のときなどの所作から考えてくれている。互いに会話などしたら、混乱しそうだが、まあ、なんとかなるだろう。

 

 他の貴族方々も、アンナリセの暴挙には頭を悩ませていたようだから、豹変ぶりはどこでも大歓迎された。

 もとより、ウルプ家の婚約者で、しかも侯爵の令嬢だから誰も文句が言えなかった。それが心を入れ替えたのだというから、歓迎しない理由はないのだろう。

 

 皆、意外に快く受け入れてくれたのは、アンナリセの姿や存在に、ものすごく魅力があるからだと、わたしは思い知らされている。

 以前から悪さをされても許せるほどにアンナリセは魅力的だった。わたしが憑依することで、その魅力が減退することはなく、かえって魅力が増したらしいのは僥倖だ。

 

 

 夜会までに、ほとんどの謝罪を終えることができた。

 なんとか、謝罪を終えることはできたけれど、アンナリセに憑依したわたしは頑張り続けるつもりだ。

 

 グレクスにも、ウルプ家の面々にも、時折、顔を見せるようにしていた。

 人の来ない四阿あずまやで、グレクスと軽食も済ませた。

 立食の夜会ではあるが、わたしを含め、ウルプ家の者たちは食べている暇などないだろう。

 

 取り敢えず、準備は万端。

 わたしは、安心してウルプ家の夜会を愉しむことができそうだった。

 

 

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