ピンチ
ひどい金属音が耳元で鳴っている。
それが耳鳴りだと気づいたのは目が覚めてからだった。
黴臭さが鼻をつく。
起き上がろうとして両手が動かないことに気づいた。
手首を見ると銀色のガムテープがきっちりと巻かれている。
私は無理矢理立ち上がると、周囲を見回した。
埃を被った角材や、錆だらけの棚が並んでいる。
空からの光に気づく。トタン屋根の一部が剥がれてそこから光が漏れているようだった。
どうやらここは廃倉庫の中らしい。
由香里ちゃんの姿を探したがどこにも居ない。
とりあえずガムテープを剥がそうと、棚に駆け寄って尖ったものを探す。
空き瓶が置いてあるのに気づいて私は棚を蹴った。
瓶が棚から落ちて割れる。その破片を拾い上げ、テープを切ろうと手首を動かす。が、うまくいかない。
そのうちに扉の開いたような音がして私は慌てて隠れた。
「あ?どこいったんだあの女…」
男の声が倉庫内に響く。
テープは未だきれない。
足音が段々と近づいてくる。
私は心の中で”百合ちゃん、ごめん“と謝ると、ガラスを”浮かせた“
浮いたガラスは手首のガムテープ上をなぞるように滑って切れ目を作った。
そのまま力を入れるとすんなりと手首が離れた。
私はすかさず物陰から飛び出ると「それ以上来ないで!」と叫んだ。
男は一瞬目を見開いたがすぐにニヤけた顔になった。
「おいおい自分の立場分かってんの?抵抗しないって言うなら優しくしてやるけど」
「ふざけないで。由香里ちゃんはどこ?」
「由香里…?ああ、あの女の子は樹たちが可愛がってるよ。だから安心して俺らも楽しもうぜ?」
一歩、男が近づく。
「来ないで!来たら、痛い目見るよ」
「ふうん。脅しのつもり?何ができるんだよ。そんな足震わせて。ああでも、樹と違って俺そういうの燃えるタイプだから安心して」
「私が何もできないと思うの?」
男がニヤリとする。
「じゃあ何ができるか見せてよ」
その瞬間私は男の隣にある高い棚に意識を集中させた。
カッと体が燃えるような感覚に包まれたかと思うと、棚が男めがけて大きく傾いた。
男はなにが起こったのかわからなかったようで「は?」と呟いた。
棚は勢いよく倒れ、その重さをもってして男にのしかかった。
棚の下敷きになった男はぴくりとも動かなくなった。
「ザマアミロ」
私は吐き捨てるように言う。その瞬間ぐらりと視界が歪んだ。私は思わず座り込む。
ひどい吐き気が襲ってきた。
連れてこられる前に殴られた後遺症が出ているらしい。
「ああ、だめ…助けに行かなきゃ…」
譫言のように繰り返す。
私が動けなくなっていると誰かの足音が近づいてきた。
もしかして仲間がきたのだろうか。
私は無理矢理立ち上がると、棚にあった全ての空き瓶を浮かせた。
「近づかないで!脅しじゃない、本気よ!」
大量の空き瓶が空中を漂う。足音は止まらず棚の角に人影が見えた。
私は咄嗟に影に向かって空き瓶を一つ投げた。
「うわ、あぶなっ」
聞き覚えのある声に私は固まる。
棚から山本が顔を覗かせた。
「えっ?何これ」
驚く山本に気が抜けて空き瓶が全て落下する。
ガシャーンという音を立てて空き瓶が一斉に割れた。
ガラスの破片が花のように床一面に広がる。
私はへなへなと座り込んだ。
「山本…」
「伊月さん!大丈夫?今のなに?」
私は力無く首を振る。
「お願い。今見たこと誰にも言わないで…」
縋るように言うと、山本は逡巡した後「…分かった」と頷いた。
「どうしてここが分かったの?」
「俺、鼻がきくんだよね」
「鼻…?」
どういう意味だろう。意味を聞く前に山本は私を覗き込んだ。
「由香里はどこにいるか分かる?」
「わかんない。もしかしたら他の倉庫かも」
「分かった。伊月さんはここで待ってて。俺探してくる」
「待って!」
私は山本を呼び止める。
「私も行く」
「無茶だよ」
「自分の身くらい守れる。それに、私が居た方が便利だと思うけど」
私は離れた棚を指差す。山本がそちらを見ると、私は指を曲げて棚を倒した。
「今のどうやって…」
「ね、だからお願いひとりにしないで」
私に声の震えに気づいたのか、山本は「分かった」と頷いた。
「でも無理はしないで」
私は頷く。
倉庫を出ると海が見えた。
どうやら海沿いの倉庫群に連れてこられたらしい。
「どうやって探す?」
倉庫はたくさん並んでおり、この中から当たりを見つけるのは困難に思われた。
が、山本は「俺に任せて」というと迷いなく進んでいった。
怪訝に思いながらも後をついていく。
しばらく歩くと一つの倉庫の前で止まった。
「ここ。ここにいる」
「えっ何でわかるの?」
驚く私をよそに山本は「言ったでしょ。鼻がきくって」と悪戯っ子のように笑った。
重い倉庫扉を開けると、確かに奥の方に由香里ちゃんが見えた。
二人で駆け寄る。
倒れたままぴくりともしないので最悪の事態が過ぎったが、胸が上下しているのが見えて安心した。
「さっさとここから出よう」
山本が由香里ちゃんを抱き抱える。と、後ろから声がした。
「本当にここまでついてくるなて過保護だなあ」
振り返ると佐藤と男が三人、入口を塞ぐように立っていた。
「そんなんじゃ嫌われますよ、お義兄さん」
口の端を上げる佐藤に私は思わず「ゲス野郎」と悪態をつく。
佐藤はメガネを外すと、それを床に落とした。そのまま踏み潰す。
「ゲス野郎だなんて…失礼だなあ。俺はただ、別れ話が拗れたからちゃんと話そうとしただけだよ?」
「どの口が言うのよ」
「黙れよクソ女。大体お前が余計なことするからだろ」
先ほどと打って変わって低い声で罵られる。
「ね、男って演技派でしょ?」
呆れたように山本が言うので私は力無く首を振った。
「そこをどいてくれないかな。妹を連れて帰りたいんだけど」
「無傷で返すと思うか?」
佐藤の取り巻きたちがじりじりとにじり寄ってくる。
私は転がる長い鉄パイプに目を配る。
山本は由香里ちゃんをゆっくり下ろすと前に出た。
深いため息を吐く。
「俺、喧嘩したくないんだけど」
「はぁ?クールぶってんじゃねえよ!」
男たちが山本に殴りかかろうと拳を振り上げた。
私は咄嗟に鉄パイプを浮かせて後ろにいた男二人を壁に押し付けた。
首に鉄パイプがめり込んでもがくのをお構いなしに上へと押し上げる。
宙に浮いた二人は「ぐげぇ」とカエルが潰れたような鳴き声を発した。
それでも手は緩めない。
一方山本は男の拳を軽くいなすと、逆に男の腕を掴んで捻り上げた。ぼきり、と良くない音が鳴る。
「いてぇ!折れてるーっ!いてええ!」
男は顔を歪めて絶叫した。山本が手を離してやると男は蹲り悶絶した。
私も鉄パイプを下ろす。男たちはズルズルと倒れ込み動かなくなった。その顔はトマトのように真っ赤になっている。
おそらく酸欠で意識がなくなったのだろう。
「ば、化け物!」
一人残った佐藤が尻餅をついた。山本はそれを一瞥すると由香里ちゃんを優しく抱き上げた。
「行こう。もう用はない」
私たちは倉庫を出る。
山本は由香里ちゃんを壁にもたれさせる。
すっかり日が暮れて、月がぽっかりと浮かんでいた。
「散々な一日だった」
寒さに鼻を啜ると、山本が「あ」と声を上げた。
「鼻血出てるよ」
「えっ」
やばい。力を使いすぎたかも。
慌てる私に山本は「大丈夫?」と首を傾げる。
「うん。なんとかだいじょ…山本後ろ!」
山本の背後に鉄パイプを持った影がゆらりと揺れて私は思わず叫ぶ。
山本が後ろを向く前に鉄パイプが振り下ろされごんっと言う鈍い音が響く。
私は咄嗟に顔を手で覆ったが、山本はなぜかびくともしなかった。
殴った佐藤自身が驚いて口をパクパクさせる。
「なんで、俺、だって今殴って…」
「……」
山本は呆れたように首を振った。
相当の力で殴ったはずなのに山本は無傷に見えた。
「なんで自分の命を縮めるようなことするんだよ」
私に向けられたわけじゃないのに怒気を孕んだ山本の言葉になぜか私がぞわりとする。
山本は冷たい視線を送ると佐藤に近づいた。
佐藤は驚いたまま後ずさるが、すかさず山本が鉄パイプをぶん取った。
かと思えば、山本は鉄パイプをくの字に折り曲げた。
目の前の出来事が信じられず目を白黒させる。
今、確かに鉄パイプが曲がった。
まるで粘土のように簡単にぐにゃりと。
山本はそれを投げ捨てると「なあ、どうしてなんだ?」と佐藤に詰め寄った。
佐藤はすっかり怯え切って、尻餅をついてしまった。
山本はしゃがみ込むと佐藤の手首を掴んだ。
そして力の限り握る。
骨が軋む嫌な音がした。血が止まっているのか佐藤の顔が青白く変色する。
私はそこで初めて山本が佐藤を殺す気なのに気づいた。
「山本!もういいよ!そいつ死んじゃう!」
腕を掴んで揺さぶるが、山本は無言のまま手首を離さない。
グレーのはずの瞳がなぜか金色に光っている。まるで人間じゃないみたいに…。
「あああぁぁああいたいいたいいたいいたい!」
叫ぶ佐藤。山本はお構いなしに締め上げる。
「山本!もういいって!山本!」
このままでは本当に人を殺しかねない。その恐怖で目に涙が溜まる。
「もうやめてよ…蓮!」
懇願するように腕に縋ると、山本はハッとして私を見た。たちまち瞳がグレーに戻る。
「俺…」
佐藤は手首を抱えたまま「うぅ」と唸った。
山本は佐藤に一瞥をくれると、何も言わずに由香里ちゃんをおんぶして歩いていってしまった。
私は佐藤に「もう二度と私たちに関わらないで」と吐き捨てると山本の後を追った。
帰りの道中、山本は終始無言だった。
何かを考えているような素振りで、なぜか頑なに私と目を合わせようとはしなかった。
駅で別れる時も「ああ」とか「うん」しか言わず結局最後まで目は合わなかった。
満身創痍で家に辿りつくと玄関ポーチに人影が二つ見えた。
「帰ってきた…!」と聞き覚えのある声がして百合ちゃんが走ってきた。
「百合ちゃ」
「もう!またこんなに遅くなって!すごく心配したのよ!電話にも出ないで何してたの?」
百合ちゃんがぎゅうと私に抱きつく。
後から来た勇にぃが「まあそう怒ってやるなよ。無事だったんだから」と百合ちゃんを諌めた。
百合ちゃんに抱きしめられながら、帰ってきたという事実に目頭が熱くなった。
涙がこぼれないように百合ちゃんの肩口に顔を埋める。
それでも涙が止まらず、私は号泣してしまった。
「おいおい、どうしたんだ?」
「ごめん…っ。わ、私、お使いたのまれてたのに、ちゃんと、できなくて…!」
なぜかそんな言葉が口をつく。
「そんなことで泣いてるの?お使いなんていいのに。無事に帰ってきてくれたんだから」
背中を優しく叩かれて私はしゃくりをあげる。
ああ、私、怖かったんだ。今更ながら恐怖が湧き上がる。
私は百合ちゃんの背中に手を回すと子供のように泣きじゃくった。
百合ちゃんと勇にぃは困惑していたが、私が落ち着くまでずっとそばにいてくれた。
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