事件
休み明けに学校へ行くと山本からお礼を言われた。由香里ちゃんからはお菓子を、山本経由でもらった。
迷惑料らしい。
中身はシンプルなパウンドケーキでとても美味しかった。勇にぃに危うく取られそうになって慌てて隠したのはいい思い出だ。
あの波乱の一日を過ごして以来、私たちの関係が変わったかといわれれれば、その実なにも変わらなかった。
相もかわらず私たちは「山本」と「伊月さん」だった。
バディになっての最初の課題は順調に進んだが、何しろ山本が大変おモテになるので、共同作業は度々山本目当ての女子に阻まれた。
仕方がないので私たちは多少居残りをしたり、時には屋上まで避難しなければならなかった。
遊園地で撮ったいくつかの写真をピックアップして用紙に貼り付け、それから簡単な説明を書いた。
金曜日を迎えた今日で一通りの作業が終わり、残るはお互いの感想欄だけになった。
課題提出は来週の木曜日なのでまだ余裕がある。
とりあえず今日はここまでにして感想は来週に回そうと言う話になった。
花ちゃんたちは課題がもう終わっているようで近くの出海商店街をフィールドワークに選んだらしかった。
真面目な二人らしい丁寧な作りで、すごくわかりやすかったので多少参考にしたのは内緒だ。
「それじゃ来週」
「ん。またね」
いつものように女子に囲まれる山本に軽く挨拶をすると数名の女子に睨まれた。
おお、怖い怖い。
女子に嫌われるのはもはや山本とバディになったがためのある意味特典みたいなものだ。どうにもならないので諦めている。靴に画鋲を仕込まれないだけ優しいと思い始めてきた。
「いこ」
花ちゃんと由美に声をかけて玄関まで並んで歩く。
「でもさあ仲良くなったよね、二人?」
由美がそんなことを言い出したので私は「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げる。
花ちゃんも頷いているので私は心外だとばかりに頬を膨らませる。
「寂しいなあ…」
花ちゃんがそんなことを言うので私は途端に花ちゃんが愛おしくなった。
「何言ってるの花ちゃん!私が好きなのは花ちゃんだよ〜!」
ぎゅう、と後ろから花ちゃんに抱きつく。
「あはは。私も好きだよ」
「ピピーッ!バディ警察です!あたしの花に無闇に触らないでくださーい!」
由美が間に入り私を引っ張る。
「何?バディ警察って!ていうか二人の方が仲良くなってるじゃん!いつの間に呼び捨て!」
「はい聞こえませーん」
「ふふふ」
廊下ではしゃいでいると宮本先生とすれ違う。
「おっ。お前ら元気いいな〜。もう帰るのか?」
「宮ちゃん!そうだよ〜今から三人でクレープ屋寄るの!」
由美が上機嫌で答える。
「“宮本先生“な。まー仲がよろしいこって。課題は終わってるのか?」
「あたしたちはバッチリ!」
「私も感想だけ書いたら終わりですよ!」
二人して自慢げな顔をするので、宮本先生は持っていたバインダーでぽんぽんと優しく頭を叩いた。
「そりゃ楽しみだな」
「期待しててください。うちの花がもう完璧に仕上げてますから」
「もう…揶揄わないでよ」
「なに!?うちの花って!花ちゃんはうちのなんですけど!」
「おっやるか?」
ボクシングのジャブを繰り出して追いかけて来たのですかさず花の後ろに回る。
「花を盾にするなんて卑怯!」
「卑怯で結構です〜!」
「もう二人とも子供じゃないんだから!」
そんなやりとりをしていると宮本先生が「おうおう廊下で暴れんな〜」とやる気のない注意を促す。
「はーい」
おふざけもそこそこに私たちは先生に手を振る。
「じゃあね宮本先生」
「お〜気ぃつけて帰れよ〜」
そんなやりとりをしつつ校門を出る。クレープ屋へ向かうのと、スマホが鳴ったのは同時だった。
スマホを見ると百合ちゃんからメッセージが届いていた。
どうやら晩御飯の材料が足りないらしい。
メッセージには”買って来て、お願い“という文面と土下座する女性の絵文字が付いていた。
「あ〜…」
「なに?どした?」
「買い物頼まれちゃった」
「まじか」
「じゃあクレープはまた今度だね」
花ちゃんが残念そうに眉を下げるので私は首を振った。
「いいよ!二人で行って来なよ」
「えっでも…」
「それにほら、クレープの割引今日までじゃん。今行かないと損だよ!今度一緒に行こう」
「いいの?」
「残念だけどしょうがない。味の感想教えてよ!」
「オッケー!任せて。ほら、行こう」
由美が花ちゃんの手を取って歩き出す。それでも花ちゃんが名残惜しそうなので私はその背中をぐいぐいと押す。
「ほらほら行ってきて!」
「…わかった…。今度は絶対行こうね!」
「もちろん!」
花たちを見送りもう一度メールの内容を確認する。この材料なら近くの出海商店街で事足りそうだ。
私は花ちゃんたちとは反対側へと歩き出す。
桜並木の通りは花びらの絨毯ができていた。
もうすでに桜が散っているのを見ると季節の早さを感じる。
もうすぐ夏が来るのかと思うと待ち遠しいような、まだ早いような不思議な気持ちになった。
出海商店街は学校から三十分ほどでたどり着いた。
不景気に煽られながらも、未だ残り続ける店が立ち並ぶ商店街は主にエプロン姿の主婦たちで賑わっていた。
最近は大型ショッピングモールが台頭しているが、昔ながらの情のあるやり取りを楽しめる商店街は貴重だ。
今日も会話を楽しみにやってくる常連で店は活気に溢れていた。
私はチャットを見ながら早速目的の材料を買い込んだ。
ジャガイモ、にんじん、ほうれん草…。
今日の夕飯はカレーだろうか?
幸いなことに軽い材料ばかりで重くはなかった。が、引っ提げたビニール袋は正直邪魔くさい。
本当なら今頃クレープを頬張っていたのかと思うとお腹が鳴った。家まで我慢できそうにない。
誘惑に負けた私はお肉屋さんで肉まんを一つ買った。
出来立で熱々の湯気がたちのぼっている。
最近は暖かくなったとはいえ、夕方はやっぱりちょっと寒い。
そんな中での肉まんはとてつもないご馳走に見えた。
ふかふかの真っ白な丸い生地にかぶりつくと、肉汁が口に広がった。
肉屋さんらしいごろごろとした豚肉で、頬っぺたが落ちそうになる。
思わず口から「んふふ」と嬉しさが漏れる。
せっかくだから近道でもしよう、と裏路地に入った。
商店街から外れた路地はまるで別世界のように静かだった。
一本道が違うだけで、商店街の喧騒が遠い祭りのように響いている。
路地には使われなくなった製氷機や古い室外機が壁に並んで狭い道をさらに狭めている。
人よりも猫が通りそうな道だが、そんなところで思いがけない人物と出会った。
「由香里ちゃん?」
見覚えのある顔に驚いて足を止める。
「えっ?あっ、ひまりさん!」
由香里ちゃんも私に気づいたようで吃驚したように目を見開いた。
「あれ?なんで名前…」
教えたっけ、と言うと由香里ちゃんはちょっとはにかんで「れーく…お兄ちゃんに教えてもらったんです」と笑った。
「そうなんだ。この間ぶりだね!元気にしてた?」
「はい!おかげさまで…あれから二人で色々話し合ったんです。今まで聞けなかった気持ちのことも色々聞けて、やっと兄妹として前向きになれました。ひまりさんのおかげです」
「私?私は何もしてないよ。話聞いただけだし」
「いいえ。聞いてくれて私すごく救われたんです。あんな話、友達にも家族にも言えなくて…ずっと抱えてたから…」
由香里ちゃんは目を伏せる。
確かに友達、特に家族には言いづらい内容かもしれない。由香里ちゃんのお姉さんと山本のお兄さんの結婚が決まっている以上、そんな話をしてしまったら余計拗れてしまうのは自明の理だ。
なにはともあれ、わだかまりなく解決できたのならあの波乱の一日も悪くなかった。
「そういえばお礼のパウンドケーキありがとね。美味しかったよ」
「あっ本当ですか!昔からお菓子作りだけが得意で…お口にあったのならよかった」
「美味しすぎて危うく家族で取り合いになったからね!」
私が冗談めかして言うと由香里ちゃんも笑った。
「そういえばなんでこんなとこに?私が言うのもあれだけど、あんま治安良くないよ」
「ああ、ええっと佐藤さん…この間一緒にデートした人と待ち合わせしてるんです」
「メガネ君と?」
いや、一応相手は先輩なのでメガネ先輩と、が正しいか。
「はい。やっぱりこういう関係は良くないから別れたいって言ったら、最後に会って話をしようって言われて。ここで待ち合わせしてるんです」
「そっかあ」
私は頷きながらも何だか腑に落ちない気持ちになった。
「それじゃ私は行くけど、知ってる相手だとしても気をつけてね。一応」
「はい!」
頭を下げる由香里ちゃんに手を振って路地裏を出た。が、どうにも嫌な予感がする。
あの日、メガネ君…もとい佐藤が一瞬だけ見せたあの冷たい表情が気になる。
それにこんな路地裏を待ち合わせ場所を指定するのもおかしい。
喉に刺さった魚の骨のように違和感が拭いきれない。
私は行ったり来たりを繰り返して悩んだ末に、踵を返した。
路地裏に置かれたビールケースにそっと隠れる。
人の高さくらいに積まれたそれは隠れるのにはちょうどよかった。
佐藤は五分くらいでやってきた。
今日は制服じゃないらしい。ラフな私服姿だ。
由香里ちゃんが駆け寄る。
それから二人は何かを話始めた。
遠いせいで聞こえないが、揉めている様子はない。
やっぱ杞憂だったかな。と帰ろうとした時、由香里ちゃんの悲鳴が聞こえた。
慌てて振り返る。
なぜか由香里ちゃんがぐったりしていて、それを佐藤が抱えているところだった。
「なっ…!」
何してんの!と叫ぶ前にハイエースが路地を塞ぐように止まった。
そのままドアが開き何人かの男が「こっちだ!」と叫んだ。佐藤が由香里ちゃんを車に押し込める。そのままあっという間に車は走り去ってしまった。
私は慌ててスマホを取り出して山本のチャット画面を表示させると通話ボタンを押した。
……ワンコール。
……ツーコール。
お願い早く出て!
焦りでスマホが手から滑り落ちそうになる。
諦めかけた時、やっと電話が繋がった。
「もしもし?」
「あっ山本!?伊月だけど」
「伊月さん?どうしたの。電話なんて珍しいね」
「今、由香里ちゃんが男たちに連れて行かれて…私、なにもできなくて…!」
呼吸が荒くなる。とんでもない場面に遭遇したせいか、心臓が早鐘を打って今にもパニックになりそうだった。
「待って。落ち着いて、今どこ?」
「えっと、出海商店街の一本外れた路地…」
「そこで待ってていま」
どすん、という鈍い音と共に急に地面が近くなった。
滲む視界の端でビニール袋から野菜が転がっていくのが見える。
山本の妙に焦った声が遠くで聞こえた。
じんじんと頭が痛む。
あ、私殴られたんだ。
そう気づいた時には、意識が途切れてしまった。
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