取引

 買ってきたシェイクを吸いながら、なんでこんなことに、ともう心中で十回以上は唱えている。

 目の前の山本は何かを思案しているようにさっきから黙りこくっていて余計に気まずい。

 私達はあれから駅近くのビルに入っているファーストフード店にやってきていた。

 放課後、ということもあり店内は制服姿の学生で賑わっていた。同じ制服の子達もいれば、見たことのない制服姿も多かった。

 長い列に並んで注文を終えて品物を受け取る。

 私はシェイク。山本はコーラとポテトを頼んでいた。

 私たちは目立たないような隅の方にあるボックス席に座った。

 窓の下では人々がアリンコのように忙しなく動いている。

 高所恐怖症というわけではないが、ぼうっと見ているとくらりときそうだ。

 道中ずっと無言だったが、時折山本は「あの男の子かっこいい」と言う黄色い声にはにこやかに笑いかけていたりした。

 私はその度にアイドルかよ。と内心悪態をついた。

  席についてからも私たちはしばし無言の時を過ごした。

 気まずさを隠すようにシェイクを啜るが、こう言う時に限って何故か一向に上がってこない。

 遂に口火を切ったのは無言に居た堪れなくなった私の方だった。

 

「その…頬っぺた大丈夫?」


「え?」


 山本は一瞬何のことか分からなかったようだが、すぐに頷いた。


 「ああ、別に平気」


 山本はなんともないというように首を振った。

「女の子に叩かれたのは初めてじゃないしね」とも付け加えた。

 それはそれでどうなんだろう。


「話、どこまで聞いてたの?」


 山本はポテトに手を伸ばす。


「別に…ただ、女の子が泣いてたってことだけ…」


 事実だ。それ以外に何も詳しいことは知らない。

 山本は「あーあ、泣かせちゃったか」とちょっと拗ねたように頬杖をついた。


「ああいうの…痴話喧嘩ってやつ?口止めしなくても別に言いふらしたりしないよ…」


 私は口の軽さを疑われて、口止めされるのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。

 山本は首を振った。


「言いふらすとは思ってないけど。まあ、痴話喧嘩っていうか兄妹喧嘩っていう方が正しいかもね」


「兄妹?」


 その言葉に驚く。女の子の姿を思い返すが、お世辞にも似ているとは思えなかった。


「似てない、って思ってるでしょ」


 その言葉にぎくりとする。


「オモッテナイヨ」


「わかりやすすぎ。まあ、当たってるよ。あの子…由香里って言うんだけど俺ら血は繋がってないんだよね」


 とんでもないカミングアウトに固まる。

 

「……それ聞いても大丈夫な話?」


 私が気遣わしげに聞くと山本は首を傾げた。が、すぐに「ああ」と頷く。どうやら私が考えていることがわかったらしい。


「想像してるような話じゃないよ。由香里は俺の幼馴染。で、そのお姉さんが俺の兄貴と結婚する。だから俺の妹になるって言うだけの話」


 それはそれで複雑そうな話だ。

 シェイクが溶けてきてやっと上がってきた。

 口の中にバニラの甘い風味が広がる。


「まあ妹っていうのはわかった。それで?なんでそんな話するの?」


 私には関係のない話だ。

 

「ちょっと相談に乗って欲しくて」


「却下」


「手厳しいなあ」


 秒で返す私にさほど傷ついてないように笑う。

 山本は「そうだ、これ…」と徐にポケットから何かを取り出した。

 それをテーブルに置く。


「余ってるんだけどいる?」


 それはスイーツ食べ放題の日付指定の無料券だった。

 券に書かれているのはそこそこ値段の高い高級スイーツ店の名前だ。

 少なくとも学生の身には高い。そんな店の無料券に私はすっかり釘付けになってしまう。


「家族でもらったんだけど。何枚か余ってて」


 私が券に触ろうとすると山本がすかさずそれを阻止した。

 そうしてこれ見よがしに券を顔先でひらつかせる。

 

「協力してくれる?」


 危うく傾きかける。が、なんとか押し止まる。


「べ、別にそんな券に釣られるほど安い女じゃないんですけど!失礼だな!」


 ふんす、と鼻を鳴らすが山本は気にしない様子で続けた。

 

「そういえば伊月さんも俺にお願いごとがあるんじゃない?例えば課題のこととか…」


 私は思わず山本の方を向く。

 こいつまさか狸寝入りしていたのか。


「協力してくれるんだったら、俺も喜んで課題をやるけど。伊月さんが協力してくれないんじゃ、この話もなかったことになるなあ」


 こ、こいつ…!

 わざとらしく肩をすくめる山本に私は二の句が告げなくなる。

 まさかカバンだけでなく課題まで人質に取られるなんて!


「ひ、卑怯だ…!」


「戦略、って言って欲しいね」


「ぐっ…」


「協力してくれる?」


「……」


「伊月さん」


「……だーっ!もうわかったよ!協力すればいいんでしょ!?」


 ヤケクソ気味に叫ぶ。山本は「ありがとう。優しいね、伊月さんは」と笑う。その綽綽とした表情に苛立ちを覚える。


「それで?私の卵焼きを食べた挙句、脅迫してきた山本くんは何を手伝って欲しいんですかぁ?」


 頬杖をついて投げやりに言うと山本は何故か虚をつかれたように目を見開いた。

 それから「ぶはっ」と吹き出す。

 腕で口元を隠し小刻みに震える。そしてもう我慢できないと言うように机に突っ伏すと「ぐふぐふ」と笑い出した。


「な、なに」


 急に爆笑する山本に思わずたじろく。

 いつもクールぶっているくせに妙に子供っぽい笑い方にちょっとだけどきりとした。

 山本は息も絶え絶えに笑いながら言った。


「っだって、伊月さん卵焼きのこと根に持ってんだもん…!」


「はぁ!?」


 私は机を叩く。


 「当たり前でしょ!」


 むしろ無かったことにしないでいただきたい。


「食べモノの恨みは怖いんだから!…ちょっと聞いてる!?」


 未だに机に突っ伏す山本の肩を私がバシバシと叩く。

 山本は「聞いてる聞いてる」と言い、しばらく爆笑した後「はーっ笑った」と目元を拭って体を起こした。

 むくれる私に「ごめんね。機嫌なおして」とポテトを差し出してきた。

 そんなもので機嫌なんて治るか!と思いつつポテチを口に放り込む。


「それで?協力って何?」


「由香里に最近彼氏ができたんだよね」


「いいことじゃん」


「それはそうなんだけど、そいつがちょっと信用ならないっていうか」


「同族嫌悪ってやつ?」


「手厳しいね」


 苦笑する山本。


「妹は中学二年生なんだけど相手は高三らしいんだよね。しかも出会いはチャットアプリ」


「あー…」


 その言葉になんとも言えない気持ちになる。

 昨今のSNSの普及率は凄まじいもので、今時は小学生でもSNSをやっているらしい。

 友達から恋人までSNSで見つけるのは今日珍しくはないが、それによる犯罪率は年々増加している。

 まして由香里ちゃんは中学生で相手は高校生…。心配な気持ちも、わからなくはない。

 

「相手って本当に高校生なの?」


 当然の疑問を口にする。インターネットなんて年齢を好きに虚偽できる。なんならその全てが嘘の可能性だってある。


「本人曰く。付き合って一ヶ月らしい」


「一ヶ月かあ…」


 なんともいえず微妙な表情になる。

 長いようで短い気もする。


「親御さんは知ってたり…」


「おばさん達は知らないんだ。後ろめたさがあるんだろやっぱり」


「そりゃそうか」


 中学生。ましてやSNSで出会った恋人なんて親に言えるわけもない。私だって百合ちゃんに「SNSで恋人ができた!」なんて言ったら猛反対されるのは目に見えている。


「んで、山本は保護者代わりってわけ?」


「うん。まあ、煙たがられてるけどね」


「…放っておくっていう選択肢はないわけ?」


 ふと聞いてみる。いくら幼馴染で、妹になるとはいえ踏み込みすぎではないだろうか。

 一瞬、山本は寂しそうに目を細める。

 

「…俺は、義姉さんを泣かせたくないだけだよ。あの人、妹思いだから」

 

 その憂いを帯びた表情にどきりとしてしまう。


「ふ、ふうん?まあ言いたいことはわかった。んで、具体的にどうするって?」


「とりあえず相手の調査かな。今度の休みに会うらしい」


「えっ。まさか尾行するとかじゃないよね?」


 山本はにっこり笑って肯定する。


「えっ嘘でしょ!?」


「俺一人じゃ目立つんだよ。わかるでしょ?もう行く場所も押さえてある。ほら」


 そう言って見せたのは先ほどのスイーツショップの券だった。


「ああー!もしかしてそれで釣ったのって…!」


「ごめんね。確信犯」


 悪びれもせずに言う山本に私は頭を抱えた。


「課題もちゃんとやるからさ。お願い。付き合って」


 真剣な目で頼み込む山本に私は深いため息で返事をする。

 山本は「ありがとう」と笑った。

 それから私たちは詳しい日時を決めると店を出た。

 外はすっかり夜になっていた。紺碧の空が頭上に広がっている。

 寒いくらいの気温に震える。手に息を吐くと白くなった。

 

「寒い?」


 山本は私を覗きこむように聞いてきた。


「まあ、ちょっと」と答えるとふわりと何かが首にかかった。それは深緑色のマフラーだった。

 驚いて山本を見上げる。


「俺のマフラー貸してあげる」


「えっいやいやいいよ!山本の方が寒いんじゃ…」


「俺なら平気。こう見えて結構鍛えてるから」


「見る?」と悪戯っぽく笑うので私はすかさず「結構です!」と言った。


「家、どこ?遅くなったし送ってく」


「えっいいよ。すぐそこだし」


「俺が送りたいの。送らせて?」


 少し強引な物言いに私は「ぐぅ」と唸る。

 なんだか山本がモテる理由がわかった気がする。

 こんなに優しくされるとちょっとくらっときちゃうかもしれない。


「じゃあ、家の前まで…」


 おずおずと言うと山本は「よかった」と笑った。

 それから私たちは並んで家までの道のりを歩く。

 しばらくは他愛のないことを話していたが、最終的には課題の話になった。


「フィールドワークの場所なんだけど、まあ、どこでもいいらしいんだよね」


 どこにしよっか、と言うと山本ちょっと考え込んで


「じゃあ俺、行きたい場所があるんだけど」


「いいよ。どこ?」


「隣の市にさ、遊園地あるじゃん。大きいところ。そことかどう?」


「遊園地?」


 思いもよらない提案にびっくりする。


「そう。だめかな」


「だめじゃないけど…なんで遊園地?」


 山本はちょっと考え込んだ。


「まあ思い出の場所ってやつ?小さい頃、よく両親に連れてってもらったんだ」


「ふうん。まあいいよ。他に行くとこないし」


「ありがとう」


「お礼なんていいよ。どうせやんなきゃいけない課題だし」


 自宅に近づくと玄関先のポーチに人影が見えた。


「ひまり!」


 名前を呼ばれて驚いているとエプロン姿の百合ちゃんが走ってきた。

 何かを言う前に突進される。

 

「ぐえっ」


「心配したでしょ!こんな遅くなって…!せめて一言メールちょうだい!」


 ぎゅうぎゅう抱きしめられながら百合ちゃんが捲し立てる。

 そういえばメールを送るのを忘れていた。


「ご、ごめ…百合ちゃ、ちょ、苦しい!」


 危うく酸欠になるかける。


「ああっ、ごめんね。心配でつい。…あら?こちらの方はお友達?」


 百合ちゃんが隣にいた山本に気づく。

 山本は頭を軽く下げた。


「すみません。名乗り遅れました。山本蓮です。俺が遅くまでお嬢さんを連れ回してしまったんです」


「まあ、好青年じゃない!ひーちゃんの彼氏?」


「はぁ!?」


 私は素っ頓狂な声を上げる。

 山本は苦笑した。


「いや、ただの友達ですよ」


「そうなの…。よかったじゃない花ちゃん以外にお友達ができて!それも男の子…この子ちょっとそそっかしいところあるけれど気長に付き合ってね」


 いよいよ恥ずかしくなり私は「勘弁して!」と叫んだ。

 百合ちゃんの背中を押して玄関まで連れて行く。


「もう入って!黙ってて!」と家に押し込む。

 振り返ると山本がやけに優しい顔をしていた。


「いいお母さんだね?」


 説明が面倒なのでとりあえず曖昧に頷く。

 私は首からマフラーを取ると山本に返した。


「とりあえず、約束は守るから」


「ありがとう。助かる」


 マフラーを受け取った山本はそのまま踵を返していった。

 私はその姿を少し見送ると、家に入った。

 勇にぃが「彼氏帰ったのか?」とリビングから顔を出した。ほんのり顔が赤いところをみるとお酒を飲んだらしい。

 

「百合ちゃんもう喋ったの!?ていうか彼氏じゃないし!」


「またまた〜!百合には言えないんだろ。ほら、白状しろ」


 勇にぃが迫ってきたので「うるさい酔っ払い!」とだけ叫んで二階に避難する。

 自室に入ると、ロフトを登ってベッドに寝転んだ。

 今日はいろんなことがありすぎた。

 百合ちゃんが遠くから「ご飯はー!?」と呼んでいるが、急激な眠気がやってきた。

 私は返事もできないまま心地の良い睡魔に身を任せるとそのまま眠りについた。

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