Bump!

 掃除の時間。私は教室のゴミ箱を抱えたまま渡り廊下を進みながらうんうんと唸っていた。

 それはつい一時間ほど前の授業でのこと。

 担任の宮本先生が眼鏡の縁を押し上げながら教室に入ってきた。どうやら先生はそれが癖らしく、そう言えば朝もしきりに眼鏡を触っていたのを思い出す。

 授業科目は特別活動という名前で、内容は日によってまちまち。授業日も毎度あるわけでは無く一週間に一回あるかないか程度の授業らしい。


「つまり自由時間ってことっすか?」


 手を挙げた笹山くんはお調子者らしくふざけた口調で先生に聞いた。


「まあそんなもんだ」


 先生がそう言ったので一部の生徒からは拍手が巻き起こった。が、すぐにピシャリと言った。


「特別活動にはボランティアなどが含まれるからな。まあお前らにとっては自由時間みたいなもんだろ」


 投げやりな先生の言葉に一部の男子から非難が巻き起こる。私も内心はガックリしたが、まあそんなもんだ。

 春の日差しがちょうど良く顔に降り注いでいた。昼休みの後でお腹が満たされたと言うこともあって眠気が訪れる。それに今日は朝から悪夢のせいで寝不足だ。

 どうせ大した話はしないだろうと頬杖をついて目を瞑る。一応耳はオープンにしているが、鳥の囀りと先生の声が混ざって遠のいていく。

 

「…ということだから、最初の宿題はフィールドワークだ。バディと一緒に何かを調べてそれを提出しろ」


 は?今なんて言った?

 夢の国に足を踏み入れそうになるのを何とか堪え私は目を開ける。

 フィールドワーク?バディと?

 私はちらりと横を見る。

 隣では机に突っ伏した山本がすやすや眠っている。身長のせいか窮屈そうに長い足を折り曲げてなんだか箱詰めされた人のようだ。

 陽の光を浴びて長いまつ毛がキラキラ反射している。私は密かにまつ毛全部抜け落ちろ…!と呪いをかける。

 

「ってことだまあ紹介するものはなんでも良い。要するにバディとの初の共同作業で協調性が試されるってことだ。特に伊月〜。バディの顔を見つめるのはやる気満々で結構だが先生の方も見て欲しいぞ〜」


 予期せぬ名指しに私は「はい!?」と立ち上がる。クラス中が私を見た。

 驚く男子やちょっと怖い顔をした女子数名…。ニヤニヤしている笹山は後で絶対締める。

 私は顔に熱が集まるのを感じながら「すみません…」と蚊の鳴くような声で言うのが精一杯だった。

 当の山本はすやすやと寝ていて、私はため息をつきながら初の課題に頭を悩ませた。さて、どうしよう。

 山本はどっからどう見ても協調性なんてないし、課題もやるタイプには見えない。

 そもそも授業中は寝てるし(私も寝てたから強く言えないけれど)とにかく課題に一生懸命取り組むタイプには見えない。

 そうこうして考えているうちにあっという間に掃除の時間になってしまった。

 未だ解決策は見つからず。私はこうして山本のせいで悩む羽目になっている。

 

「どうしたもんかなあ」


 そう呟くのと誰かにぶつかったのは同時だった。

 足がもたついて、どすんとゴミ箱が手から離れる。


「すみませっ…」


「あぁん?」


 気の強そうなハスキーボイスに謝罪を遮られる。顔を上げるとマスクをつけた女生徒が金属バットを肩にかけてこちらを見下ろしていた。背は山本より少し低いがそれでも女子にしてはかなりの高身長だ。

  長い漆黒の黒髪が腰のあたりでバッサリ切られていた。いわゆるぱっつんというやつだ。

 その身長の高さにも驚いたが何よりもその服装に驚愕した。彼女は今時見ないようなセーラー服に身を包んでいた。スカートは異様に長く、足首のあたりまですっかり覆い隠されている。令和のスケバン、という文字が真っ先に浮かんだ。

 しかしすぐに疑問が浮上する。

 この学校ってブレザーの制服を採用していなかったっけ。

 じゃあこの人は他校の生徒?

 でも他校の生徒がこんな時間に堂々と廊下をうろつけるのか?

 様々な疑問が一気に押し寄せて頭がショートしている間に黒髪の女はずいっと顔を近づけてきた。

 不思議なことに硫黄の匂いが一瞬鼻を掠めたような気がした。が、すぐに甘ったるい香水の匂いが鼻腔を満たして私は危うく咽せそうになってしまった。


「おい。どこに目ぇつけてんだよ?」


「えっ?ああ…えっと、すみません」


 私がおずおずと謝ると女の肩からパペット人形が飛び出した。巻きツノがついた羊の人形だが、充血した目玉が片方飛び出していて、可愛いとはお世辞にも言えない様なグロテスクなパペットだ。そいつが口をぱくぱくさせる。


「不敬ダ!不敬ダ!この女は背信者ダ!」


 甲高いキンキンとした声と共に羊が跳ねる。目玉が振り子時計のように揺れた。


「えっと…」


 何かの出し物だろうか。それとも高度なギャグ?

私は困惑した表情で周囲を見回すが、いつの間にか私たちの周りには人のクレーターができていた。

 誰もがコソコソと遠巻きにこちらを見るだけ。誰も助けに入る気はないようだ。

 どうしようかなと逡巡しているうちに黒髪の女の背後から中背の女が顔を覗かせた。  

 その手にはパペット人形がはめられていて、どうやら彼女が声を当てているらしい。

 ブレザーの下にパーカーを着ており、黒いフードをかぶっている。そのせいで顔は見えなかったが、フードから三つ編みのおさげ髪が二本、垂れていた。


「不敬!不敬!縛り首!火炙リ!」


 女はパペットを動かしながら不穏なことを口にする。

 確かにぶつかったのは非があるが、そこまで言われることだろうか。

 

「ええと、すみません…」


 再度謝る私にパペット女が何か言おうとした。が、黒髪の女がそれを手で制した。


「なんか匂うな、お前」


 急に顔を近づけられて「ひぇ」と情けない声が出る。黒髪の女はしばらくスンスンと鼻を鳴らしていたがやがて舌打ちをした。そしておもむろにマスクを外したかと思えば「げぇ」と舌を出した。


「なんだお前?くそまずいな」


「えっ」


 身に覚えのない失礼な物言いに私は固まってしまう。

 “クソまずい”とはどういう意味だろう。

 体臭のことだろうか。

 私、そんなに匂う?と自分の体を嗅いでみる。

 大丈夫…のはず…多分…。

 困惑顔でしきりに首を傾げる私に女は何を思ったのか、意地悪そうにニヤリと笑った。

 そして手を振り上げる。尖った爪が蛍光灯の下できらりと光った。

 殴られる…!

 反射的に衝撃に備えて目を瞑った。が、


「暴力はいけませんねえ」


 緊張感のない間延びした声が廊下に響いた。

 恐る恐る目を開ける。女は手を振り上げたまま私の後方に目を向ける。

  私も釣られるようにそちらを見た。

 糸目の男子生徒を筆頭にぞろぞろと数人の生徒がこちらに歩いてきていた。さながら医療ドラマでよく見る教授回診のようで、密かに脳内で荘厳なBGMが流れる。が、慌てて打ち消した。

 女が手を降ろしたので私はそっと息を吐く。

 

「ああ?なんだよ狐男。巣から出てくるなんて珍しいじゃねえか。てっきり引きこもってるのかと思ったぜ」


 口の端を歪めて嫌々そうにそう吐き捨てる。

 

「引きこもリ!役立たズ!」


 パペットが威嚇するように吠えた。


「いやですねえ。あいも変わらず物言いが下品で。あなたのお人形、少しは躾けたらどうです?まあ脳みそ少なそうですもんねえ。学ぶことがないか」

 

 糸目の男の後ろにいた缶バッジがたくさんついたキャップ帽を被った男の子が「にゃはっはっはっ」と腹を抱えた。


「ギニャー!そこのネコオトコを剥製にしてやろうカ!」


「にゃんだとぉ?このパペット女ぁ!」


 糸目の男が面倒くさそうに首を振る。

 

「こらこら。あきませんよ。相手の土俵に上がるなっていつも言うてるでしょ。ほっときなさい。相手はお人形遊びしか能がない哀れな子供なんですから」


「なんだってェ?!」


 糸目の挑発にいよいよパペット女がブチ切れそうになり数人の生徒が悲鳴を上げた。


「それとも力のない哀れな子羊をいたぶって楽しむのが貴女の趣味ですか。情けないですねえ。そうすることでしか自分を満たせないなんて」


 侮蔑の色を込めた明らかな挑発。


「オマエ…!」

 

 パペットの女が歯を剥き出しにする。それに呼応するようにキャップ帽の男子が「にゃんだぁ?やるかぁ?」と殺気立つ。

 一触即発の空気。

 間に挟まれる私は動けずにいた。

 しばらく続いた睨み合いを終わらせたのは意外にも黒髪の女だった。


「やめだ。興が削がれた。ルル。戻るぞ」


 女は振り向きざま私を見ると「命拾いしたな」と意味深に笑った。ゾッとするような声色に肌が総毛立つ。


「待ってくださいよぉ!姉御ォ!」

 

 ルルと呼ばれたパペット女は、さっさと踵を返す女を慌てて追いかけて行ってしまった。

 あっという間の出来事に私は目を白黒させる。

 一体なんだったんだ。というかなんなんだこの学校。

 気が抜けてズルズルと座り込む。

 不意にゴミ箱が差し出され私は顔を上げた。

 糸目の男が手を差し伸べていた。

 

「大丈夫ですか」


「ええ…はい…多分…?」


 曖昧な返事を返して遠慮がちに手を取る。

 彼は私を立ち上がらせると、頭のてっぺんからつま先まで眺めた。

 観察するような視線に居た堪れなくなり私は声を上げる。


「あの…!」


「ああ、失礼。」


 男は咳払いを一つした。

 

「どうも人を観察するのが趣味でね。いやはや申し訳ない。しかし…」


 彼は思案するように顎に手を当てた。


 「一年生ですか。じゃあ彼女を知らないのも無理はない」


 学年を言い当てられてどきりとする。


 「なんで一年生だってわかったんですか」


 驚く私に男はにっこりと笑った。

 

「ここ」


 糸目の男は胸元を人差し指でポンポンと叩く。


「ここ?」


 首を傾げる。

 

 「リボンの色ですよ」


 「あっ」


 私は反射的にリボンに手を当てる。確か制服のリボンとネクタイは学年別に色で分けられているのだ。

 緑のストライプが一年。

 赤のストライプが二年。

 青のストライプが三年。

 糸目の男の胸には青ストライプのネクタイがきっちり絞められている。

 どうやら彼は三年生らしい。

 

「災難でしたねぇ。入学早々、黒月に目をつけられるなんて…」


「クロヅキ?」


「今の女ですよ。ああして学校で暴れては一般生徒を蹂躙する。全くもって厄介な女だ。我々青春派とは折り合いが悪くてね」


 困ったように眉毛を下げるが糸目のせいかどうにも胡散臭さが滲み出ている。正直山本よりも怪しい。


「青春派」


 聞き慣れない言葉を繰り返す。その途端、糸目の顔がわかりやすく輝いた。


「おや、興味ありますか?」


 私は本能的にしまった、と後悔した。

 反射的に「大丈夫です」と言ったがそれを遮るように男は早口で喋り出した。


「我々青春派はその名の通り学生生活における青春というかけがえのない時間に重きを置いて活動している部活みたいなものです。活動内容はオカルト調査というマニアックなものから海を見に他県まで電車で旅をするなどジャンルは問いません。面白そうだと思ったことには全力で挑む。それがモットーです。残念なことに先生方からは部活動として認可されていませんが、まあ、些細な問題です。今のように明星派の不良から生徒を守るのも、ええ、役目でして…あっこれ名刺です。お近づきの印にどうぞ」


 言われた言葉の半分も意味を理解できないままに名刺を押し付けられる。

 どこから出したんだろう。

 突き返すわけにもいかず私は「はぁ」と頷きながら名刺を受け取る。

 名刺は本格的な厚紙で作られていてシンプルなデザインのものだった。

 ポップな字体で代表“狐島 悠太郎“と名前が書かれている。

 おそらく糸目の男の名前だろう。

 その下にはSNSのID、活動場所やネットのサイトと思われるURLまで書かれている。かなり本格的なもので私は驚く。


「ま、どこの部活に入るか迷ったら選択肢の一つとしてお考えください。さ、猫谷。行きますよ」


「にゃー!」


 猫谷と呼ばれたキャップ帽の男子は足取り軽くひらりとステップを踏んで狐島と一緒に行ってしまった。


「一体なんなの…」

 

 私は名刺を片手にただただ呆然と彼らの背を見送るしかできなかった。

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