Buddy

「…!」


 夢の世界から蹴っ飛ばされたような不快感で目を覚ました。心臓が耳元でバクバクと鳴っている。

 目だけ動かして隣を見る。枕元に置かれた目覚まし時計がピピピという電子音を鳴らして朝を告げている。どうやら夢で聞いた音の正体はこれらしい。

 深い安堵のため息をついて時計を止める。

 夢の内容を反芻しながら仰向けになって天井を見つめた。

 白い羽…赤黒い血溜まり…。

 同じ夢は何度か見たことある。いくつか見る悪夢の中の一つだ。羽じゃなくて血のまんま降り注ぐバージョンもあれば、もっと酷い夢の時もある。だから慣れている。が、気分が良いものではない。

 鼻先の天井に貼られたポスターのイケメンアイドルが、冷や汗をかいた私を可愛らしい笑顔で見つめていた。両面シールで貼られた四隅のうちの一つが剥がれて丸まっているのに気づく。

 私は手を伸ばしてポスターを貼り直した。そうするとアイドルがウィンクしたような気がした。

 

「起きなきゃ」

 

 口に出してみる。寝たはずなのに悪夢のせいでむしろ眠る前よりも疲労感が増している気がする。

 でも今日は人生にとって大事な日なので遅刻はしたくない。 

 仕方なく身体を起こすと慎重に二段ベッドの梯子に足をかけた。

 この二段ベッドは叔母のお下がりだ。父と叔母の兄妹が使っていたものらしい。

 現在子供は私一人なので下のベッドは撤去して机を収納している。

 しかし二段ベッドっていうのは寝起きにはなかなか危ない。それこそ最初のうちは秘密基地みたいで楽しかった。が、そう思ったのは三日ほど。一週間もすれば登り降りが面倒くさくなって、普通のベッドに憧れた。

 それでも亡き父が使っていたベッドだと考えると変えるのはなんだか憚れて、結局私はこうして毎朝毎夜、梯子をつたう羽目になっているのだ。

 足を滑らせないように慎重に降りきると机に置かれた写真立てを持ち上げた。

 小さな赤ん坊を抱えている男女二人。父さんと母さん。

 父さんは爽やかな好青年といった風で黒髪を短く刈り込んでいる。キリッとした眉毛が意志の強さを感じさせ、アーモンド型の目尻は垂れ下がって優しい表情だ。母さんは長い艶やかな銀色の髪を垂れ流しどこか儚げに笑っている。緩やかにカーブを描いた口元は絵画に出てくるマリアのようだ。きっと今も生きていたら綺麗に歳をとっていたに違いない。残念ながら二人とも今は天国だけれど。

 母さんから受け継いだのは銀色の髪だけで、ちょっと生意気そうな眉毛や目は父さんから受け継いだものだ。

 叔母がいつも「その顔、兄さんにそっくり」と言うほど顔は父親似らしい。最近はそばかすが目立つようになったが「それは私似よ」と叔母は頬のそばかすをキラキラさせながら笑った。

 

 「父さん、母さんおはよう…」

 

 二人に挨拶しすると階下から叔母の声が飛んできた。

 

「ひまりー!起きてるのー?」

 

「起きてるよー!」

 

「じゃあ早く降りてきて!ご飯冷めちゃうわよ」

 

 「はぁーい」

 

 私は欠伸を一つすると部屋を出た。階段を降りていくと男女の笑い声が聞こえた。

 扉を開けてリビングに入ると、美味しそうな味噌汁の匂いが鼻腔を刺激した。途端にお腹が思い出したように鳴る。

 

「お、起きたか新入生」

 

 新聞を見ていた勇にぃが顔をあげてニヤニヤとこちらを見た。

 

「やめてよ。これでも緊張してるんだから」

 

 勇にぃはその太い指でコーヒーカップを持ち上げると「はははっ」と笑った。

 岡田勇輝。通称勇にぃは叔母の百合子の彼氏だ。恰幅の良いふくよかな体型で、大きなクマみたいな人。対する百合ちゃんはスレンダー美人なので二人で並ぶとリアルな美女と野獣になる。が、二人は驚くほどお似合いで、うんざりするほどバカップルだ。現在では私の両親が残したこの家に同棲という形を取っている。もう家族みたいなもので、私は勇にぃを父親のように慕っている。

 私は勇にぃの真向かいに座るとコップに牛乳を注いだ。

 

「緊張してるのか。入学式は終わったじゃないか」

 

「そうだけど。バディが決まるのは今日なの」

 

「ああ…バディ制度か。出海高校…変な学校だよな。保護者会でも話が出たけど、困難を協力して乗り越えることで協調性と人間性を育むことができるとかなんとか。ま、それは建前で要するにお互いの素行を監視するって腹積りだ」

 

「そう。だから不良と一緒になったら私まで連帯責任になるってこと。だからバディが誰になるかは重要で…」

 

 そんな話をしているとキッチンにいた百合ちゃんが味噌汁を持って出てきた。私と勇にぃにそれぞれ味噌汁を置くとエプロンを脱いで椅子の背もたれにかけた。それから勇にぃの隣の席に座った。

 

「何の話してたの?」

 

「君は今日も素敵だねって」

 

「やだ!勇くんってばぁ」

 

 百合ねぇがケラケラ笑い二人は軽くキスをする。私は思わずうんざりした。

 

「ちょっと!もうやめてよ…子供がいる前で…」


 「お前いつも“大人扱い”してくれって言うじゃないか」


 「そうよ。キスくらいで照れちゃって。“お子様ね”」

 

「そう言う意味で“大人扱い“しろなんて言ってないもん!」

 

 くすくすと笑い合う二人に抗議する。が、二人にはどこ吹く風だ。 

 仕方がないので私は諦めて朝食を食べ始める。

 ツヤツヤとしたご飯に、ふっくらとした卵焼き。それから出汁が効いたお味噌汁。百合ちゃんはとことん料理上手だと感心する。私にはせいぜいぺったんこな卵焼きが関の山だ。それらを口に放り込む。

 

「ひまりのバディは誰になるかしらね」


「あれじゃないか?ひまりの中学から一緒に行った友達がいただろう…」


  私は味噌汁を飲む。

 

「…花ちゃんね。私も花ちゃんとバディがいいなあ」


 花ちゃんは中学からの友達で私の親友だ。可愛らしくふわふわした子で、トマトジュースが異様に好きってことを除けば普通の子。奇跡的に同じクラスになったからにはやっぱりバディは花ちゃんが良い。気心が知れているし、何より安心だ。主に宿題方面で。


「でも知らない子とバディになるのもちょっとワクワクしない?」


「そうかなあ」


「そうだぞ。思わぬ発見や友達ができるかもしれない。あっ、醤油とってくれ」


「はい。…そうだとしても良い子がいい」

 

「それはみんなそうよぉ。ねぇ勇くん。勇くんは誰とバディになりたい?」


「えぇ〜?やっぱりそれは百合だろぉ」


「やだぁ!勇くんってば!」


「うわまた始まった」


 私は呆れて、テレビをつける。二人のラブコントを見せられるよりニュースの方がよっぽど有意義だ。

 そんなふうに朝食を取っているとあっという間に時間が過ぎていった。

 私は朝食を食べ終わると着替えのため自室に戻った。壁にかけられた制服はアイロンがけされてパリッとしている。

 それに腕を通して姿見の前で回ってみる。

 うーん。なんだか制服を着ている、というより着られているって言う方が正しい気がする。どうしてかしっくりこない。

 鏡の前でうんうん唸っていると両肩に手を置かれた。振り返る前に後ろからひょっこり百合ちゃんが顔を覗かせた。片手に持っていた小さなバッグを差し出す。

 

「はいこれ、お弁当。忘れないでね」


「えっ作ってくれたの?」


 驚く私に百合ちゃんは破顔した。


「当たり前じゃない!可愛い姪っ子のためだもん張り切っちゃう」


「ありがとう」


 私は弁当箱を受け取ると忘れないように鞄と一緒に並べた。

 

「どう?制服は…」

 

「なんだか自分の服じゃないみたい」

 

「最初はそうなのよ。私も高校生の頃は制服が合わなかったわ。でも三年間も着ればそのうちさまになるわよ」


 「そうかなあ…」

 

 百合ちゃんは私の頭を抱き抱えるように撫でると寂しそうに目を細めた。

 

 「こんなに大きくなって…私が引き取った時はまだあんな赤ん坊だったのに…もう高校生だなんて信じられない」

 

 百合ちゃんが鼻を啜る。私はびっくりして振り返った。

 

「えっ、ちょっと…泣いてるの?」

 

「だってえ…もうこんな大きいと思ったらきっとそのうち彼氏でも作って家に帰らなくなるじゃないかと思って〜!」

 

 涙目を手で仰ぎ情けない声を上げる百合ちゃんに呆れてしまう。

 そう言えば入学式でも号泣して勇にぃが宥めていたのを思い出す。あの時はあまりの恥ずかしさに思わず他人のフリをした。花ちゃんだけにはバレて後で「いい叔母さんだね」と笑われた。

 全くどんだけ涙腺が弱いのだろうこの人は。

 

「そんな未来は来ないから安心して」

 

「あぁ〜!きっとそのうち”うっせえババア“って言われるんだぁ〜!」

 

「情報が偏りすぎてない!?言わないよそんなこと!」

 

「不良にならないで〜!」

 

「ならないってば!」


 突飛な想像で号泣する百合ちゃんは私の背中から抱きつくと情けない声を上げた。

 そんな百合ちゃんからなんとか抜け出そうと格闘しているとノックの音がして勇にぃがドアから顔を覗かせた。

 

「おいおい。いつまでやってるんだ。もう出ないと間に合わないんじゃないか?」

 

「ゲッ。今何時?」

 

「八時半」

 

「はぁ!?」


 私は思わず声を上げる。


「四十分からホームルームなのにもう間に合わないじゃん!」

 

 迂闊だった。朝は時間に余裕があったせいでいつもよりのんびりしすぎていたみたいだ。

 百合ちゃんをひっぺ剥がして鞄と弁当バッグを持ち上げる。

 躓きなりそうになるながらも階段を慌てて降りると玄関で勇にぃが待っていた。

 

「送っていくぞ」

 

「神様…!」

 

 車の鍵を指でくるくると回す勇にぃを拝む。今の勇にぃの姿はどんな俳優にも負けないくらいかっこいい。

 私はローファーを履こうとするが慌てているせいか上手くいかない。そうしてモタモタしていると勇にぃはさっさと玄関から出て行ってしまった。

 

 「エンジンかけて待ってぞー」

 

 「分かった!」

 

 なんとか足を捩じ込む。いざ出ようと一歩を踏み出すと不意に肩を叩かれた。

 百合ちゃんが不安げな顔で立っている。

 

 「ひまり。約束ちゃんと覚えてる?」

 

 「えっ今?時間ないんだけど…」

 

 「ダメよ。ちゃんと言って」

 

 両腕をがっしり掴まれ私は「うぅ」と情けない声を出す。

 

 「ひまり」

 

 「分かったよ!…力は使わない。お守りは肌身離さず持ってる」

 

 「ちゃんとつけてる?」

 

 「つけてるよ!ほら…」

 

 私は胸元からネックレスを持ち上げる。ペンダントトップにはトルコのナザール・ボンジュウのような青藍の石がついている。人の目のようなデザインのそれは一見して不気味に見えるが百合ちゃん曰く災いから守ってくれる良い目らしい。いわゆる邪視を持ってして邪視制す。ということだ。

 

 「絶対に力は使わないで。いいわね」

 

 「百合ちゃん、私もう小さい子供じゃないよ。ちゃんと制御できてる。最近は忘れてるくらい。それにちょっと“ものを動かせる”程度だし、心配しないで」

 

 「分かってる。でも心配なの…」

 

 百合ちゃんが眉尻を下げて泣きそうな顔になる。私は腕を掴んでいた手を取ってぎゅっと握る。

 

 「大丈夫だから…ね?」

 

 外でクラクションの音が鳴った。どうやら時間切れらしい。 

 

 「とにかくそういうことだから!じゃあね!」

 

 「あっ…行ってらっしゃい!」

 

 名残惜しそうな百合ちゃんに後ろ髪を引かれつつも私は勇にぃの車に飛び乗った。

 それからはあっという間だった。

 勇にぃ自慢の可愛らしいビートルのビンテージカー(と言ってもただ古いだけに見える)は通勤ラッシュの車の間をするりと抜けて予想よりも早めに学校へと連れっていってくれた。

 お礼を言いながらも慌てて降りる私に勇にぃは「頑張れよ」と片手を挙げた。

 車を見送ることなく私は自分の教室へと走った。

 玄関に人はすっかりいなくて校内はひっそり静まり返っていた。もうホームルームが始まっているらしい。私はスピードを緩めることなく足を動かす。

 なぜかこの出海高校は一年教室が三階にある。

 そのせいで目的の一年A組につく頃には私の足は棒切れ同然になっていた。

 ぜえはあと肩で息をする。なぜ高校生活一日目から全力疾走しなければならないか考えたが、行き着く先は自分の時間管理能力の甘さでいっそ自分の首を絞めたくなった。

 が、今の私は瀕死なのでやめてあげてほしい。

 A組の扉の前には背の高い男が立っていた。先生かと思ったが近づくとスーツではなくそれが学生服の紺色のブレザーだということに気づいた。彼は私に気づくことなく扉を開けた。

 

 「すみません遅刻しました」

 

 やる気のないような、すみませんと一ミリも思ってないような声色の男子に先生らしき人の「初日から遅刻か〜!良い度胸してんな〜!」という声が飛んできた。

 私も男子に続いて慌てて教室へと身を滑らせ「ごめんなさい!遅刻しました!」と頭を下げた。

 

 「お前も遅刻か!」

 

 「すみません…」

 

 朝はちゃんと起きたんですけど…と言い訳はせずに頭だけ下げる。

 

 「…はあ、まあいい。えっと……悪いな、まだ生徒の名前覚えてないんだわ。名乗ってくれるか?」

 

 私は顔を上げる。黒縁のメガネをかけた若そうな先生が教壇に立っていた。髪は癖っ毛であちこち跳ねている。

 白衣もヨレヨレなところを見ると品行方正な真面目な先生ではないらしい。

 

「えっと…」

 

「山本蓮です」

 

 私が言い淀むうちに隣にいた男子が先に名乗った。

 

「あぁ、えっと、伊月ひまりです」

 

 私も釣られるようにして名前を言う。

 

「伊月と山本な…」

 

 先生は名簿らしきものに目を落としてペンを走らせた。

 私はちらりと隣を盗み見た。山本と名乗った男子は背が高く、すらりとしていた。

 男子にしては長いウルフカットの黒髪。目元は涼やかで、泣きぼくろが妙に色っぽい。鼻の筋は通っていて、形の良い唇が結ばれている。

 髪の間から覗く片耳のピアスがきらりと光った。

 はっきり言って女の子なら誰もがうっとりしてしまうような顔立ちだ。つまり美形ということ。

 現に女子たちは僅かに色めきだってあちこちから「かっこいい」という囁き声が聞こえる。

 そうして観察していたら山本が不意にこちらを見下ろした。グレーの瞳とばちりと目が合う。

 驚きのままに目を逸らすことができない私に彼は口の端を上げて囁くような声で「見すぎ。えっち」と言った。

 色気を帯びた声色になぜか私が恥ずかしくなり、慌てて前を向く。

 顔に熱が集まる。頬に手を当てて気にしないふりをしたが変な汗まで吹き出してきた。

 確かに見過ぎだったかもしれないが、いかがわしいことはしてないし「えっち」なんて言われる筋合いはない。でもやっぱり見過ぎだったかも…。

 そんな風に一人で悶々としているうちに先生は「じゃあ、伊月と山本でバディな」と言った。

 私は驚きのあまりに二の句が告げなくなっていた。

 「おら、席はあっちだ。さっさと行け」と言われて慌てて我に返る。

 

「えっ待ってください。バディってそんな決め方なんですか?」

 

「だってお前ら遅刻しただろ。バディ決めはもうとっくに終わったぞ。決まってないのはお前らだけ。だったらお前らで組むしかないだろ」

 

「うっ」

 

 正論をかまされ私は言葉に詰まる。

 

「でもバディって一年で超重要じゃないですか!委員会とか掃除とかいろんな活動を共にするんですよ?私、組みたい子がいて…」

 

「そうだな。でもくじ引きで決めるもんだから。これがお前の運命だ。いやー先生もすごく残念だ」

 

 さほど残念そうじゃない様子で先生はプリントに目を落としている。何を言ってもダメそうだ。

 花ちゃんから打診してもらえないかと教室中を見回して後ろの方に花ちゃんを見つけるが、花ちゃんは意図を察したのか手を合わせて「ごめん!」と口パクで謝った。

 どうやら決定は覆そうにないらしい。

 それでも食い下がろうと「でも山本…くんが嫌じゃないですか女子となんて。やっぱ男の子同士で組んだ方が…」と必死に抵抗する私に山本は

「いや?俺は別に伊月さんとバディでもいいけど」

 とあっけらかんとして言った。

 ちょっとは抵抗しろよ!と思いつつももう切れるカードも残ってないために私はしぶしぶと空いている席に向かった。 

 私の席は花ちゃんの後ろ。列の最後尾の窓際だった。

 それだけが救いだが、なぜか隣の席には山本が座った。

 

「よろしくね。伊月さん」

 

 優しそうな、でもどこか胡散臭い笑みを浮かべる山本に私は「はぁ」とやる気のない返事で答える。

 そのまま机に突っ伏して己の運命をじくじくと呪った。

 花ちゃんが「よしよし」と頭を撫でてくれたが、涙は一向に止まりそうになかった。

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