龍祀る民のネイ

dub侍

一話 下山

 人が生活を営む街々の遥か彼方に聳え立つ山脈の一つの高地。濃霧が漂い、地には大岩が転がり岩肌が目立つ。


常人では徒歩も困難である大きな岩石が転がる険しい崖道。一歩踏み外せば、遥か下の闇へと身を落とす。


動物や魔物でさえも好んで居着かない。



そんな道なき道を土色の外套を着込んだ若き青年は岩から岩へと軽々と跳躍しながら山を下る。


目的地は遥か先。まだ見ぬ景色や都会的で文明的な人の街を夢を見て歩みを進める。



濃霧は続き、視界は冴えない。



 一日程下山を続けると霧は晴れ、大木が聳え立ち緑に染まる森にあたる。


時は夜。大木の枝の上で半覚醒状態で仮眠をして、翌日朝焼け同時に動く。



 森に入ると鳥の囀りと魔物達の遠吠え、葉擦れの音が少々響きながらも、静寂に包まれていた。


若き青年は森では目立つ白髪と白肌を隠すために土色の頭巾と黒と茶の渦巻き型の面を被る。

全身が覆われ、杜若色の瞳のみが濃霧に浮かび上がる。


緑と濃霧の間に木漏れ日が差し込み、辺りは薄暗く神秘的な雰囲気がある。

遥か昔から存在するであろうこの森の木々達は未だに強靭な生命力を感じる。


人は自然に生かされている。彼らから分け与えられている事に理解して、感謝する。



森に入ると幾ばくか生命の気配を感じる。

大きな音を掻き立てれば、魔物達が聞きつけ襲いに来る。自然界に弱者は生き残れない。


生い茂る草を踏む音を消しながら、颯爽と進む。



更に二日も進むと森が少しずつ浅くなり始めした。

空を見ると大きな雨雲が見え、雨粒が大量に落ちてくる。


それは緑の葉から幹を伝い、苔に染まる土壌に深く染み込んでいく。

何処か親しげで、温もりすらある。



若き青年の渇き切った喉には慈雨にすら感じる。

大木の枝の上に腰掛けて休憩をとると音が聞こえる。



森には無い騒がしい音だ。



 ───人の声だ



青年は音の方向へと大木の枝から枝へと伝って跳躍を繰り返し騒ぎの場へと辿り着き、木陰に身体を隠しながら様子を伺う。


視線を下げると、狭い崖縁の道が雨による土砂崩れの影響で2台の馬車が倒壊し、馬と人は車に潰されていた。

豪華な馬車と鎧を纏った騎士達、優美な衣装を纏った少女。高貴な身分と分かる。



聚落では貴族などに関わってはいけないと暗黙の掟がある。


青年は彼らを救う義理などはない。

しかし、放置するのも寝覚めが悪いと考え地へと降り立ち、後ろから声を掛ける。



「お困りですか」


「…どなたがいるのですか…。助けてください!マリアが! マリアが!」



 金色の輝く背までかかる長き髪を持つ見目麗しい少女だ。

小鼻だが鼻立ちは良く、少し丸みを帯びた顔が優しげな雰囲気を醸し出している。濁りなき空色の瞳には人を惹きつける何かがあった。


彼女は突然目の前現れた怪しげな人物驚きながらも助けを求める。


「…あ、あの」


「はい」


「突然の土砂崩れで事故が起きてしまい、マリアが!」


青年は視線を倒れた馬車の中に向けると豪華な鎧を纏った白髪頭の老騎士と赤茶髪の女騎士が目に入り、御者は崖に転落した痕跡がある。

馬は身体を倒れ、息を引き取る寸前。


幸いにして老騎士を頭を打ち付けているだげで溢れ出した血は僅か。気を失っているだけだ。


女騎士は半身が馬車に潰されていた。



 ───これは駄目だな。



しかし、青年は雨音で掻き消されていた僅かな呼吸音を耳にする。

女騎士を注視すると硬い鎧が馬車の重みから下半身を守っていた。無事ではないが、生きてはいる。


青年は車内から直ちに老騎士を連れ出し、馬車を独りで持ち上げる。



女騎士の身体は潰れてはいなく、馬車の鋭利な装飾具が鎧の隙間の横腹を抉っていた。


慎重に女騎士の腹から突起物を勢いよく抜き出し血が流れる。

急いで木元まで連れて、女騎士の鎧を脱がし、酒精で身体を清める。


「な、なにをするんですか!?」

「治療です。このままではこの女性は死にます」


青年は濃密な魔力を丹田から練り上げ始める。


「『命繋』」

淡い薄緑の光が森のなかで泡沫状に輝き始める。

女騎士の身体から溢れ出てくる血は収まり皮膚が癒え始める。そして、身体の傷は跡も無く消え去る。


「あなた治癒術士だったのですね」


「…ええ」


「こちらの傷も治してはいただけませんか?」


「この騎士は頭から血を流していますが少量。無事の範疇です。もう一台の馬車を見てきます」


泥濘を歩みながら転倒している後方馬車に近づくが心音がしないことに気づく。


もう一台の馬車には頭を岩に打ち付けた御者と土砂に埋もれた馬の死体のみが残っていた。息はしていない。

中に乗っていた人は転倒の勢いで扉が破れて崖に転落したのであろう。


確認を終えた後に少女の元に戻る。


「あちらの馬車には生存者はいませんでした」


「そう…ですか」


「この2人は暫くすると目を覚ますでしょう。女は少なく無い血を失っているため、暫くここで休むことをお勧めします」


「はい。助けていただき感謝致します」


「いえ、では僕は先を急いでいますので」


「い、今から何処かに行かれるのですか??」


「はい。街へと」


「私達も街に向かいます故、同行してはいかがでしょうか?」


「失礼ですがお断りします。それでは」


「お待ちください。街で褒美を渡しましょう」


「正直に申し上げると、僕は貴い身分の方と余り関わりたくないのです」


「ま、待ってください!!置いてかないでください。1人では不安なのです…」



青年は少女に振り返る。美しい空色の瞳で訴えかけられ、足を止める。


「…。彼らが起きるまでここで周囲を見張りましょう」


「あ、ありがとうございます」


少女の目から大粒の涙が溢れる。不安だったのであろう。


青年は無言で気まづい空気を感じつつ、森の音に耳を澄ます。普通は騒ぎの音と血の匂いを嗅ぎつけて魔物が近寄ってくる筈が、近くからは生物の気配がしない。



 ──正道では無い筈なのに、魔物が付近にいない。



不思議に考えていると、老騎士が目を覚ます。



「うっ、…」


「気づきましたか!オーケロン!」


「ルルカナ様…。わしは気絶していたのか」


「ええ、この方に助けていただきました」



老騎士は奇怪な様相の人物を見て驚く。


「ん!?何とも怪しげな。だが、助けていただき感謝しますぞ」


「できる範囲のことをしただけです」


「この方は術で死にかけたマリアの治療もしてくれたのです。本当に助かりました」


「はい。騎士様が目覚めたようですし、僕は行きます」


「お待ちを!!」


「…。またですか。先程も待って欲しいと懇願されました。僕も暇ではございません」


「どこへ行く。我々は御者が亡くなり、この森の道何も知り得ない。どうか道案内をお願いしたい。其方は知っているのであろう」


「…」


「わしらはこのままでは道に迷い、魔物に襲われて森の養分となってしまう」


「…」


「後生である」


ネイは騎士オーケロンに頭を下げられ、これ以上は袖にできないと考える。

「…。わかりました。但し僕にこれ以上面倒事を押し付けないでください」


「感謝する。わしはクレモルト王国オルブライト辺境伯爵軍団騎士オーケロンと申す。短い間ですがよろしくお願いしますぞ。」


「あ、私はオルブライト辺境伯爵の長女ルルカナ・オルブライトと申します。その、よろしくお願いします」


「ネイです。よろしく…お願いします」

面を外すと綺麗な雪色の髪を後ろに縛り上げる端正な顔立ちの青年が現れた。


「お主、怪しげな面をつけているが中々の男前ではないか。勿体無いぞ」



 暫くすると、日が暮れ始めると同時に雨も止む。昇っていた陽が落ちて、闇夜に月が見え始める。


ネイは周囲に湿り気の少ない太枝を幾つか拾い集めて小刀で細くする。

火術で強めに枝を燃やし焚き火をしながら、他の枝を乾かす。


暗闇に包まれる森に火が灯り、それを3人で囲う。



「森で火をつけて大丈夫なのか?」

「近くに魔物の気配はありません。寝る前には消します」


「なるほど。お主は狩人が何かなのか」


「まあ、そんな所です」


「なんとも冷たい返事じゃの、今宵は出会いを記念に語らおうではないか」


「はあ…。では質問なんですが、あの森の先に人が住むような街はない筈。貴方達は何をしてたのですか」


「うむ。事情があって紫華花が必要での、太古からあるこの森に来たわけじゃ」


「紫華花…。どなたか病を患ってるのですね」


「紫華花を知っておるか」


「ええ。この森には昔はあったそうです」


「お主若いのによう知っておる」


ルルカナがおずおずと口を挟む。

「あのぅ、ネイさんはおいくつなのですか」


「僕は14です。来春に15になります」


「私の一つ上でしたのね。もう少し年上かと思っておりました」


「そうですか」


パチンと火種が弾ける音と同時にオーケロンの背後で寝ていた女騎士が目を覚ます。


「此処は…。うっ、痛い…」

彼女は周囲を見渡すと、見知らぬ男とよく知る2人がいることに気づく。


「私は….」


「目を覚ましたのですね! マリア! 良かった!良かった!」


「ルルカナ様…、此処は」


「此処は森です。貴方はずっと眠っていたのです」


起きたばかりのマリアが混乱しないようにオーケロンが丁寧に順を追って出来事を話しながら、ルルカナが補足していく。


「そうか…。生きているのはこれだけですか」


「私が紫華花なんか探しに行かなければ…。ごめんなさい。ごめんなさい」


「あんな大規模な土砂崩れ誰も予期できません。ルルカナ様のせいではございませんよ」


「は、はい」

ルルカナは泣きじゃくりながら返事をする。


「うむ。そこの御仁、ネイであったか。マリアと申す。命を助けてくれた事感謝するぞ、誠にありがとう」


ネイは彼女の顔を注視していなかったが、よく見ると美しさと可憐さを併せ持つ魅力溢れる女性だと気づく。

凛々しく整えられた細い眉に白肌。燻んだ金の髪に、大きく切れ長な白群色の瞳が映えていた。


そんな女性の真っ直ぐな瞳に気恥ずかしさを感じる。


「いいえ、偶々です」


「謙遜するな。話を聞く限り、相当な治癒術の使い手なのでしょう。頼もしいばかりだ」


「それで此処からどこに向かうのじゃ」


「一番近い、ウォルトに向かうつもりです。この細い道を辿れば着くでしょう」


「なるほど。ウォルトか。しかし、我らも行きに通ってきたがこの森道にいくつもの別れがあったぞ」


「馬車の痕跡と魔物の気配、街の方角を考えて進めば迷うことはないかと」


「ここからどのくらいかかるのですか?」


「さあ、私もわかりません。森を突っ切る予定だったので。正道が見つかれば4日もあれば辿り着くでしょう」


「森を…」



 その晩は3人で見張りはすることにした。

オーケロン、マリア、ネイの順だ。


ネイは自分の見張り番の時間より前に起きてマリアを寝かしつけた。


「貴女は一応怪我人です。早く寝て回復をしてください」


「其方、存外優しいのだな。辱い」



皆が寝静まった夜に1人ネイは考える。


何故付近に魔物がいないのか。

雨が止み次第。魔物は巣から飛び出し食事のために獲物を狩る。

しかし、未だに魔物の気配は感じれない。


周囲を少し見て回る。

僅かに香る獣の匂い、肉を食べているものではない。



 暫くすると夜が明け始める。昨日の雨が嘘のように燦々とした日が昇り、地は乾きは始める。


幸いにして馬車内に数日分食料品は残っており、背嚢に詰め込み。一週間は問題ない。


森道で数日、正道から街まで4日の予定で、一行は馬車一台分の道を歩き始めた。


ルルカナは弱音を吐かずに歩くが、長時間の歩行により足を痛め始めた。


数度休憩を数度挟みつつ、軽い治癒術をかけたが全身疲労と足腰の弱さまでは改善できない。何度も術を使い、効果が薄くなってからは途中からオーケロンに背負われていた。


途中別れ道がいくつもあったが、雨で消えかけている馬車による僅かな地の凹みや車輪の跡、馬糞などで判断してきた。


その晩は何事もなく眠りつく。



 次の日の晩も森道を只管歩き続ける。

ルルカナを背負ったオーケロンに無理が効かなくなってきたため、進行速度を落とし日暮れ前には野営の準備をしていた。

騎士達も慣れない森歩きで体力的に満身創痍の状態であり、夜を過ごす。



 翌日も早朝から歩き始める。

次第に道幅が広くなり正道に近づいているのが分かる。


森や生態系に詳しいネイの知識は豊かであり、3人は驚くばかりであった。


 暫く歩み続けるとネイは森の中から近づく気配を感じとる。

突然地に耳を澄ませて、更には僅かな魔力を放射状に流し始める。


マリアがネイの突然の行動に疑問を持ち、問いかける。

「どうかしたのか?」


「魔物の気配あります。おそらくこの辺の魔物を捕食して回っているのでしょう」


「なにっ??」


「明らかに此方を追っています」


「一度森に隠れてやり過ごすか?」


「この4人では難しいですね」


「うむ。ルルカナ様を庇いながら魔物を相手するのはちと厳しな」


「もう少しで正道じゃ。走るのが懸命だろう」



一同は走る。オーケロンはすぐに鎧を脱ぎ捨て、ルルカナを背負う。


ネイの眼には正道が見えた。


しかし、追いつかれる。森から現れた巨大な黒き蜘蛛。体長にして45尺程。6足の内の前脚2つは大きな鎌のような型をしている。



「あれは大鎌黒蜘蛛ではないか!! 戦ってはいけない魔物だ! 逃げるぞ!」


「マリア、ルルカナ様を連れて逃げるんだ!」


「すまない! 爺!」


オーケロンは命を捨てる覚悟で足止めをするつもりであった。

マリアは顔面蒼白になりながら急いでルルカナを手引き、脱兎のごとく逃げる。

進むは目前の正道。この道さえ辿り着けば魔は避ける。



しかし、白髪頭の若き青年は動かない。



「逃げるぞ!ネイ! 何をしている!!」


「馬鹿者! 逃げろと言っとるじゃろう!」



青年は全ての言葉を無視をして、大鎌黒蜘蛛の前に歩みを進める。外套に隠れていた一振りの刀を手にして。



眼前にノコノコと来た餌を見て唸り声を上げながら、前脚の黒く光沢する大鎌を目にも止まらぬ速度で振り上げる。



誰もが青年の身体が二つに切り裂かれると疑わなかった。



「『三殱』」



その剣技に音は無かった。


大蜘蛛の鎌が青年の間合いに入ると、身体が突如崩れ始めた。暗緑の体液が地に流れ出る。


居合で抜刀された白刀の剣技により大蜘蛛は斜めに三分割されていた。誰もが彼が刀を抜いたことに気づかなかった。


返り液も浴びずに、刃に僅かに付着した液を拭き取り丁寧に刀を鞘に仕舞い込む。



「大蜘蛛如きに後れはとりません。先に進みましょう」



一同が唖然とする中1人でに蜘蛛の死体から紫色の魔生石と真紅の瞳を剥ぎ取る。

それらを麻袋に仕舞い込み、歩み始めた。そして、誰からともなく彼に着いていくのであった。


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