≪最初の恩返し≫⑦:キミ(あなた)が変わるキッカケになる
「影峰さんがご無事で何よりでした」
「そうだね」
日が沈んで暗くなった夜道を一緒に歩きながら、俺は今日の出来事を振り返る。
結論から言えば、影峰さんに大事は無かった。
急ぎ青木先輩に連絡してから救急車を呼んだものの、救急隊員が駆けつける頃には気を失っていた影峰さんも意識を取り戻していた。
なんでも彼女は雪かきの最中に樹上からの落屑をくらって眼鏡を落としてしまい、視界不良の中で探していたら斜面を落下。運悪く頭を打って気絶していたと。
『……拝山くんが見つけてくれたのね』
『ええ、まあ』
『…………その、ありがとう。おかげで助かったわ』
救急車で運ばれていく前の彼女が若干口をもごもごとしていたのは、まさか嫌っていた相手に救われるなんてという気持ちだろうか。それでも感謝の気持ちは適当なものではなく、去り際に見せてくれた柔らかい表情に嫌悪の色はなかった。
俺としてはあの人が無事だっただけで、十分だ。
「嬉しそうですね零斗様」
「そうかな」
「はい、にっこり笑顔です!」
「……そう言ってくれるのはキミだけだよ」
もしやこの表情が変わるのであれば、そうなっているのかもしれない――などと想像してみれば悪い気はしなかった。
「もっと喜んでいいんですよ。ケンジくん達や役場の方々だってすごいすごいってお褒めになってたじゃないですか」
「ああ……アレは予想外だったよ」
影峰さんを救出した後。
俺は雪かきに参加していた皆に持てはやされた。
『すげえよ兄ちゃん! よくあんなところにいる影峰姉ちゃんを見っけたよなー。へへっ、紙芝居は下手くそだけど探し物は上手なんだな。今度はかくれんぼでもして遊ぼうぜ!』
『やったな零斗、今回の活躍は表彰もんだぜ。うっし、お前の功績を称えて今度飲みに行ったときは奢ってやるか!』
むずがゆいなんてものじゃ無い。
あんなに周りの人から明るい言葉をかけてもらったのは、何年振りか分からない。
人と接するのが特別下手な俺が、ようやく人の輪に入れたような感覚。
こんな気持ちは、口で説明するのも難しい。
身近なはずなのに決して触れられない、そんな温かな宝箱を開けたような、そんな心境とでも言えばいいのだろうか。
「えへへ、良かったですね零斗様」
「……うん」
「こんな感じで、良き縁を紡いでいけるといいですね。これから先も」
「そうだね……そのとおりだ」
現金なことだけれど。
今の俺は、もう少し人付き合いが上手くゆくように自分から動いてみないとな、と。小さな未来予想図を描き始めているようだった。
まあ、差しあたってやるべきことはすぐ隣にある。
青木先輩が口にしていた『キッカケ』。
この氷女らしくない明るくて温かい少女。
彼女は、感情のない俺に遣わされた大きな幸せの欠片なのか。
そんな風に思ってしまう時点で、俺は答えを得ていた。
「セツカ」
「はい」
「まだ、恩返しをするつもりでいる?」
「もちろんです。まだまだ恩返し足りないですから」
少しだけ夜の空を見上げる。
いつものように雪が降っていたが、その色はいつもより輝いて見えた。
「…………これから先、雪花町で暮らすつもりなのかな」
「ですねー。可能な限り零斗様のお傍にいるのが最重要ですので」
……ちらっ、ちらっと。
そんなあからさまなアピールも、表情豊かなセツカがやると可愛くて仕方がない。
万が一俺がやった日には可愛くない。確実に。
「あの……天下の往来で話すのもなんですが。……改めて、セツカを零斗様のお傍に、置いてはもらえないでしょうか…………?」
無理なら諦めます。
でも、お願いです。嫌いでなければ近くに居させてください。
そんな心情が、誤魔化しも隠しもせずに直接ぶつけてくるようなお願いだった。
いや違うか。これはもう告白だ。
上手くいくか失敗するかも分からない。どちらかと言えば失敗する可能性の方が多いと思っているであろう純真な少女から、すべての想いを込めた告白だった。
こんな感情のない、普通の人間らしくない俺に。
人間ではなく、伝説に登場する妖怪・氷女である彼女が、俺よりもずっと凄い力を持っている女の子が新雪のような気持ちを向けてくれている。
有り難くて。
嬉しくて。
涙は出ないけれど、もしかしなくても泣いてしまいそうだった。
「…………本当に、いいんだね?」
「はい」
何度目か分からない、迷いの全くない返事が戻ってくる。
こんな風になりたいと強く想った。
「セツカ」
「……は、はい」
「色々と大変なこともあると思う。人間と氷女の違いとか……キミは人間について多少知ってるようだけど、俺は氷女については伝承くらいしか知らないから」
「…………」
「きっと知らない内に苦労させてしまうし、苦労する。耐えられないと思ってしまう事も、あるかも」
でも。
キミの気持ちが変わってしまうかもしれない、その時までは。
「それでも良ければ……うちに来るかい」
「……あ」
「あ、いや、この言い方は違うな。なんて言えばいいか……キミのような子に対してこんな風に考えたことがなかったから。…………うん、言い直すよ」
キミがそうしてくれたように、俺もこの気持ちは隠さず伝えたい。
そう思えたから。
「セツカが嫌になって、俺から離れたくなるまで。どうかお願いです――」
――俺の傍にいてください。
「はい! 嫌になるぐらいお傍に居させて頂きます!! 嫌になるなんてあり得ないので、ずっとずーーーーっとです!!」
真っ白な雪のようで、無邪気な子供みたいな満面の笑み。
俺にはない、温かな感情の発露。
ぎゅっと握りしめてくれる手は、とてもポカポカしている。
ソレを向けられる相手が自分だと改めて思い知って。
しばしの間、気恥ずかしさに負けてロクな事が言えない状態のまま。
俺達はアパートに戻ってきた。
これから『恩返し』という名の不思議な同居が始まるのだ。
「ただいま」
「ッ。た、ただいまです」
「……お帰り」
「はいッ、お帰りなさいです」
――だが、その『恩返し』の本当の意味と。
それで何が変わり、何が始まるのか。
この時はまったく理解できていなかった事を。
俺は後で知ることになる。
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