≪最初の恩返し≫:寝床・食事・出発(前半)



 PiPiPiPiPi


「……うっ」


 目覚ましの電子音で目が覚める。

 あたたかい布団の中から朝の冷え切った外に出るのは毎度ながら億劫だが、起きないわけにもいかない。


「ん?」


 しかし、起き上がろうとした身体が動かなかった。

 なにやらそれなりに重い物で押さえつけられているような感じがする。もしや風邪でも引いてしまったのだろうか。


 そう考えながらおでこや首筋に手のひらを当てようとしたら、手も動かなかった。まさかそんなにも重症なのか。今日は病院が開いている日だったろうか。


 ――などと、若干あたふたしていたら。


「んぅぅ~~」


 どう考えても自分の物ではない声がした。

 ついでにぎゅううっと全身が締め付けられ、おまけとばかりに背中を中心にあっちこっちから柔らかいものが当たってくる。


 コレは、風邪じゃないな。

 真っ先に頭に浮かんだのは昨夜出会った、不思議な少女の姿だ。


「セツカ」

「ぅ」


 とても短い反応があったが起きる気配はない。

 まだ夢の中にいるのだとしたら起こすのは忍びないが、そうしないと俺が布団から出れない。そもそも彼女には別の寝床を用意したはずなんだが……一体全体いまの状況はどういうわけなのか。


 身体を揺すってみるが少女は起きない。

 寝返りを打ちながら脱出を試みようとしたが、出るべき方向はセツカ側のためちょっと難しい。


 続けて呼んでみる。


「セツカさん」

「ぅ」


「セツカ」

「ぅぅ……」


「セツカちゃん」

「……ふふ♪」


「起きてるんじゃないか」

「はい、セツカちゃんは起きてます。おはようございます、零斗様♪」


 狸寝入りはあっさり諦めたらしい。

 くすくすと楽しそうに小さな笑い声をあげながら、セツカはさらに密着してきた。


 ……とても対応に困る。

 たとえ感情が希薄だろうが表情が凍っていようが、俺も男なのだから。

 氷女だろうが何だろうが、とても可愛いセツカにすり寄られたら否が応でも反応しそうだ。身体と本能が。


 だが、ココはそれらをねじ伏せて問いただすべき場面――。

 そう思えば理性が勝る。


「まさか、俺を捕まえて食べようとしてる……わけじゃないよね」

「ふふっ♪ 零斗様は女に食べられるのをお望みですか? 一体どこからそんな発想が出てきたのでしょうか」

「伝説によれば、氷女は人里の人間をさらって喰らうんじゃないか」


 少しだけセツカの腕が緩んだので、身体をゴロリと反転させる。

 すぐ目の前にはセツカの美しい顔があった。ちょっとだけ頬を膨らませながら不満気で、少しだけ物悲しそうな……やや複雑な感情が入り混じった表情をしていたようだが、それも一瞬だ。


 すぐに彼女は、にぱっと目が覚めるような笑みを浮かべる。


「そうですよー、氷女は気にいった人間――特に好みの男を食べちゃうんです。がぶがぶです」


 可愛らしく口を開けながら、暖を求める猫のようにセツカが俺の胸にゴロゴロする。時折かぷかぷと歯を立てられたが、無論ちっとも痛くない。

 

 ……というか。

 痛い、痛くない以前に、出会ったばかりの女の子にこんな接し方をされる展開に寝ぼけた頭がとてもじゃないが追いつかなかった。

 まさかとは思うが、会ってから寝るまでの間に、こんな親密な関係を構築するような出来事があったとでもいうのか。

 俺はそれを忘れてる? いやいや、そんなはずはない。

 それとも氷女にとってはコレが一般的な接し方なのだろうか。まだそっちの方が納得もできるというものだが。


 ベリッと。張り付いていたセツカを引きはがして距離を開けてみる。


「あぅ、ご無体な~、もっとくっついていたいのに~」

「キミの里じゃこんな風にするのが当たり前なの?」

「いいえ? こんなにベッタリしている者はほとんど見受けません」


 ならなんでキミはやってるんだ……。


「ふふふっ、それは零斗様を想う心があるからこそです」

「セツカは心を読めるのか?」

「なんとなく感じるだけですよー。それも零斗様限定です。あなたの素敵な熱が私に小さな奇跡を起こしてるのです」


 冗談だろう。

 それとも俺はそんなにも分かりやすいとでもいうのか。

 ……こんなにも表情の失われた俺が? あり得ないことだ。


「零斗様? どうかなさいましたか?」

「いや……なんでもないよ。とりあえずセツカは、今後安易に俺の布団に潜り込まないようにしてくれ。いいね?」


 この時のセツカはニコニコしているだけで。

 「はい」とは言わなかった。


 本当にわかっているのだろうか……。

 懐疑的に思いながら掛け布団と毛布をめくる。


 ――雪のように白い、美しい裸体が目に入った。


 ふくよかな膨らみも腰のくびれも丸見え。

 セツカは、何故か着物を大きくはだけさせている半裸状態だった。


「…………ッ」

「こういうのお好きですか?」


 しなを作る悪戯娘の問いには、上手く答えられなかった。

 

 ◇◇◇



「……いいかい、セツカ。俺はこれでも自分が見聞きした物は信じる性質だ。キミが氷女であることは嘘だなんて思っちゃいない」

「それは何よりです♪」


 何が楽しいのか。セツカは朝食を用意している間、ずっと俺の布団の上で布団にくるまっていた。

 居心地が良い住処を見つけたハムスター……いや、イタチか? 小動物が顔をぴょこんと出したような状態になっていたのだが、テーブルの上にトーストと目玉焼き、それから我が家のカフェオレを置くと、小さな鼻をひくひくさせてテーブル前に飛び出してきた。


 当たり前だが、着物はちゃんと着ている。

 さっきのようにマズイ恰好にはなっていない。……それでも、開けたカーテンの向こうから差し込んでくる朝日に照らされただけのセツカは、この世の物とは思えないキラキラと輝くような美しさなのだが。


 この子、本当に美人だな……。


 少なからず見惚れてしまっていると、セツカが興味津々といった様子で皿に乗った朝食を見つめているのに気づいた。


「どうかした?」

「いえ、その……お恥ずかしながらこういった温かい物にあまり縁がない生活を送っていた物で。どんな物なのかなー……と」


「パンとタマゴを知らないって事?」

「タマゴは分かります。ただ、こんな形で実際に食べたことは……ないですね。パンはその、知ってはいても、ウチはお米派なのでこれまたご縁がなくて」


 失礼ながら、氷女の生活事情を垣間見たようでとても興味深かった。好奇心がくすぐられるとでもいうべきか。


 けど、今はそれよりも。


「好きに食べてみるといいさ、きっと美味しいよ」


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