≪序章≫③:あーぱーな氷女の恩返し


「…………で、キミは俺にお礼をするために来たと?」

「はい! お礼ではなく『お・ん・が・え・し』ですが!」


 不思議すぎる女の子・セツカとの衝撃的な出会いを果たした俺は、今はリビングのテーブルを挟んで座布団の上に正座している彼女と向かい合っていた。


 なんとも落ち着かない気持ちを抑える時間を作るように、用意しておいた湯気がのぼるマグカップに口を付ける。ミルクをたっぷりブレンドしたカフェオレは最早コーヒー牛乳のようだが、美味い上にほっと一息つくには最適だった。


 セツカの前にも同じ物が置いてあるが、もし彼女が本当にあの『氷女』だとするならば失敗だっただろうか。少なくとも、俺の中に温かいカフェオレを美味しくいただく氷女のイメージは無い。


 だって、身体が冷たい者がそんなもの飲んだら、溶けてしまいそうじゃないか。

 あるいは京都の『ぶぶ漬けでもどうどす?』と同様の意味合いがあっても不思議はない。


 ……現にセツカは、カフェオレに手をつけてないのだ。


「セツカさん」

「……」


 至って普通に呼んだつもりだったが、とても不満げな顔が出てきた。

 こんなにも表情がコロコロ変わるわかりやすい子は、中々お目にかかれない。またもや羨ましいと思いつつも、俺は言い直した。


「セツカちゃん」

「はい♪」


 すぐにまたパァァァと眩しいぐらいの笑みが表に出てきた。

 なんだろう、可愛すぎないだろうか。


「いくつか確認と質問をしてもいいかな」

「もちろんです! 幾らでもどうぞ!」


「じゃあ、キミの話をまとめると――――いや、その前に飲み物を入れ直そうか」

「入れ直すんですか?」

「あったかい飲み物、苦手なんじゃないかな」

「???」


 ものすごい「何故?」と言いたげなキョトン顔が披露された。


「いや、冷たい飲み物の方が良かったのかと思って。まだ一口も飲んでないから」

「…………ああ!? ご、誤解です! 別に氷女だから熱い物が苦手とか、身体が溶けちゃう~~なんて事はないですから!」

「そうなの?」

「そうです! すいません、これでもすごい緊張してまして……お気遣いありがとうございます頂きます! うっ!!?」


 セツカが慌てた様子で両手で持ったマグカップをグイッと煽る。すると、彼女はすぐさまマグカップをテーブルの上に戻して、反射的に口元を覆った。まるで毒でも飲んだかのようなリアクションだ。


「無理はダメだ。すぐに吐いて」


 内心では「無茶をするな! そんなのいいからすぐに吐き出して!! つうか吐けーーーー!!」ぐらいの気持ちなのだが、実際の口からは淡々とした抑揚のない言葉しか出てこない。


 ただ、俺の心配は杞憂だった。

 口元を抑えたセツカの表情は決して苦し気な物ではなく、むしろその逆だったから。


「お、おおお、美味しーーーーーー!! 何ですかこれ何ですかこれ!? 牛の乳? でもこの良い塩梅なほのかな苦みと自然にほっと一息ついてしまう温かみは牛の乳だけではとてもとても。零斗様! これは門外不出の秘伝の飲み物か何かで!?」

「…………いや、ブレンドはウチ流だけど、それはカフェオレだよ」

「かふぇおれ?」


「カフェオレ、知らない?」

「お恥ずかしながら、初めて飲みました」

「もしかしてコーヒーを飲んだことない?」

「あ、今ちょっと馬鹿にしてますね? コーヒーは飲んだことありますよ。別名ひーこーと呼ばれる、あのとんでもなく苦くて真っ黒な泥水です」


 コーヒー愛好家が聞いたら大激怒しそうな問題発言だ。

 というかひーこーって……今時そんな言い方する人はマイノリティなんじゃ。


 そんな事を考えている内に、セツカはすごい速さでカップを空にしてしまった。自分で飲み干しておきながらとても名残惜しそうにしている感じが初々しい。


「おかわり、いる?」

「いいんですか!?」


 こうして、結局はある意味入れ直しをすることになった。

 さっきまであった緊張感のようなものは、とうに消え去ってしまっている。


 これなら俺も、硬くならずに話が出来そうだ。


「セツカちゃん。改めてキミの話をまとめるとだ」

「んぐんぐ……は!? はい、なんでしょう!」


 大変美味しそうにカフェオレをごくごくしていたセツカが、居住まいをただす。


「キミは雪花町に伝わる氷女で、俺に恩返しするためにココまで来たと」

「ですです」


「つまり、俺はキミにそんな行動をさせるぐらいの恩を売ったことがあるんだね」

「はい♪ それはもうこの身を全て捧げても余りあるほどに」


 どうしたものか。

 自分でまとめておいてなんだが、ひとつぐらいは訂正か否定が来るだろうと思っていたのにその気配が全くない。

 ならば、セツカの話に嘘偽りが無く、すべてが真実ということになる。コレが胡散臭い詐欺師が相手であれば幾らでも疑う余地があるんだが……。


「……じ~」

「えへ、えへへ♪」


 心の中で俺は頭を抱えた。

 とてもじゃないが、目の前にいる少女と人を騙したりするような行為が結びつかない。演技という線もあるか? けれどコレが演技だとすれば、完全にその道のプロだろう。

 少なくとも狡猾さとは無縁だ、この子は。


「どうやら色々とお疑いのようですが、私は詐欺師でも役者でもないですよ~」

「……っ」


 驚いた。

 まるで心を読んだかのように言い当ててきたから。

 勘が鋭いのだろうか。


「お気になさらず。そう思うのも無理がありませんから」

「…………なあ、セツカ」

「呼び捨てもいいものですね。距離が近い感じが素敵です!」

「……」

「ああ、すいません、何でしょうか?」


「キミは……キミが伝説の氷女だと証明することが出来るか?」


 コレが可能であるのならば、俺の心配事の半分以上は意味がなくなる。

 無駄に駆け引きじみた事をする必要もない。だから踏み込んでみた。

 ただ、これは相手を未だ疑っていると宣言したも同然だろう。当然のようにセツカが気を悪くしてしまうかもしれない。


 そんな中途半端な気持ちと態度は、けれどセツカにとっては大したものではなかった。彼女は「よっしゃ任せろい」と相槌を打つように、気前よく頷いて見せる。


「では、こんなのでどうでしょうか」


 なんでもないような自然な動きで、セツカが半分程カフェオレが残っていた自分のマグカップに手をかざす。


「ん」


 するとセツカの手のひらから青白いオーラのような物が流れていき――湯気を上げていたカップの外周が徐々に凍りついていったではないか。

 静かなリビングに、冷気と氷によるピキピキという音が鳴る。十秒も立たない内にマグカップは氷のオブジェのようになってしまった。


 手品なんかじゃない。

 これはもう、真の意味で魔法や妖術の類だ。

 そう確信できるような未知の技を、俺は目の当たりにしたのだ。


「……すごいな」

「えへへ~そんな~♪ こんなの朝飯前ですよ~♪」

「コレが伝説の氷女が使えるっていう、冷気を操る力なんだ」


 硬い氷に包まれたコップは、いまや冷気を漂わせる小さな氷山のようになっている。少し触ってみた感触も冷たい氷そのものだし、持ち上げて動かしてみても溶けることはない。中のカフェオレもすっかり固体になっているようだ。


「そんな仰々しいものじゃ無いです。氷女だったら小さな物を凍らせるぐらい誰でも訳ないですし」


「……氷女って、たくさんいるの?」

「あれ、言いませんでしたっけ? たくさん……って事もないですけど、お山にはそれなりにいますよ」


 あっけらかんとセツカは言い放つが、それは凄い事じゃないか。

 伝説の氷女は実在する。それどころか、それなりに数がいるときた。


 どうしたものか。氷女の伝説を子供の頃から聞かされていた身としては、異世界に繋がる扉を見つけたかのように興奮の炎が燃え上がるかのような心地だ。


「むぅ、零斗さん。もしかしなくても興奮してらっしゃいますね? 氷女の里に行けたら男一人でハーレムだひゃっほいなんて思ってますか!」

「それはないかな」

「本当ですか? セツカは嘘があまり好きではないですよ?」

「奇遇だね、俺も嘘は好きじゃないよ」

 

「えへへ、お揃いで嬉しいです♪ あ、でもでも、お里は基本的に人間の立ち入り厳禁なので気をつけましょうね。可愛い女の子を求めて探検なんて愚の骨頂ですよ?」

「キミは、俺が極度の女好きか何かと勘違いしてないか」


「零斗さんが、というより。人里の男の人は皆そうなんじゃないですか? おっぱいは大きく、太ももはムチッと、たくさん甘やかされながら「よしよし♪」してもらうのがお好きなんですよね」

「……その知識はどこから?」

「恩返しをするにあたって、セツカは人里についてたくさん勉強しました!」

「本や資料で?」

「それもありますが、主にネットやテレビです。最新トレンドですね」


 何だろう。神秘的な氷女が、途端に俗っぽくなってしまった感が……。

 しかもこれ、得た知識に変な偏りがある気がしてならない。男の好みは自身ありげなのに、カフェオレは知らなかったし……。


 ……いや待てよ。

 この流れは不穏な空気がするぞ。


「セツカ。念のために先に聞きたいんだけど」

「なんなりと♪」

「キミは何をどうやって、俺に恩返しをするつもりなんだい? それからセツカは俺に恩があるっていうけど、俺はキミと会ったことがないはずだ」


 普通に考えて、お山に住んでいる(?)氷女がそう易々と姿を見せるとは思いにくい。もちろん何らかの正体を隠す術も考えられるが、このセツカという子はこんなにも堂々と存在しているわけで。


「いいえ、零斗様は私と会ったことがあります! それは確実です! 私の脳裏には、あの日あの時、救われたときの記憶が昨日のことのように焼き付いていますので」


 ですが、とセツカが少しだけ言いよどむ。


「人間の感覚だと、随分前のことですから。覚えていないのも無理はないと存じます……。ただそれでも、私はどうしても御恩をお返ししたかったのです」


 ずいぶん前、だって?


 思い当たる節が―ダシュないわけでもない。

 ただソレは俺にとって思い出すのがとても難しい記憶だったから。

 今は後回しだ。


 其れよりも。


「零斗様」


 俺の横に回り込んで三つ指をついているセツカの恩返しが何を意味するのか。それを理解しなければならない。


「どうかセツカに恩返しをさせてください! そのためなら私は全身全霊でどんなことにも当たる所存です!」

「……つまり?」

「つまりは、その……」


 何故、セツカはこんなにも照れているのか。

 それが分からない。

 だが、疑問はすぐに晴れた。


 彼女の衝撃的な発言で。



「ずっと前からお慕い申しておりました! どうか! どうかセツカを零斗様のお傍においてくださいませ!!」


 

 ◇◇◇


 瞬間、周りの時間が凍りついたかのようだった。

 え? なんて? 今、この子はなんと言ったのだろうか。

 いけない、予想できないものが多すぎて頭が混乱している。


「セツカ?」

「はい」


「今、なんて?」

「好きです! 付き合ってください!」


 いや、それさっきと違うじゃないか。


「どうせならと今風に言い換えてみました!」

「……そうか」


 言葉は違えど、言いたいことは変わらないらしい。


「好きです、大好きです。たとえ零斗様がマニアックな性癖をお持ちのド畜生野郎だったとしても、この身を賭してご満足いただけるようご奉仕を――」

「待て待て」


 一見淡々と止めているようだが、心情的には力強く『待て』を百回言っても足りないぞ。


「それが氷女流の恩返しなのかい? 恩に対しては全力で応えろとか、助けられたからにはその者を生涯愛せとかいう伝統があるとでも?」

「強いて言うなら、セツカの流儀です」


 大きい、大きすぎる。

 とてもじゃないが気軽に受け取るには返しがデカすぎだ。

 こんな見目麗しい可愛い子(氷女)が純粋な愛情を向けてくるなんて、でたらめすぎやしないか。


「……………………」

「零斗様が、そんなに真剣にお悩みになってくれるなんて。感激です!」


 うん。たぶん、セツカが想像してるものと悩みのポイントは大きく異なるだろうけどね。


「…………~~~~っ」

「あの……ご迷惑でしたら断っていただいても……」


 そんな飼い主を待つ子犬のような目を向けられて、断る度胸なんて俺にはない。されど「じゃあ頼む」なんて簡単には言えないわけで……クッ、悩ましい。


 こんなに悩んだのはいつ以来だろうか。

 ……うぅ、いい答えなんてすぐ出るわけないじゃないか。

 でも、何だろう。

 俺は、この子に離れてほしくないと思ってしまっている。恩返しがどうとか以前に、傍にいて欲しいと、胸の内から湧き上がってくる気持ちがある。


 それは、久しく感じることのなかった感情の波だった。

 俺の中でナニカが叫んでいるのだ。


「離れるな」と。


 その結果。

 短くも濃厚な葛藤を何度も繰り返して弾きだし、しぼりだした答えは、なんとも微妙な物で。


「……済まないけど、時間をもらえないか」


 もっと悩む時間がほしいという、格好のつかない物だった。

 そしてそんな普通なら嫌われそうな答えに対しても、彼女は太陽のような笑みを浮かべてこう返してくれたのだ。


「もちろんです! いつでもお好きな時に答えをくださいませ♡」


 その心遣いに、情けなくも俺は安堵してしまった。

 こうハッキリと分かるようなものも久しぶりだった。


 ……が、それも直後に繰り出される言葉までの短い間に過ぎない。


「でわでわ、差しあたりこれからはココでお世話になります。あの、その……はしたないと思われるかもしれませんが、夜のお相手が必要であればいつでもおっしゃってくださいね」



「えっ」



 まったく予想もしてなかった爆弾発言に、心の底から驚いた。

 だが、その感情は、口から吐き出された時には吹けば飛ぶような、静かに降る小雪にすら一瞬で埋もれてしまうような小さなものになっていたのであった。


 ◇◇◇

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