≪序章≫②:無表情で生きづらい青年

「それでは、この雪花町に伝わる氷女伝説の――始まり始まり」

「わーーパチパチパチー!」


 児童館の一角。

 カーペットに直座りしている子供達の拍手を前にしながら、使い古されている紙芝居を読み進めていく。

 一般的な町役場の仕事としては異色だとだろうが、若手も人手も少ない役場――とりわけ「困った人がいれば助ける」がモットーの通称・なんでも課の一員としては、よくある業務の一つだった。


 俺が子供だった頃もこの話はよく読み聞かされたもので、その内容は成人した後になっても割と覚えていた。コレも一種の語り継ぐべき伝統という物なのだろう。


 手を抜くことなんてせずに伝統の物語を読み聞かせていく。


 厚い窓の向こうからはビュービューと風の音が聞こえ、ますます外の景色を白一色に染めていく中、子供達が退屈しないように素人ながらに全力を尽くした。


 氷女とは雪花町における妖怪・雪女の事。

 曰く、彼女らはとんでもない美人揃いで、気に入った人間を簡単に骨抜きにしてしまう。もし力で対抗しようとしても、氷女が使う不思議な冷気の前には人間などひとたまりもない。

 氷女に見初められた者は、彼女たちが暮らすお山の住処に連れて行かれ――二度と帰ってくることはなかった。


 しかし、そんな話を聞きつけた力自慢の英雄が氷女に困らされている里を訪れて――――。


 と、そこまで読み進めたところで。


「ふわあ~~ッ」


 男の子が一人、大きなあくびをした。

 退屈でしょうがない。そんな素直な気持ちが大きく現れた証拠だ。

 全体を見まわしてみれば、その男の子だけではなく子供達は誰も彼もが似たようなものだった。


 ……また、こうなるか。

 原因は分かっている。俺のせいだ。


 子供達の後ろの方で難しい顔をしている児童館のスタッフ。それと俺を壇上に送りだしてくれた役場の先輩。

 不甲斐ない事ではあるが、今回はココでおしまいのようだ。


 一分後。

 キリのいいところでオレと先輩がバトンタッチする。

 その後は、あくびをする子供はいなかった。


 ◇◇◇


「なぁ、零斗。もう少しどうにかなんねえか?」

「……すみません」


 児童館から町役場に戻った後。

 青木先輩の言葉には、謝る事しかできなかった。


「とにもかくにもお前は硬いし冷えてる! 冷えすぎだ! まるで凍ってんのかってぐらいに元気も動きもねえ! それじゃ子供達だって退屈に決まってんだろ。もっとこう、身振り手振りも活用して、声に抑揚もつけるとかだな」

「……はい」


 この返事をした時点で、既に俺は青木先輩の助言がまったく応用できちゃいない。言いたい事は、教えようとしている事は理解できているはずなのに、とにかく上手くできないのだ。


「いや……悪い。これじゃオレが一方的に押し付けちまってるだけだな。誰にだって超不得意な物のひとつやふたつ、あるもんだ」

「…………すみません」

「そう頭を下げるなって! こっちがブルーになっちまうよ」

「けど、上手くできないのは俺ですから」


「うーん、なんだろな。零斗は別に不真面目じゃないし、やる気がまったく無いって感じにも見えん。だけど、とにかく……硬いんだよな。なんかこう無機質っていうか、特に感情が見えねえというか」


 青木先輩は強引でオラオラしてる面もあるが、決して悪い人ではない。

 今日みたいな失敗は今回に限った事じゃない。誤魔化したりしないのであれば失敗ばかりで最早お荷物と化しつつある俺に根気よく付き合ってくれている。


 その付き合いの良さに応えたい。

 出来ないのはとても歯がゆい。


 だというのに、この顔はぴくりとも動かない無表情のまま。

 窓に映っている俺は、さぞ存在感が希薄な幽鬼のようになっているのだろう。昔はこんなじゃなかったはずだ。

 すべては子供の頃に起きた『あの事件』のせいと医者は説明していたが、本当はよくわかっていない。


 原因不明の表情喪失と感情の希薄。

 認定も理解も難しい後遺症。


 それは今もずっと、俺を苦しめている。


「あんまり気にしすぎるなよ。鬱になったら大変だぞ」

「なりますかね、鬱に」


 そもそも鬱になるような気持ちが無くなりかけてるというのに。

 そんな俺の思考を知らない先輩は「やれやれ」と首を振った。また不必要に呆れさせてしまったようだ、申し訳ない。


「心の病気はいつ何時なるか分んねえからな。俺だってどうなるかわかんねえさ。祭りに合わせて仕事もどんどん忙しくなってくし……」

「青木先輩は大丈夫ですよ」

「バカ垂れ、お前に言われても安心できないっつーの」


 苦笑する先輩。

 どことなく愛嬌があるので、憎めない。


「まあ、アレだ! 案外キッカケひとつで何もかもが激変することもあるってな! こう見えてオレも昔はかなーりヤンチャしてたんだけどよ、家庭を持つようになったら随分丸くなったもんだ」


 それはイメージ通り過ぎますね、とは言わなかった。

 ヤンチャうんぬんはともかく、青木先輩が愛妻家なのは町役場の人間なら皆が知っている。ココに勤めて日が浅い俺ですら、何度同僚の呆れ気味な溜息を聞いたから分からない。


「おっと、引き留めて悪かったな。もう今日は帰っていいぞ」

「いえ、この後は残って報告書や資料を作るつもりなので」

「……真面目なヤツ。じゃあ、俺は先に上がらせてもらうからな」


 お疲れさん。

 そう告げて帰宅していく青木先輩の背中を見送る。


 それから報告書を作っている間に、段々となんでも課の職員が減っていく。

 中には事務仕事をしている俺に対して声をかけてくれる人もいて、


「お疲れ様、拝山くん。あまり無理をしないようにね」

「……ありがとうございます、お疲れ様です」

 

 至って普通に挨拶を交わしたはずなのだが、その女性職員にはちょっと残念そうな表情をされてしまった。

 その理由は、自販機に温かい飲み物を買いに行こうとした時にわかってしまった。


「あんたもよくやるわね。なんでも課の拝山って新人くんさ、すっごい無愛想じゃない。感情が無さすぎてヤな感じだし、人付き合いが超下手すぎて相談しにきた町の人が癇癪起こしてた時もある。苦手を通り越して関わりたくないタイプじゃない?」

「悪い人じゃないのよ。挨拶したら返してくれるし……まあ、あなたの気持ちも分かるけど。それでも同じ職場なんだから」


 ……ほんと申し訳ない。

 これまで幾度も似たような体験をしてきた身としては、心の中で謝ることぐらいが関の山だ。ここで正面切って謝罪したり、こうなった理由を説明したところで、上手く行ったことは一度足りとて無いのだから。


 都会に居た時もひどい物だった。

 生まれ故郷の町に戻ってくれば、あるいは何かが変わるのではないか。

 そう考えて戻ってきたものの、今のところ変化があったわけじゃない。


 ――青木先輩。俺も、キッカケが欲しいです。

 ひとりごちながら、女性職員達がいなくなるのを待ってから温かいコーンポタージュを買って席に戻る。


 残業は思ったよりも時間がかかってしまった。

 帰る頃には吹雪は収まっていたものの。真っ黒な空と只静かに降り積もる雪とが合わさり、どこか灰色染みた寂しげな雪の世界だけがどこまでも広がっているような、そんな真夜中になっていて。


 まさか、氷女を名乗るとんでもない少女が待っているとは思いもしなかった。


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