氷の女は、無表情青年の熱に溶けた
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≪序章≫:待ち構えていたのは明るすぎる氷女
道の真ん中で。
アリクイさんのように両手を広げている少女が待ち構えていた。
今日も雪花町は、昔と変わらずにしんしんと雪が降っている。
この町の冬は長い。
いつまでもどこまでも、道も、家も、町を囲む山々まで濃いめの雪化粧。それが俺が暮らしている雪花町の日常的な風景だ。
だが、目の前のものは完全に非日常だった。
仕事を終えて役場から帰る途中。住んでいるアパートに続く車がなんとか通れる程度の、塀に挟まれた小道。
踏み固められてなお終わる事なく降り積もる雪景色の中心で、その無垢さと存在感が際立つような、白い着物姿の女の子が両手を広げて立っているのだ。
若い。
高校生と言われれば十分信じられる。
とても可愛い子だ。
何故彼女は両手を広げているんだろうか。
レッサーパンダの威嚇ポーズを真似している――わけではなさそうだ。
長い髪は外灯の光と雪の反射によるものか、青みがかった白と銀のグラデーションに見える。古風な純白の着物と合わさって、俺の脳裏にはこの土地に伝わる恐ろしい『氷女』の伝説が蘇っていた。
雪降り積もる日に現れ、人間をとり殺す妖怪の類。その姿は見るものすべてを引き付けるほどに美しく、男である限りその魅力に抗うこともできないという。
ああ。
正面にいる彼女にピッタリだ。
……そう感じたのは、うつむき加減だったその子の顔が見えるまでだった。
「ふふふっ♪」
少女は、めちゃくちゃイイ笑顔だった。
それこそ太陽がそこに出てきたかの如きまばゆさだ。
こんな表情が出来る子が伝説の氷女のはずがない! そう断言しそうだ。
……同時に、その笑い顔がひどく羨ましい。
マフラー、帽子、インナーにふかふかのジャケット等。
冬の寒さから身を守るために全身厚着で寒さを防いでいる俺とは対照的に、着物だけのとても寒そうな恰好だというのに……彼女はニコニコし続けている。全身から嬉しいオーラが迸っているのが目視できそうだ。
一体何がそんなに嬉しいんだろうか。
その理由を考えそうになったところで、俺は「はっ」と気づいた。違う、今すべきはそうじゃない。
いま優先されるべきは、真夜中の雪道でロクな防寒対策もせずに着物ひとつでいる彼女を心配することだ。
「キミ」
「は、はい! なんでしょうか!?」
駆け足気味に近づきながら声をかけると、女の子はやや焦った様子で反応してくれた。俺に怯えて逃げてしまう事はなかったので、まずは一安心だ。
「そんな恰好で何をしてるんだ。寒いだろう?」
「全然へっちゃらです。私、寒さに強いので」
ちなみに現在の気温は当たり前のようにマイナス域に突入している。
寒さに強いとか、そんなものでどうにかなるレベルではない。
「誰かにそう言えって強制されてたりは」
「いいえ?」
「まさか、過酷な罰ゲームを実行しているわけじゃないよね」
「罰……? それはありません。だってこんなの罰になりませんから」
けらけらと可笑しそうに笑う彼女と相対していると、まるで俺の方が常識知らずのおかしい人のような気持ちになってきてしまう。
「家はどこ?」
ひとまず自分が着ていたモコモコのジャケットを少女に羽織らせる。一気に強烈な冷気に襲われたが、俺も比較的寒さに強い方なので長時間でなければ耐えられる。
……が、何故か俺の上着を着て温まっているはずの少女が――ぷるぷると小刻みに震えていた。
「やっぱり我慢してたのか。そんな薄着じゃ震えるのは当たり前だよ」
「あ、いや、こ、コレはその……寒いから震えているわけじゃなくて」
「ん?」
「あ、あなたのくれた上着が……あ、あったかくて! すっごいポカポカして……あうぅ、やだもうこんなの、恥ずかしい。ああでも、うれしいぃぃ~~~」
「…………」
どうしよう。
この子、ちょっと変だ。
もしや寒さで限界突破するとアレな方向にトリップするのだろうか。あまり詳しいわけではないけれど、極寒にさらされた人間がいきなり服を全部脱ぎだすなんて話もあった気がする。
だとしたら、とてもマズイ。
早く暖かいところに連れて行かなくては、命に関わるかもしれない。
――などと、こんな思考をしてしまう時点で俺自身も相当慌てていたというかテンパッていたのだろう。
それでもこの『顔』は相変わらずまったく動かないのだが。
「怪しまれるのは承知の上だけど、そこのアパートが俺の家だから一旦そっちに移動しよう」
「ええ!? そんな、いきなり殿方のお部屋に入れるんですか!!? スタートダッシュが過ぎないでしょうか! いや、私としては望むところと言いますか、これ以上ない幸福なんですけれども!」
……なにやらトンチキな言葉が飛び交っているが、移動することに拒否は無いらしい。ならばと、半ば無意識に引っ張るように美しい少女のこれまた綺麗な手を握る。
「にゃ!!?」
ボン! と噴火でもしたかのように、少女の頭の上から煙が出た。
その顔はとんでもなく恥ずかしい目に遭ったかのように真っ赤っかだ。
そのせいか分からないが、繋いだ手は温かいを通り越して熱かった。
なんだろう、この子は体温がとても高いのか? だとしても、見た感じ頭の上や肩に雪が積もるぐらいには外にいたはずなのだから、身体が冷えてるのが自然なはずなのに……。
いや、そんなことは後回しだ。
人命救助は何にも優先されるべき。それが救急隊勤めの父の教えのひとつ。
「こっちだ」
「えへ、えへへへへ♪」
何がそんなに嬉しいのか。見てて引きそうな程に彼女はにやけっぱなし。これは本気で不味いかもしれないと心配になりつつ、けれど雪と氷で足を滑らせないにしながらアパートの階段を昇っていく。
「二階の部屋。すぐそこだから」
「一番端っこのお部屋ですよね」
彼女の言葉は、玄関ドアを開けて中に入ったタイミングで発せられたものだった。
「……え?」
「拝山零斗って、あなたのお名前があったのですぐにわかりました♪」
当然、既に家の中に入ってしまっている。
コレがもっと早い段階で耳に届いていれば、あるいは俺が彼女を中に入れない可能性もあったかもしれない。
だが、入れたものは入れてしまったもので。
しかも自分で引っ張ってきたわけなのだから。ひとりぼっちで雪の日に外にいた彼女を心配しておきながら、ちょっと嫌な予感がしたからといって突然態度を変えて追い出すなんて真似はしづらい。白状者にも程がある。
なので、とりあえず俺は暗い自宅の照明をつけて。
「なんで……俺の名前を知ってるんだ?」
そう尋ねた。
すると、俺が強引に繋いだ手を愛おしそうに撫でていた彼女がニッコリ微笑む。
そこに邪気は微塵もない。
ぬくもりにあふれた子供のような笑顔で、今この時がうれしくてたまらないといったご様子だ。
「それはですねぇ……私があなたに会いに来たからですよ零斗様♪」
「……さま?」
表情筋は微塵も反応していないが、様付けなんて高貴な人がされるような呼ばれ方の初体験に背中がぞわぞわする。
そんな俺の心中を知ってか知らずか。なにひとつおかしい事なんて無いかのように、女の子は両手を広げて俺の胸の中に飛び込んできた。
それは、外国人でもびっくりするような熱烈なハグだった。
おそらく相当スタイルが良いであろう少女の全身が、あますことなく抱きしめに来て、俺は凍りついたかのようにフリーズしてしまう。
「ああ、本当にお会いしとうございました。こんなに上手く再会できるなんて、雪の神様に感謝を!」
「…………な、なにを」
「改めて名乗らせていただきます。私は――」
潤んだ瞳で見上げてくる彼女と目が遭った瞬間。わずかではあるが、ひんやりとしたものが肌の上を滑っていった。古いアパートの隙間風のようなソレは、しかしどこからか侵入してきた外の冷気などではなく、
「氷女のセツカ、と申します。この度は、この身に受けたありあまる御恩をお返しするために零斗様の下へと参りました♪」
彼女の肌から流れてきた。
目に見える、仄かに青白い不思議な光だった。
「コオリメノ、セツカ……さん? すごい変わった苗字だ」
「やだ零斗様ったら♪ コオリメノは苗字ではありません。なので気にせず、セツカとお呼びください。さん付けも不要です。……そ、その、どうしても何か付けるのであれば『ちゃん』なんて、どうでしょうか? い、言え、別にそう呼んでみて欲しいなんてことではなくてですね!」
ものすごくそう呼んでほしそうにしている女の子――もといセツカ。
いかん頭が凍えたかのようにうまく働かない。こういう場合は、どうするのがいいのだろうか。
こんな風に感情の揺れが起こるのも、小さいとはいえ久しぶりではないか。
「その……セツカは――いや、セツカちゃんは……」
呼び捨てにした瞬間、とても寂しそうな空気を醸し出されたので言い直す。
ただそれだけでパァァとひまわりのような花が咲いた。
「俺に会いに来たと?」
何やら色々言っていたようだが、つまりはそういう事か。
そんな俺のなんとも歯切れの悪い確認に、セツカは嫌な顔ひとつせずに応えた。
「はい♪ 私――セツカは、零斗様に恩返しをするために来たのです。どうぞ、これからはなんなりとお申し付けくださいませ♡」
さながら、ずっと遠くにいた愛しい恋人に接するかのように。
セツカは改めて身体いっぱいを使って、ぎゅうううううと抱きしめてきてくれた。
身体が熱くなる。とても。
冷静に考えれば会ったこともない初対面の女の子――超美人とはいえ――真冬の空の下、着物ひとつでいて、寒さを感じないとしか思えないような子から胸に飛び込まれれば何らかの動揺や拒否感が湧いてきてもおかしくないはずだ。
誰もが虜になるような美人から嬉しそうに全力ハグされるなんて経験は、当然のように無い。
そのせいなのか。はたまたやっぱり俺自身がどこか普通の人とズレているのか。
コレも感情喪失の影響?
だとすれば……どうしてこんなにも、大切な、とても大切なものが戻ってきたかのような感覚に囚われているのか。
相変わらずフリーズしている最中。
頭の方は、
――氷女の伝説に、恩返しの逸話なんてあったかな。
――鶴の恩返しならぬ……氷女の恩返し、的な?
そんなことをぼんやり考えながら、この素っ頓狂な現実を受け入れる準備を進めていた。
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