第4話 思春期の幻影
中学時代がまるで、小学生の高学年くらいの感覚だったのかも知れない。
異性の女の子、特にクラスの女の子は、小学生の頃から知っている人がほとんどなので、新鮮さというところはなかった。
ただ、制服に身を包んでいると、小学生の頃には、あまり可愛いと思わなかった子まで、可愛らしく見えるのだった。
それが、却って自分がおかしいのではないかと思わせ、余計に、異性に対して興味がない世界に追い込んだのかも知れない。
中学二年生の頃、何かムラムラした感覚になったことがあった。
小学生の頃から気になっていた女の子が、一人でいたことがあった時だ。
その子は同性からも人気があるので、いつもそばには、友達でいっぱいだった記憶しかなかった。
その子が、ちょうと、友達と待ち合わせをしている時だったのか、それとも、誰かを待っている時だったのか、正直分からなかったが、その様子を見ていて、それまでに感じたことのない、
「胸の痛み」
のようなものがあった。
何やら、ムズムズするというのか、今でいうところの、
「キュンとする」
という感覚だといっていいかも知れない。
もちろん、
「キュンとする」
という言葉、似たような言葉はあったのかも知れないが、ハッキリとした形で、
「流行った」
という感じではない。
それを思うと、
「流行するというのは、言葉だけではなく、その時のシチュエーションが、ある意味時代にマッチしたものなのかも知れない」
と感じるようになった。
「流行というのは、数十年単位で繰り返す」
というが、ある程度、出切ってしまったところで、元のところに戻ってくるのではないかと思うのだった。
そういう意味で、今流行っているものが、80年代のものが流行っているということであれば、30年以上も前のことだ。ある意味、吾郎が小学生時代の頃に流行っていたものが、今頃また流行るということなのだろう。
「そういえば、昭和の最期の頃に映画化された続編が、最近になってまた映画になるというのが結構あるって聞いたぞ」
という話を聞いた。
「そうそう、主演の人は今では、押しも押されぬ大スターだけど、ちょうど、30年前のその映画の時がデビュー作だったんじゃないかな?」
ということだった。
それは、一つの例でしかないが、そういう話を聞くと、
「ブームって繰り返すんだよな」
と、改めて感じるのだった。
そんなことを考えていると、大人になってから、急に中学時代、高校時代のことを思い出すようになった。
意外と大学の頃のことよりも、高校の時のことを思い出す。それも、異性が気になり始めた時のことをだった。
その時は、異性が気になってはいるくせに、
「これが思春期なんだ」
という感覚はなかった。
それよりも、感じたこととして、
「他の高校の女子の制服ってかわいいな」
と思ったことだった。
「俺って変態なのかな?」
と思ったりもしたが、本当にそうなのだろうか?
見る目のその対象が、女の子ではなく、着ている制服に目が行ったのだ。
それが、
「中学時代まで同じクラスだった女の子に対して興味を示さなかった自分の言い訳として、それを征服のせいにしようという意図でもあったのだろうか?」
と感じた。
ただ、言い訳をしなければ、いけないわけでもなく、ただ、
「中学時代に感じなかったのは、晩生だからだ、という理由で片付けていいものだろうか?」
と思ったからだと自分で感じたからだ。
ついつい言い訳をしてしまいそうになるのは、吾郎の性格的なもので、言い訳をしないと、いつまでも、ねちねちと言われてしまうという思いが強く頭にのこっているからだったのだ。
ただ、一度大学時代の夢を見たことがあった。
その時見た夢というのは、かなりリアルな夢で、まわりの友達は皆大学を卒業していて、社会人になっていた。ただ、自分が本当に卒業できたのかということが、心に引っかかってしまっていたようだった。
自分も間違いなく、卒業して、新しい会社で仕事もしていた。
それなのに、自分だけが、大学の図書館で勉強している姿が夢の中で見られたのだ。
四年生の時、皆単位を取って卒業が決まっているのに、自分だけまだ取り残した単位があり、一人勉強に勤しんでいる時の感覚だった。
その少し前までは、皆と同じように就職活動をしていた。
皆も次第に就職が決まっていって、吾郎も何とか就職先が決まったので、同じように喜んだが、自分だけ、卒業するために、単位を取るということが残っていると思うと、急に寂しくなってくるのだった。
だから、就職活動に邁進している時は、それほど孤独ではなかった。
「俺だけではないんだ。皆一緒なんだ」
と思うからだったが、実際に、就職が決まってくると、
「俺だけ、単位の取得に邁進しないといけないんだ」
と思うと、これほどの寂しさもなかった。
その時の寂しさが、夢の中でカオスとなって襲ってくるのだろう。
自分は頭の中で卒業できているのが分かっているくせに、どうしてまた図書館で勉強しているのか?
夢の中では、
「まだ卒業できていないんだ」
という思いが強く残り、何度も同じ夢を見てしまう。
その夢を見る時の共通性は自分でも分からないが、きっと何か共通性があるに違いないのだ。
それが、その夢を見ている時を現代とした時の現実に関係があるのだろうが、目が覚めるにしたがって、夢の中で何を考えていたのかということを、すっかり忘れ去ってしまっているようだった。
「そもそも、そういうのを夢というのではないだろうか?」
と考える。
「夢というのは、目が覚める寸前の数秒間くらいで見るものだ」
という話を聞いたことがあった。
どんなに長い話でも、数秒に凝縮されるということは、実際に、夢の濃い、薄いという概念がないのかも知れない。
そんな風に考えると、
「夢というのは、次元が違うものだ」
といえるのではないだろうか?
ということを考えていると、
「目が覚めるにしたがって忘れていく」
というのも分かる気がする。
前述の、
「記憶と、意識」
という感覚も、夢と密接に絡んでいると思っていたので、ここで結びついてくることになるのだろう。
夢を見ている時に、卒業できていないという錯覚が、こびりついている。いや、
「卒業したんだ」
という意識の方が強く思っているので、夢の中では、学校の図書室で勉強している自分に違和感がない。
しかも、大学時代の同級生は、皆就職してるので、スーツ姿で自分の前にいても、違和感がない。
この二つの違和感のなさから、自分で導き出した答えは、
「やっぱり、卒業できずに、留年したのだ」
という思いだった。
留年したということを、当たり前と捉え、卒業できたことが、まるで、
「夢だった」
ということを、夢の中で感じるという、不可解な感覚になる。
しかも、卒業できなかった自分がいるくせに、別の時には、会社で仕事をしている自分も出てくる。
それも違和感がない。なぜなら、本当に卒業して、会社で仕事をしているからだ。
だから、仕事内容も、現実にあるわけで、何をしているか分からないわけではない。
しかし、あくまでも夢の中のことなので、どんなに真実だと思うことでも、夢は夢でしかないのだ。
そのくせ、悪いことが重なる感覚になってしまい、一度卒業できなかったという感覚が悪い方に影響するのだった。
「今年こそ、卒業するぞ」
と意気込み、四年生の時のように、就活しなから、授業にも積極的に出ていた。その時のことを思い出せばいいのだが、夢の中では、
「卒業できなかった」
と思っているのだ。
となると、どんなに頑張っても、
「またダメではないか?」
という、負の連鎖が働くのだ。
ちゃんと卒業して、就職もできた。自分でも、
「よくやった」
と想っているのだが、今までに、ここまでの挫折を味わったことはなかった。
確かに高校時代、
「中の下だ」
ということで、ショックを受けた時期があったが、それでも、まだ中の下だった。
大学四年生にもなって単位を残していて、さらに成績は後ろから数えてすぐのところにいるのだから、本当に底辺だった。
それを思い出すと、受験に失敗もしたわけでもないし、一応、成績はあまりよくはなかったが、大学も現役で入学できた。
そもそも入学した高校が進学校で、その中で少し落ちこぼれただけなので、その気で勉強し、高校入試の時のように、志望校の背伸びさえしなければ、何とかなるということを、高校時代に学んだのだった。
だが、大学の卒業の時につまずくとは思わなかった。
二年生の時、アルバイトや部活で、勉強はロクにしなかったということと、情報収集を完全に怠っていたことで、まわりに聞けば、どんな問題が出るかということまで情報として回っていたので、そこだけ勉強すればいいという科目も多かった。
それを知らずに、まともに普通の勉強方法でやっていて、しかも、その方法が正攻法だったのだ。
「大学生には大学生なりの勉強法があり、答え方も、大学生として決まった答え方があるんだ」
ということを聞かされた時、
「ああ、俺はなんと甘かったんだ」
と感じた。
学校側も、そんなことは百も承知で、先生によっては、講義中に、試験問題を公開する人もいるくらいだった。
いくら、友達とはいえ、こちらから聞かないと、その情報が教えてくれないだろう。なぜなら、
「皆知ってることだからな」
と言われればそれまでであり、特に、論述式の回答は、
「模範解答があるので、その通りに覚えていって、適当に自分の言葉に変えて答えればそれでいい」
ということなのだ。
そんな大学の試験において、大切なことが情報だった。情報さえ知っていれば、闇雲に勉強する必要もない。
毎年同じ問題が出ていて、模範解答も出回っている。下手をすれば、丸暗記して、そのまま回答しても、単位はもらえる。
だが、そもそも、試験というのは、そういうことでいいのではないか?
何も、落とすのが試験ではない。キチンと、教えたことが学生のためになっているかどうか。それを試すのが試験ではないか。
何も、すべての範囲を勉強しようが、
「ここだけしっかり抑えていればそれでいい」
というところがあり、本当にそこだけ、勉強すればいいのだ。
丸暗記だとしても、暗記するには、しっかり文章を理解する必要がある。まさか、1文字目と2文字目の言葉の間の関係性を考えたりなどして暗記する人はいないだろう。必要な単語を切り取って暗記し、それを理解したうえで、言葉をつなげ手いく。ある意味、これが勉強といえるのではないかと思うのは、少し強引だろうか?
確かに勉強というものが、いかに一つのことに集中して覚えるかということに関わっていくのかも知れないが、教授にもいろいろな人がいて、実際に教授の都合というのもあるかも知れない。
だが、それで学生もいいのだから、別に問題はないだろう。そう思うと、それだけ、大学の講義というのは、高校までのように、文科省からの指導があるわけでもないので、かなり自由だということであろう。
だが、そんな大学で、大人になってまで、夢に見るようなトラウマを負わされるとは思ってもいなかっただろう。
確かに、大学というところ、高校時代の先生の中には、
「レジャーランド」
といっていた人もいた。
なるほど、その教師も大学を出て先生になったのだから、自分もそのレジャーランド出身ということだろう。
それだけに、吾郎は怖かった。
最初こそ、
「この苦しい大学受験さえ乗り越えれば、後はバラ色の人生が待っている」
ということだったのだ。
何とか、運がよかったと本人は正直思ってるが、大学受験では浪人もせずに、合格することができた。
大学に入ってしまえば、それほど必死に勉強することもないだろう。
「なんといってお、高校の頃の先生が、レジャーランドだと言っていたではないか?」
と感じたのだ。
確かに、大学というところの印象として、高校時代に聞いた言葉として、海外との違いを比較した際に、
「一般的に言われていることだが、諸外国では、大学の入学にはさほど、苦しくはないが、卒業には結構厳しいものがあるのに対し、日本の場合は、入学するための試験が、ハンパないくらいに難しいが、卒業は比較的簡単だ」
と言われていたのを、そのまま鵜呑みにしていたのだ。
少々極端ではあるが、
「入学してしまえば、こっちのもの。卒業を約束されたも同然だ」
ということになるのだと思えたのだった。
その思いが完全な油断だった。
なるほど、先生の言うような、レジャーランドのようなところだった。大学というところは、来るだけで楽しい。なぜなら、必ず、友達と言える人がいるからだった。
高校時代まで、友達らしい友達がいたわけでもなく、しかも、思春期が高校時代の半ばころということで、異性に対しての感情も結構あった。
しかし、一つ不思議だったのだが、異性に対して気になっているにも関わらず、どこか釈然としないところがあるのも事実で、特に大学に入ってからは、
「彼女がほしい」
という発想よりも、どちらかというと、
「友達と一緒にいる方が楽しいな」
と感じる方が強い時があった。
そんな時、急に我に返って、
「いやいや、それとこれとは別のことで、友達と、彼女がほしいと思う感情って、まったく違うものではないか?」
と感じるのだった。
そう思うと、アルバイトなどで、女の子がいると、意識してしまう。
「同じ大学にも可愛い女の子だってたくさんいるではないか?」
と言われることだろう。
そのことも十分に承知していることなのだが、この感情は、高校時代の感情を思わせるものだった。
あの頃、つまり、異性に興味を持ちだした頃も、考えてみれば、同じ学校の女生徒には興味がなかった。
後から思えば、
「うちの高校の制服に興味がなかったからではないか?」
と思えた。
他の学校の制服が非常にかわいくて、いつもそっちに目を奪われていた。気になる制服の部位としては、
「紺色のハイソックス」
というものが好きだったのだ。
ニーハイとまではいかなくても、ソックスが膝くらいまであると、制服のスカートの丈も自然と短くなる。それを見ているとゾクゾクするのだ。
自分の学校の女の子の中には、他の学校にファンクラブができるほどのアイドル的存在の女の子がいた。
しかし、吾郎は、そんな女の子であっても、自分の視界に入ってくるわけではなかった。あくまでも、気になっているのは、
「他校の女の子」
であり、基準となるのは、制服だということに間違いはないのだった。
そんな吾郎の性癖は、吾郎の身近の人には、簡単に看破されたが、あまり吾郎を知らない人は、そんな性癖があるなど、想像もしていないに違いない。
つまり、吾郎の性癖を分かる分からないというところには、明確なボーダーラインがあり、そこがまるで、
「結界」
といってもいいような場所であることは、
「知る人ぞ知る」
ということであった。
中学を卒業した時は、確かに、異性への意識はなかったはずだったが、制服への意識だけはあったような気がする。
「気が付けば、高校生のお姉さんを目で追っていた」
という意識があったからだ。
しかし、異性に興味を持つ前だったので、自分でもどうしてお姉さんを見ていたのか、理解に苦しむほどだった。
しかし、思い出してみれば、
「制服を目で追っていた」
と思えば、納得がいくのだった。
その時は、自分の性癖が、変態的な、フェチだという意識はなかった。
「可愛いと思うものを目で追って、何が悪いというのか?」
と考えるほどで、そのくせ、中学時代など、制服や、女の子を無意識に目で追っている同級生を見て、
「まるで、こいつ変態だな」
と思っていたものだ。
その考えは、至極まともなもので、今でも、そう思っている。しかし、いざ自分がやると、それは変態だとか、汚いものを見るかのような視線を自分で浴びせるような気にはならないのだ。
まさに、
「自分のことを棚に上げて」
ということになるのであろう。
大学に入ってからは、そもそも制服というものがないので、それまでと同じ感覚で見てしまうと、また以前のように、女性に興味を持たなくなるという、思春期以前に戻ってしまうのではないかと思っていた。
大学キャンパス内の女の子は、それなりに華やかで、実際には、好きになりそうなレベルの女の子は結構いた。
だが、なぜか、同じ大学だとそのことを感じない。ただ、それが、少し感覚として違っていることを感じたのは、アルバイトを始めた時だった。
バイトを始めたのは、一年生の学園祭の前くらいだっただろうか? 夏休みが終わってから、本格的に始めた。
吾郎は、正直夏に弱かった。特に炎天下の作業は、
「生死にかかわる」
とまで思っていたほどで、中学、高校の頃、朝礼で、最初に立ち眩みを起こすのが、吾郎だった。
熱中症のような感じで、救急車が来るほどのことはなかったが、不思議なことに、一人が倒れれば、一人で終わるということはない。
つまり、吾郎が倒れたのを見て、その様子に、我慢の限界近くまできていた人が、バタバタと倒れた。逆にいえば、他の誰かが倒れていても、吾郎は早期に倒れた生徒の一人ということになるのだろう。
そんなことを考えていると、
「俺が、倒れたことで、皆の緊張感が一気に切れてしまったということか?」
と考えると、
「俺という人間は、まわりを誘発するかのような力を持っているのかも知れない」
と、甚だしい考えにいたるものだった。
ただ、自分の様子を見て、我慢できなくなったというだけで、誰もが皆倒れるわけではない。
逆にいえば、いつも最初というのは、それだけ、我慢が足りないというか、
「最初から我慢というものをする気がないのかも知れない」
ということになるのであろう。
そんな最初に、倒れることを、きっと他の人は、
「恥ずかしい」
と目立つことを避けたいと想っているに違いない。
だが、吾郎は違い、
「苦しかったら、我慢などする必要はない。我慢すれば、苦しみが次第に消えていくわけではなく、究極に気を失って意識不明で倒れることを思えば、最初からギブアップしている方がどれほどいいと言えるだろうか?」
と考えていたのだ。
「高校生の頃であれば、その頃から異常気象は叫ばれていたのに、朝礼などというナンセンスなことをして何になるというのか?」
と思っていた。
昭和の時代だったら、
「我慢することを覚えないと、社会では渡っていけない」
ということを言われるに違いない。
しかし。我慢することは、誰かに誘導されて覚えることではなく、自分がいかに感じるかということで、
「我慢が美徳だ」
と思うのであれば、心おきなく我慢すればいい。
人それぞれで違うものなのに、それを意識してすべての人間に押し付けるのはどうかと思う。
しかし朝礼も、
「出たい人だけ」
などとすると、まず出てくる人もいないだろう。
今の世の中、例えば政府通達などを聞いて、国民の大多数は、自分勝手な発想で、それが人の迷惑になることであろうが、どうだろうが、感じたまま行動する。
数年前にあったパンデミックによる世界的な伝染病の流行で、ある市長が、
「感染対策を十分に行って、楽しんでください」
というのを、ハロウィンで言ったのだ。
しかし、その時、首都の知事や、日本第二の都市の指示は、
「都心部で集まって騒がないでください。仕事が終わったら、すぐに帰宅してください」
というようなことを言っていた。
それでも。蓋を開ければ。目抜き通りや、待ち合わせのメッカなどでは、パンデミックがなかったかのような盛り上がりを示していた。
あっちがそうなのだから、
「楽しんでください」
などと言われたところは、本当に楽しんでいる。
何しろ、警察が出動し、逮捕者が何名か出たほどだったのだ。
市長は、民衆の心を分かっていない。
「来ないでくださいと言われれば、出てくる。感染対策をしっかりして楽しんでくださいと言われれば、言葉の都合の悪いところだけ切り取って、楽しんでくださいだけを免罪符に、遊ぶのだ」
といえるだろう。
つまり、基本は楽しむというところにあり、そして何かあった時の言い訳として、
「皆がやっているから」
という集団意識で逃れようとするのだった。
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