ゴムマット
増田朋美
ゴムマット
その日は富士山に初冠雪が観測されたと言い、やっと秋の到来かあとみんなホッとしたような気分の日であった。日中はまだエアコンをしなければならないところもあるようであるが、それでも朝晩は涼しく、穏やかな日である。それと同時に、朝昼晩で気温差が大きいので、風邪を引いてしまう人が続出してしまうということもあった。まあそれも季節の風物詩と言えば良いのかもしれないが、、、。
「へっくしょい!」
朝、パンを食べながら蘭は大きなくしゃみをした。その日は珍しく妻のアリスも帰ってきていた。いつもは妊婦さんの家に泊まり込んでしまうことが多いくせに、そういう日に限って、帰ってくるのだった。うるさいところもあって、ちょっときついところもある女性だけど、蘭は日本人の女房にはないところを持っていると思うのでそれは許していた。
「あら、蘭、風邪引いた?」
お茶を飲みながら、アリスに聞かれて、
「いやあ、それはどうなのかなあ。」
と蘭は言ってしまった。日本人であれば、ここで終わってしまうことが多いが、外国の女性はそういうわけには行かないのである。
「そういうことなら、早くお医者さん行ってきてよ。誰かに移したりする前に、なんとかするのが大事なことでしょ。小さなうちに対処しておくことが、大事なことよ。」
「わかったよ。明日にでも行ってみるよ。」
蘭はそういうのであるが、
「だめ、できることなら、今日のうちに予約取れる病院に行って来なさいよ。こういうときは、早いほうが良いって、日本のことわざでもよく出てるじゃないの。善は急げって。」
アリスはすぐに言った。
「でも、今日やってる病院なんてあるかな?今日は木曜日だよ。」
確かに木曜日は、だいたいの医療機関は休診である。
「そんなのスマートフォンで調べれば良いことでしょ。いい病院なんて口コミサイト見ればわかるわ。それだって結構当たるそうだし、道が分からなければタクシーでもとればいいじゃないの。とにかく行ってきてよ。」
「はいはいわかりました。」
アリスにそう言われて、蘭はスマートフォンを取った。とりあえず、インターネットで、風邪を引いたので見てくれる所と検索してみた所、富士駅近くにある秋葉医院というところがやっているらしいので、そこのウェブサイトにアクセスしてみた。そこには、病院の紹介と、医師の紹介が書かれていたが、そこに掲載されている秋葉先生は、どうやら東京大学を卒業したらしい。どうしてそんな先生が、この富士市で開業したのか不思議なところだが、まあとにかく風邪を引いているので、見てもらわなければならない。ウェブサイト内には予約をとるページもあったので、蘭は、予約のページを開いて、10時に予約をとった。
9時を少しすぎると、蘭はタクシーを呼び出して、秋葉医院に連れて行ってもらった。そこへ行くと運転手にいうと、運転手は、秋葉先生に行くんですかと行っていた。なんでもあそこの先生はとても気位の高い方ですから、気をつけたほうが良いですよ、と運転手に言われて、蘭はその時は特に何も気にしなかったのであるが、運転手はとりあえず、秋葉医院の前で降ろしてくれた。
しかし、秋葉医院と書かれた入り口の自動ドアの前に立ってみると、確かに入り口のドアは自動ドアになっているのであるが、そこに入るまでは段差があって、蘭は、中に入れない。自動ドアは蘭に反応して、すぐに開いてくれるのであるが、蘭は、そこに居るしかなかった。しばらくして、受付の女性が彼に気がついて、
「まあ、いつまでも自動ドアが開きっぱなしじゃ寒いじゃないですか!」
と、冷たく行った。蘭は、
「あの10時に予約した伊能ですが。」
というと、
「はあでも、車椅子の方であるとは、予約サイトには何も書いてなかったんですけどね。」
受付係は言った。
「だって、そのような事を書くようにという指示をされてなかったし、書く欄もなかったじゃありませんか?」
と蘭が言うと、
「とにかく、もう時間ですから、中に入ってくださいよ。そこで入り口を塞がれていたら、他の患者が入れないでしょ。」
受付係は、掃除のおばさんと一緒に、蘭を無理やり持ち上げて、病院内に無理やり入らせた。蘭はせめてスロープだけでもないのかと思ったが、そんな事は言えなさそうな様子だった。待合室ではたくさんの人が待っていて、こんなにたくさんの患者さんはどこから来るのだろうと思われる感じだった。それに、来ている女性たちは、皆年寄ばかりだ。その中には車椅子の人だっていたっていいはずなのに、そのような人はだれも居なかった。とりあえず蘭は病院の肩隅で、待たせてもらったのであるが、何度も患者さんの名前は呼ばれるのに、蘭の名は呼ばれない。ようやく呼ばれたのは、40分以上経ってからだった。呼んでくれた看護師もなんだかぶっきらぼうな感じだし、なんだか障害者が来てはいけないような雰囲気がある。蘭は、診察室に入ると、
「はい、伊能蘭さん。それでは、症状を仰ってください。」
と、若い女性の医者が、蘭の前に座ってそういったのであった。
「あれれ、先生は、失礼ですけど、女性の方だったんですか?」
と蘭は思わず聞いてしまう。医者紹介のところには、名前を秋葉稜と言っていたから、あきばりょうという名前で男性なのかと思っていたのであるが、それは稜と書いてあやとも読むのかと蘭は考え直した。最近の若い親は、男女の区別がつきにくい名前をつけるというのはしょうがないことでもあるが、蘭はそれ以上何も聞かなかった。
「そんな事はどうだっていいんです。症状を聞いているんです。」
秋葉先生はちょっと声を荒らげていった。蘭は仕方なく、
「くしゃみがどうしても止まらないので風邪を引いたのではないかなと思ってきました。」
と言った。
「そうなのね。風邪かどうかは医者が判断することで、あなたがどうのとすることでは無いんですよ。それではまず初めに鼻腔のレントゲンを撮りましょう。蓄膿とか、そっちの方かもしれないし、じゃあ、検査室へ行って。」
秋葉先生に言われて蘭は、看護師と一緒に検査室へ向かったのであるが、診察室を出るときも段差があって、蘭を出すには二人がかりでしなければならなかった。確かに今風の作りで、可愛い感じの病院ではあるんだけれど、そういうふうに蘭のような人物が来ることを想定してはいなかったのかなと蘭は思った。とりあえず蘭は、検査室に行って鼻のレントゲンを撮ってもらい診察室へ戻った。そこへ戻るときも段差だらけで大変である。なんとか入ると、秋葉先生は、特に蓄膿や花粉症などはなくて、鼻には何も異常はなく、ただの風邪だと言うことであった。とりあえず薬を出すから飲んでみてと言われ蘭は診察室を出たのであるが、それもまた一苦労。どうしてこんなふうに一苦労させてばかり居るんだろうと蘭は思った。待合室に戻って、蘭は先にタクシーを呼び出し、入り口で出るのを手伝ってほしいと頼んだので、帰りは、タクシーの運転手さんに出るのを手伝ってもらった。受付の話では隣の薬局で薬をもらうようにという話であったが、その薬局も入り口に段差があり、蘭は入ることができなかった。なので仕方なく、彼は、自宅近くにあるドラッグストアに行き、そこで薬をもらって帰らせてもらうことにした。まあ、薬は同じものなのでどこでもらっても同じことであるのが唯一の救いのようなものだった。
蘭がタクシーに乗り込もうとした所、秋葉医院から二人の女性が出てきた。と言っても、まだ小学生くらいの少女とその母親と思われる二人組みだった。マスクをしていたので多分蘭と同じように風邪を引いて来たのかなと思われた。歩ける人にはなんてことのない石段で、その二人は、平気で石段を超えていける。でも、その二人がしている会話のないようを蘭はすぐに聞いてしまった。
「怖かった。ちょっときつい先生だった。」
女の子はそう言っている。お母さんと背丈は変わらないけど、やはり小学生だなと思う。それは、素直にそう思っても仕方ないことだと思った。
「そんな事言っちゃいけません。それでも、東京大学を出られた偉い先生なのよ。偉い先生にきついとかこわいとかそんなこと言っちゃだめよ。」
蘭はお母さんの文句に、それしか言えないものだろうかと思った。確かに東京大学はすごいところではあるが、子供に対してきつい態度で接するということは、本当に偉い人なのだろうか?それと同時にタクシーは動き出してしまったため、蘭はそれ以上の会話を聞くことはできなかったが、でも、そういう疑問を蘭に残した。
ドラッグストアで、あの秋葉稜先生が処方してくれた薬を飲んだが、薬をいくら飲んでも症状は改善されなかった。ただ咳や喉の痛みなどの他の症状は出なかったので、もしかして薬が合わないのかと思った。とりあえず蘭は一週間分の薬を飲んだが、くしゃみは止まらないし一向に良くならない。妻のアリスは、別の病院に行くように勧めた。アリスは割り切ってしまうのがうまいらしく、ただ蘭の体に合わないからだとしか言わなかったが、蘭はあの東大出の秋葉稜先生が、薬を間違えたということは無いのではないかと思ってしまう気持ちが湧いてしまうのであった。どうも日本人は学歴に弱いらしい。なんだか東京大学を出ているとなると、間違いをしないというか、やっていることがみんな正しいということに見えてしまうのであった。それでも蘭のくしゃみは止まらないので、アリスは、すぐに耳鼻科に行ってきてといった。普通の内科では収まらないわよとしきりにいうので、蘭は仕方なく、耳鼻科を探してみることにした。蘭がもう一度パソコンで富士駅近くの耳鼻科を探してみると、富士市の宮下というところに、水上医院というところがあるらしい。行き先は、富士駅から車椅子でも6分ほどのところだった。蘭はすぐにそこのウェブサイトを開いてみたが、そこ病院では電話でしか予約ができなかった。そこで蘭はすぐに電話をかけると応対してくれた人は、いつから来られますか?と優しく聞いてくれた。
「はい。今日の午後からすぐに行けます。」
と蘭が答えると、
「そうですか。じゃあ、今日の2時半からすぐに来られますか?」
受付の人は優しく答える。
「ハイいけますけど?」
と蘭が言うと、
「じゃあその時間に予約をお取りしますね。先生には私から話しますから、来てくれればいいですよ。」
明るい声が帰ってきた。蘭は、自分は車椅子なのだがというと、ちゃんと工夫はしますのでお待ちしていますといった。蘭は電話を切り、その病院の医者の経歴などを調べてみたが、そのお医者さんは、もうかなり高齢で、地方の医学部しか出ていなかった。それでは東京大学とはぜんぜん違うということになるが、蘭はそれがちょっと気になってしまった。でも、こうなればもう行くしか無いと思った蘭は、タクシーを呼び出して乗せてもらい、水上医院へ乗せて行ってもらった。
なんだか、古民家を病院に改造したような小さな建物だった。入り口も自動ドアではなかった。蘭が、ドアを叩くと、はいちょっとお待ち下さいと受付の女性が言って、すぐにドアを開けてくれた。もちろん、入り口には段差があったけど、受付は、すぐに入り口にゴムマットを敷いてくれたので、蘭は、すぐに水上医院の中に入らせてもらった。そして、受付に保険証とお薬手帳を提出すると、先程の女性が、待合室まで車椅子を押してくれた。
「えーと、伊能蘭さん。」
と、診察室から看護師の声がした。とても元気が良くて明るい看護師さんだ。すると受付の人が出てきて、蘭を診察室まで車椅子を押してくれた。蘭が申し訳ありませんというと、
「いいんですよ。こういう事は、良くあることじゃないですか?」
受付の人はにこやかに言った。そして、診察室に入ると、中年の男性がそこに座っていた。確かに地方の医学部しか出ていない医者なんだろうが、それでも先日あった、秋葉先生とは、全然雰囲気も顔感じも違うなという感じの人だった。
「医師の水上です。今日はどうしましたか?」
水上先生は穏やかな顔で言った。
「はい。先日からくしゃみが酷くて、風邪だとかで薬はもらったんですが良くならなくて。それでこちらにこさせていただきました。」
と蘭は、すぐに言った。
「そうですか。それで薬をもらったということですが、もらったのは、こちらの薬ですね。それでは、もしかしたら体に合わなかったということかもしれません。それでは、また別の薬を出します。それでも症状が改善されなかったらまた来てもらえますか?」
そういう水上先生に蘭は、
「わかりました。ありがとうございます。先生に言っていただけて安心しました。」
とホッとした顔で言って、水上先生に頭を下げた。
「こちらも、本当に申し訳ないですね。車椅子の方に向けて何も対応も考えていなかったものですから、段差だらけで申し訳ないです。いや。失礼しました。」
そう苦笑いをしている水上先生に、
「いや、大丈夫です。ああしてゴムマットを置いてくださったことが何よりも嬉しいことです。ありがとうございます。」
と蘭はにこやかに言った。そして、彼は処方箋をもらって、診察室を出た。この病院では医薬分業にはなっていないようで、受付の隣に薬局も常備されていた。なので蘭は最終受付と一緒に薬をもらって病院を出た。あのときにあった小学生に、医者の本質は学歴なんかで決まらないと教えてやりたい気持ちになった。
ゴムマット 増田朋美 @masubuchi4996
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