第12話 幼馴染と夏休み02


 富士宮市という街は、真ん中辺りを縦に走る西富士道路、富士宮バイパスで、なんとなく東西に分けられる。

 母親の実家は、富士宮でも東の富士山とは逆、西の山のほうにある。詳しい地名は個人情報保護の観点でアレだが、滝の近くだ。


 夏休みに富士宮に来ると、小学校の頃はだいたい一人で遊んでいた。

 山があり、川があり、公園がある。

 それだけで、一日中独りで遊べた。

 ま、他でも一人だったけど。

 杜若かきつばたがうちの里帰りに同行する様になったのは、中学一年からだった。

 それまで小学校五年の頃から、杜若かきつばたと遊んだ記憶は無い。

 なぜ突然遊ばなくなったのかも、当時は分からなかった。


 ただ、中学生になった杜若かきつばたの姿は、今でも覚えている。

 小学校の頃は健康優良児だったのに、そこにいる杜若かきつばたは……笑顔の消えたガリガリの女の子だった。


 杜若かきつばたの父親、おじさんは、夏休みもずっと仕事だ。

 うちが家を空けると、杜若かきつばたは家に一人となる。

 だから杜若かきつばたは、うちの家族旅行に同行するようになった。

 と、母親からは聞かされている。


 杜若かきつばたが同行するようになってからは、山での遊び方が変わった。

 釣りがメインになった。野山を走り慣れていない杜若かきつばたへの配慮のつもりだ。

 午前中は実家で夏休みの宿題をして、午後は近くの川で魚釣り。

 そして今は──


「あとちょっとだよ、頑張って幸希こうきくん」


 ──杜若かきつばたの声援を受けて、米を担いでいる。

 どうしてこうなった!?

 ま、俺がご飯を食べ過ぎたのが悪いな。

 というわけで、実家から北に1.5キロほど歩いたコイン精米所へ急きょ向かうことになったのだが。


「あとちょっとって、どのくらい?」

「んー、あと1キロ」

「オーケーわかったありがとう」


 スマートフォンで地図を見る杜若かきつばたに、息を切らしてお礼を言う。

 背負った米は10キロ。

 最初は5キロだったのを、世話になってるからと倍にしたのは、何を隠そう俺だ。

 つまり、自業自得。

 やべ、肩が痛くなってきた。

 しかしこのくらいで泣き言なんて、都会の高校生は根性が無いと思われる。

 別に勝たなくてもいいが、負けるのは嫌いだ。

 あと、我が街清水は都会じゃなかった。


「ちょっと、代ろうか?」

杜若かきつばたには無理だ、この重さは」


 まだ何か言いたげな杜若かきつばたを尻目に、俺は黙々と歩き続ける。

 しかし暑ちぃ。

 少し標高が高いくらいでは、真夏の直射日光には逆らえない。

 ジリジリ焼けるアスファルトを、逃げ水を追うように歩を進める。

 何か目標がないと、余計な思考がよぎってしまう。

 特に今、杜若かきつばたのほうは見られない。

 もしも見てしまったら。


幸希こうきくん、お水、飲んで」


 汗で肌に貼りついた白いTシャツ。

 その下にかすかに透ける、違う色。

 ああ、ほらもう!


「サンキュ」


 出来るだけ冷静に、無関心に。

 ミネラルウォーターを補給した俺は、ラストスパートをかける。

 行くぞ、歩くぞ。

 あ、見えてきた、って、あれか?

 あれだ。あと数十歩……よし着いた。


 肩から米を下ろして、肩で息をして、しゃがみ込む。

 ああ、地元の人たちは、こんな苦労をしてるんだな。

 少し体力が回復したところで、コイン精米の機械にお金を入れて、精米を始める。

 こういう機械は、街中では見ないな。

 うっかり機械の横で深呼吸して、米糠の匂いを思いっきり吸って、咽せた。


「ゲホッ、グヘッ」

幸希こうきくん、大丈夫?」


 再びペットボトルのミネラルウォーターを思い切り飲んで、喉を洗い流す。

 杜若かきつばたが背中をさすってくれるけれど、そこだけ少し熱くて恥ずかしい。


「さて、帰るか」

「そうだね。精米したから、帰りはちょっとだけ軽い、のかな」


 精米が終わった米は、たしかに軽く感じる。けれど籾殻のぶん、ほぼ誤差の範囲だ。

 だが意地でも歩く。背負って歩き切る。


「帰ってきた……」


 開けっぱなしの玄関に精米したての米を下ろして、そのまま玄関に寝そべる。

 板張りの床が背中に冷たい。


「おや。ご苦労さま」


 ばあちゃんの声がする。

 何かを置いた音が響く。

 キュウリに似た匂いが……これは。


「スイカか!」


 ガバッと起きて、半月に切ったスイカを掴む。

 シャクリ、美味い。

 もうひと口……あれ、杜若かきつばたは?

 玄関から外を窺うと、杜若かきつばたは何やらしていた。

 そこにばあちゃんがやってきて、俺は強引に玄関の中へ押し戻される。

 文句のひとつも言ってやろうと思った瞬間、玄関の外からばあちゃんの声がした。


「あやめちゃん、何をしとる」

「いやー私、台車があったのに気が付かなくて、幸希こうきくんに大変な思いをさせちゃったんで」

「それで、どうして台車を隠そうとするんかな?」

幸希こうきくんが台車を見つけたら、ガッカリしちゃうかな、って」


 ──やっちまった。

 ばあちゃんから最初に言われてたんだ。台車も荷車もある、好きに使いなって。

 でも俺は、他のことを考えていて。

 だから杜若かきつばたは全然悪くない。

 というか、杜若かきつばたはその場にはいなくて、台車の話は聞いてなかった。


「あやめちゃん、優しいんね」

「いえ、そういうわけでは」

「本当にありがとう。でもね、あやめちゃんは気にせんでええんよ」

「え、どうして」

「あんたに、いいカッコ見せたかったんよ、幸希こうきは」

「え」


 おい老人。

 急に何を言い出しやがる。


「男は単純だでな、腕力や仕事ができるのを、女に見せたいんよ」


 ちくしょう。

 図星過ぎて、なんも言えねえ。


幸希こうきにとってのあやめちゃんは、そういう相手なんじゃね」


 ……おい祖母。

 混乱と緊張でスイカの味が分からなくなったぞ、どうしてくれる。


「どうしよう、お婆さま……なんだか私、恥ずかしい、です」

「ほほ。若い子の恥じらいは、ワシゃ大好物じゃ」


 食べかけのスイカを持ったまま固まった俺が発見されたのは、ひぐらしの鳴く夕暮れだった。


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